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人生に虚しさを感じるあなたへ|自分・社会・他人・未来から考える人生の目的の4類型【人生の目的論】

この記事で伝えたいこと

・人生の目的は、その目指す方向性によって自分・社会・他人・未来の4つに類型化できる
・類型ごとに自分の目的を考えると、目的を定めやすい
・どの類型においても、自己理解が基礎となる
・自己理解を進め、類型に沿って自分に最適な目的を定めましょう

これまでの記事で、人生の目的を見つけることの重要性や、人生の目的が持つべき条件などについてお伝えしてきました。しかし、それらを参考にしたとしても、自分に合った人生の目的を見つけることは簡単ではないと思います。そこで、本記事では人生の目的を見つける上で役に立つ4つの類型について示します。

この4類型は、前の記事で書いた「人生の目的を見つけること」を目標としている間に、私自身が書き溜めたメモを基に、人生や人間の存在というものを考えてきた結果、導き出した独自の考えになります。万人に共通する本能に着目しつつ、個人の個性を尊重し、そこに私自身の考えを反映させた内容になっています。

人生の目的のあるべき姿として、あなたの目的を見つける際の参考になれば幸いです。


目的が向かう方向による4つの類型

人生の目的は、その人が進んでいくべき道を示すものです。また、その道を進むことでその人が幸せになれる道でもあります。そんな人生の目的の進む方向について考えたとき、4つの方向性があると考えました。

図.目的が向かう先の4類型
目的が示す方向性は大きく4つに分けることができる

この4つの類型は、私たちの生活に大きな影響を及ぼすものであり、同時に私たちが影響を与えられる対象でもあります。人生の目的が人生の指針であり、幸せの根源であるのならば、それは自分と密接に関わっているものであり、自分が認識できるものであり、且つ働きかけることで影響を与えられるものでなければなりません。

その点で考えると、目的は「自分」「社会」「他人」「未来」の4つに分類できると考えられます。それぞれの類型は以下のようなことを目的にします。

  • 自分:自分の持つ能力と個性を最大限に発揮する

  • 社会:自分が理想とする社会を実現する

  • 他人:自分が持つものを他人にも与えることで貢献する

  • 未来:自分の死後にも自分の影響を残す

それでは、4つの類型について、それぞれ説明をしていきます。

自分に向かう目的:能力と個性の発揮

自分に向かう目的とは、「自分の能力と個性の発揮」を目指すものです。
「マズローの欲求5段階説」を聞いたことがあるでしょうか。人の欲求は生きるために必要な食事や睡眠などの低次の欲求から始まり、それを満たすことにより高次の欲求に進んでいくという考えです。
この説に照らし合わせれば、「自分の能力と個性の発揮」とは、最上位の自己実現の欲求を満たすことに該当すると思います。

マズローの欲求5段階説とあるが、下位2つの生理的欲求と安全欲求はお金があればある程度は保証される。上位3階層については、人によっては全て同じ場合も考えられる。自己実現することが、社会の一員として認められたり、他人から承認されたりすることともイコールとなる場合もあるだろう。その意味では、初めに自分を認識し、自分の欲求や価値観がどこにあるかを突き止め、それを実現するための努力をすれば、安全欲求から一足飛びに自己実現欲求まで満たせるようになるのではないだろうか。 #哲学 #人生 #自己実現 #マズロー欲求5段階説

Torch-Truth Seeker (@torch-truthseeker.bsky.social) 2025-01-11T22:00:41.489Z

能力の発揮とは

「能力の発揮」とは、自分が得意とする能力を伸ばし、最大限に発揮することです。例えば、あなたがプログラミングが得意だとすれば、プログラミングについての勉強や研究を重ねることで、より高度なプログラミングができるようになることが、「能力を発揮」することになります。或いは、話すのが得意であれば、人前で話す練習や、話し方が人に与える印象などの心理学的について研究をすることで、人に対してより上手く効果的な話ができるようになることが、「能力の発揮」と言えると思います。

このように、自分が持つ能力に対して投資を行い、より高い次元まで成長させ、その能力を活かした活動をすることが、自分に向かう目的における「能力の発揮」です。

個性の発揮とは

「個性の発揮」とは、自分らしさや個性をありのままに発揮できるようにすることです。例えば、あなたが物事を慎重に考えることを大切にしていたとします。その場合、周囲から催促されたりすることなく、自分が必要なだけじっくりと考えて結論を出すことで最も良い考えを纏められることが、「個性の発揮」と言えます。或いは、人との対話を重んじるのであれば、どんな時も人との対話を行い、決して自分勝手に物事を決めないことでより良い結果を導くことが、「個性の発揮」と言えます。

このように、自分が大切にしている考えや価値観に基づいて行動することで、自分にとって自然体のままに最大の結果を出すことが、自分に向かう目的における「個性の発揮」と言えます。

能力の発揮と個性の発揮の共通点

「能力の発揮」と「個性の発揮」は、どちらも深い自己理解が必要である点で共通しています。自分の長所は何か、自分の興味関心があることは何か、こういったことを正しく認識することで初めて、自分の能力や個性を遺憾なく発揮することが出来るようになります。

また、それらを最大限に発揮する為には環境も重要です。束縛のない自由があり、多様な境遇が大切であると、イギリスの哲学者ジョン・スチュワート・ミルの『自由論』の中で、ヴィルヘルム・フォン・フンボルトの著作を引用して述べられています。

賢者として、また優れた政治家としても名高いヴィルヘルム・フォン・フンボルトは、その著作において、つぎのようなことを述べている。 「人間の目的は、あいまいで一時的な欲望がささやくものではなく、理性が永遠不変の要請として命ずるものでなければならない。それは、人間のさまざまの能力を、最高度に、そしてもっともバランスよく成長させて、完全で矛盾のないひとつの全体にすることである」。したがって、「すべての人がたえず努力すべき目標、また、他人に影響を与えたいと思っている人なら特に保持すべき目標は、能力と成長における個性である」そのためには「自由であることと、境遇が多様であること」の二つが必要条件である。この二つが結合して「個としての活力と豊かな多様性」が生まれる。さらに、それが合わされば「独創性」となる、というのである(*)。

ミル. 自由論 (光文社古典新訳文庫). 光文社. Kindle 版.

能力の発揮と個性の発揮の相違点

異なる点は、「能力の発揮」は能力をどれだけ大きくできるかを目指すのに対して、「個性の発揮」では個性を発揮するための窓の形を如何に個性の形に合わせられるかを目指す点です。

図.能力の発揮と個性の発揮の違い
能力は、能力そのものを大きくする
個性は、個性を外部に表出する穴の形を個性に合わせる

能力には高低がありますが、個性にはそれがありません。「能力の発揮」は、ひたすら努力することで能力を高め、それを対象に対して発揮することでその道を深めていきます。それに対して「個性の発揮」は、元々誰もが持っている個性を、出来る限りそのままの形で外部に発揮することで自分らしく生きることです。個性を発揮する穴が個性の形と合わなければ、私たちは個性を正しく発揮できず、自分らしく生きられません。この穴は自分だけでなく外部の影響も受けるので、自分が自分らしさを出そうと努力するだけでは足りず、自分らしさを発揮しやすい外部環境、すなわち自分に合った社会や人間関係を築くことも必要になります。

能力と個性の発揮のまとめ

能力と個性の発揮とは、まずは自分の才能や価値観などが何かを理解します。次に、「能力の発揮」においては、自分の能力を大きく成長させて、それを外部の対象に発揮することを目指します。「個性の発揮」では、自分の個性がそのままの形で発揮できる方法を探し、それによって自分らしさをそのまま表現して生きれるようになることです。この二つを行うことが、人生においてその方向を自分に向けた場合の目的になります。

・あなたは得意なことはありますか?
 それを伸ばし発揮していくことが目的になりうるかもしれません。
・あなたが自分で思うあなたらしさはありますか?
 今の環境は、あなたらしさをそのままに発揮できるでしょうか?
 環境を変えることが、あなたらしさの発揮に繋がるかもしれません。

あなたへの問いかけ

社会に向かう目的:自分が望む世界への変革

社会に向かう目的とは、「自分が望む世界への変革」を目指すことです。人間は本能的に社会的な生き物です。社会なくして生きていくことはできません。人は社会と関わっていく中で、社会から影響を受け、同時に社会へ影響を与えます。そんな社会で生きる中で、人の欲求として芽生えてくるのは、自分の属する社会が「より自分が好み快適に生きられる世界」であってほしいという欲求です。

人は誰しも、今の世界に対しては何かしらの不満を抱いていると思います。それは、例えば、「給料が少ない」、「人間関係が悪い」といった身近なことにあるかもしれません。或いは、「戦争をなくしたい」、「格差社会を是正したい」といった世界規模のことかもしれません。

私たちがそういった不満を抱くのは、その対極として自分が快適に生きていける理想とする世界像を抱いているからです。それは先ほどの例で言えば、「お金に困らない世界」、「誰とでも仲良くできる世界」であり、「戦争のない世界」、「皆が平等な世界」です。

図.不満な現状と理想の世界
人の不満の裏返しは、理想とする世界である

このように、人は誰しも自分が望む理想の世界を心に抱いています。その理想に向けて世界を変革していくことを目指していくのが、「自分が望む世界への変革」という社会へ向かう目的です。

完璧主義ではない理想主義

「自分が望む世界への変革」など、理想主義に過ぎないと否定される方もいるかもしれません。確かに、理想を実現するのは難しいことです。私にも、自分が理想とする世界像がありますが、現実目線で考えれば、理想の実現は不可能と思うこともしばしばあります。

しかし、理想とはそこに到達できなければ意味がないとは思っていません。結果としてそこまで行きつけなかったとしても、元の状態より少しでも理想に近づいているのであれば、それは意味のあることであり、それでも構わないと思っています。

例えば、戦争のない世界を目指して努力をしたとします。その結果、戦争による死者が毎年100万人だったのが、10万人まで減らせたとしましょう。理想の実現は、戦争による死者が0人になることです。その点で言えば、まだ理想を実現したとは言えません。しかし、理想を目指したことによって毎年90万人の命が救われたのであれば、それには大きな意味があります。

以前の記事で書きましたが、正しく定められた目的とは基本的には達成できないものです。その点では、理想とは達成できないほど困難なことで構わないのであり、その状態に如何に近づけていけるかを目指していくことが大切と言えるでしょう。

自分が望む世界への変革の3つの方法

自分が望む世界に変えていく方法についてですが、大きく3つあると考えています。

  • 直接的な方法:自分が直接働きかけることで世界を変えていく

  • 間接的な方法:自分と同じ理想を目指す人を支援する

  • 消極的な方法:自分が望まない方向へ進むチカラに与さない

図.自分が望む世界を実現する3つの方法

どの方法が優れているというものではなく、それぞれ異なった角度からのアプローチになっています。また、どれか一つを選んで行うのではなく、それぞれを併用しながら、「自分が望む世界への変革」を目指していくことになります。それぞれの方法について詳しく説明していきます。

直接的方法とは:自分が直接働きかけることで世界を変えていく

直接的方法とは、「自分が直接働きかけることで世界を変えていく」方法です。これは、他の方法にも共通することですが、まず、現状と理想の差異を認識し、それを埋めるためにはどのような行動が必要なのかを考えます。そして、その行動を自らが行うことで社会に働きかけ、理想の世界に近づけていくことを目指します。

例えば、お金に困らない世界を目指すのであれば、まず給料が少ないという現状と給料が十分にもらえる理想状態との差異(例えば月給10万円の差)を認識します。次に、その10万円の差を埋めるためにはどのような行動が必要になるのかを具体的に考えます。どのように考えるかは、その人の環境やその人自身の資質や考え方にもよるでしょう。社長に直談判して、自分の能力の高さを認めさせて昇給させることもあるでしょう。自分の関与しているプロジェクトを成功させて、実績を以て上司に昇給を訴えても良いでしょう。或いは、同僚と団結して、不当に低い賃金を上げることを要求するかもしれません。勿論、転職することもありですし、もっと大局的に、政界に進出して政治の対場から国として給料が上がるような流れを作ることも考えられます。

具体的な方法は十人十色で、ここで説明しきれるものではありませんが、共通して言えるのは、その人に合ったやり方が存在して、そのやり方を取ることが望ましいということと、その為には自己理解が不可欠であるということです。

自分を過小評価しないこと

直接的方法では、自分の理想、信念、欲求に基づいて、自分の持つ能力や思考、知識を用いて事業を起こしたり、創作活動をしたり、発信をしたりします。その際、自分の力など小さなものだと思わないことが大切になります。

昔から、どの業界においても優れた先駆者はいて、その存在は広く知れ渡っています。その人たちと比べると、自分はそれより劣ると自信を無くしてしまうでしょう。確かに、今はその人にはかなわないかもしれません。しかし、それは当然なのです。その人はあなたより長く業界に携わっているかもしれませんし、あなたより才能があるのかもしれないのですから。あなたがその道において世界一にならない限り、あなたより上の人はいます。

しかし、そんな彼らも最初はあなたと同じところからスタートしたことを忘れてはいけません。誰でも低い所を経て高い所に上って行ったのですから、あなたもそれに倣えばよいのです。

また、その人たちがこの世の全てをカバーできていないことにも注目しなければなりません。どれだけ優れている人でも、一人でこの世の中の全ての人に恩恵を届けることはできません。もしその人たちの活動による恩恵が世界中に届いているのであれば、あなたは今の世界に不満を抱いていないはずです。そうでないからこそ、、あなたはこの世界に不満を抱いているのです。

だから、あなたはまず、あなたの手の届く範囲で、優れた先駆者たちの恩恵が届いていない人たちに向けて活動すれば良いのです。そんな人が一人でもいるのであれば、あなたの行動には価値があることになるのですから。

様々な専門家や有名なインフルエンサーが、どれだけ有益な活動や創作や発信をして、それがあなたのそれよりも優れていたとしても、恐れずに行動しましょう。あなたの行動は、彼らだけではカバーしきれない人たちの誰か一人には届く可能性は十分にあるのですから。

間接的方法とは:自分と同じ理想を目指す人を支援する

間接的方法とは、「自分と同じ理想を目指す人を支援する」ことです。他の人が、自分が理想とする世界の実現に役立つことをしているのであれば、その人の活動を応援することです。そうすることで、間接的に自分の目的である理想の社会の実現に近づくことになります。

身近な例で言えば、エシカル消費や寄付などが分かりやすいでしょうか。もしあなたが、人権尊重や環境保護に関心があるのであれば、それらを理念とする企業の商品を買うことは、間接的に自分の理想の世界に近づく行為と言えるでしょう。また、そういった活動をしている非営利団体や個人に対して、寄付であったりクラウドファンディングによる金銭的な支援を行うことも、間接的に自分が理想とする世界への変革に取り組んでいると言えるでしょう。

或いは、場合によっては推し活も自分が望む世界への変革の間接的方法と言えるかもしれません。推し活の理由は人それぞれでしょうが、推しに目指している世界があり、その理念に共感して推し活をしているのであれば、それは推しを応援することで自分が望む世界へ間接的に変えていこうとしていると言えるでしょう。

多様な方法によって世界を理想に近づけていける

どんな目的であっても、そこを目指す方法は一つではありません。例えば、豊かな国を作ることを目指すとしても、実に多様なアプローチが考えられます。政治・経済・教育・文化といった分野や、地方自治体・地域コミュニティ・過程・個人などの対象とする存在など、そのアプローチの方法や対象は挙げればきりがないほどです。

自分が直接的に働きかけるとなると、どうしても自分が得意なことを中心として活動となり、取り得る方法は限られてしまいます。しかし、同じ世界を目指す他人を支援する間接的方法であれば、自分では取り得ない様々な方法を取る人を支援することで、多様な方法で目的とする世界の実現を目指すことができます。これが、間接的方法の一番の強みです。自分と同じ目的を持つ人を応援することは、自分が直接努力するのと同じくらいに重要で効果的で、大切なことなのです。

消極的方法とは:自分が望まない方向へ進むチカラに与さない

消極的方法とは、「自分が望まない方向へ進むチカラにくみさない」ことです。理想の世界を実現する方法は、何も直接的、或いは間接的にその方向に向かうように働きかけるだけではありません。理想の世界とは違う方向に向かわないようにすることも大切です。例えば、あなたが自然環境との共存を理想に掲げる人であれば、自ら自然破壊をしないようにしないといけません。そして、自然破壊をしているような組織や個人を応援することも、自分の理想と違う方向に向かうことになるので、注意しなければなりません。

そのためには、自分の理想世界にとって障害となるような商品やサービスは買わないし、自分でも生み出さないこと。そして、そういったことを推進する人や組織の利益になることをしないことが大切です。

皮肉なもので、人は無意識のうちに自分の理想を破壊する行為の手助けをしてしまっています。以下、幾つか例を挙げてみますが、このようなことが往々にして起きてしまっていると思います。

  • 動物愛護を推進しながら動物搾取製品を購入
    理想: 動物の権利を守り、動物愛護を進める。
    行動: ペットを大切に育てているが、知らずに動物実験を行っている企業の商品を購入する。

  • 多様性を尊重しつつ他者を批判
    理想: 多様性が受け入れられる社会を目指す。
    行動: 多様性を大切にしつつも、自分と異なる価値観を持つ人を「理解がない」と非難し、排除しようとする。

  • 労働者の権利を擁護しながら搾取的サービスを利用
    理想: 労働者が正当な待遇を受けられる社会を作りたい。
    行動: 配達アプリや格安サービスを利用するが、それらが低賃金労働に依存していることに無関心。

こうならないためは、自分の行動は客観的に見る姿勢、関わっていることに対して深く知ろうとする姿勢を持つことが大切です。その様な姿勢になってみると、自分自身の行動が自らの理想の実現を妨げていることに気付くことがあるかもしれません。

また、近年では、時折起こる中国における日本製品の不買運動や、EU加盟国の企業におけるX(旧Twitter)の利用中止などがあります。これらも自分の理想の世界を追求するための消極的方法の一種と言えるかもしれません。彼らにとっては、そうした行動によって、自分たちの理想とする世界にとって障害となるものを排除しているのでしょう。その行動の是非については議論の余地がありますが、それも目的を目指すうえでの一つの方法と言えるかもしれません。

消極的方法の注意点:自制と公平性

ここで一つ、自分が理想とする世界について注意点があります。初めに、理想とする世界とは「自分が好み快適に生きられる世界」と書きましたが、それに該当すれば何でもよいわけではありません。

世の中にはルールがあり、様々な自由にも制約があるように、理想とする世界を目指す際にも守らなければいけないことがあります。それは、自制と公平性です。この二つがなくなるとき、自己中心的な考えに陥り、あなたの存在が独善的で利己的で、社会に害をなす存在になってしまいます。

それでも理想を求めるという人もいるかもしれませんが、他者との対立は避けられず、争いに発展することになるでしょう。そうなってしまうと、その理想は果たして「自分が好み快適に生きられる世界」と言えるでしょうか?

対立するものを排除すればそこに近づけると思うかもしれませんが、それは表面上そう見えるだけで、他者の恨みが一身に集まり、いつ攻撃されるかも分からない状態が続き、とても快適に生きられる世界とは言えないでしょう。

つまり、自制と公平性を無視した世界においては、自らが好み快適に生きることはできないということです。歴史的に見ても、例えば旧ソ連のスターリンは、独裁者として絶大な権力を握っていましたが、常に暗殺におびえ、精神的に健康ではいられなかったようです。とても快適な世界に生きていたとは言えないでしょう。

自分が望む世界への変革のまとめ

「自分が望む世界への変革」とは、「より自分が好み快適に生きられる世界」を生きたいという欲求を実現するものです。そのときに掲げる理想は、完全に実現しなければいけないものではなく、目指すべき方向としての意味合いが強いです。

理想の世界の実現に向けて、その方法は3つあります。一つ目は、自分が直接働きかけることで世界を変えていく「直接的方法」。自分を過小評価しすぎないことが大切です。二つ目は、自分と同じ理想を目指す人を支援する「間接的方法」。多様な方法で目的に向けって数んでいけることが強みです。三つめは、自分が望まない方向へ進むチカラに与さない「消極的方法」です。独善的で利己的になり過ぎないように注意が必要です。この三つの方法を適宜使い分けていくことで、自分が理想とする世界に近づけていくことができます。

・あなたが今の世界に対して不満に思っていることは何ですか?
 それが解消された世界が、あなたの理想の世界かもしれません
・理想の世界の実現に向けて、自分が直接できそうなこと、誰かを支援すること、やるべきではないことは何でしょうか?
 身近なこと、小さなことから考えてみましょう。

あなたへの問いかけ

他人へ向かう目的:自分の存在を他者へ還元

他人へ向かう目的とは、「自分の存在を他者へ還元」することを目指すものです。自分が生きる過程で得られたことを他者へ与えることです。与えるものは、自分が持つ知識であったり、何かを生み出す技術であったり、物事の考え方だったりと様々です。

人には本能的に社会性が備わっており、他者に対して何らかの貢献をすることが自己の幸福につながります。他人の利益になる行為を利他的行為と言いますが、この目的はまさに利他的な目的と言えます。

「自分の存在を他者へ還元」することは、「能力の発揮」と連動して、相乗効果が得られます。「能力の発揮」を目指すことで自分の能力が向上し、その向上した能力で他者を自分のいる高みに引き上げることができます。他者を引き上げている間にも自分は能力の向上を続けているので、常に他者への還元が続けられ、利他的な幸福感を感じ続けられる正の循環を作ることができます。

多くの人が気付いていない自分の価値

多くの人は、自分が唯一無二な存在であることを自覚していません。自分の価値に気付いていません。本来、私たちは一人一人が独自の人生を歩んでおり、必ず他者とは異なる所を持っています。その違いが他者への還元の源泉になります。

今の社会では、社会の用意した共通の基準によって人の是非や能力の高低を測ることが多くあります。それは、偏差値であり、学歴であり、年収であったりします。これらの基準を絶対的なものと考えて、自分はあの人より劣っているとか、自分は社会の平均以下であるなどと認識し、ついには自分は何の能もない役立たずだと考えてしまいます。

しかし、冷静になって考えてみてほしいのです。社会の用意したこれら基準は、この複雑な世界と多様性に富んだ私たちの全てを正しく判断できるものでしょうか? 私はそうは思いません。

学校のテストで良い成績の人は、テストで出題されたことに正しく回答する知識や能力を持っているということでしかありません。高学歴の人は、入学試験に受かるだけの学力を持っており、単位を取って卒業する力を持っていたということの証明でしかありません。年収の多い人は、年収の高い企業の選考過程を通過するという能力や、お金を稼ぐ事業を上手く作り上げた実績を持っているというだけでしかありません。

勿論、これらに必要な能力は、それ以外の様々ことでも役に立ちます。知識や技術を身に付ける力、それを継続する自己管理能力や集中力は汎用性の高い力でしょう。

しかし、学校のテストで人間関係に関する力が測れるでしょうか。学歴で物事の本質を深く理解する力が測れるでしょうか。収入はその人の人柄の良さを表しているでしょうか。

世の中には様々な能力があり、それらは用い方次第でこの世界のどこかで必ず役に立つものです。他者への共感能力の高い人は、社会において組織や集団の維持に重要な役割を果たします。物事の本質を見抜く人は、議論において本当に重要なことを浮き彫りにし、組織をその方向へ正しく導くことができます。こういった能力は、一般的な社会常識に当て嵌められた基準では測ることのできないものです。

そして、こうした能力は個人の才能と経験によって培われて行きます。全く同じ遺伝子を持ち、全く同じ経験をして生きる人は自分以外にはいません。その意味で、私たちはそれぞれ独自の能力を持っているのです。それ故に、私たちはユニークな存在であり、唯一無二の価値を持つと言えるのです。

筆者のクリフトンストレングスの診断結果
全く同じ資質の順番を持つ確率は1/295,232,799,039,604,140,847,618,609,643,520,000,000(1/34!)

私たちはそれを自覚し、それを生かす場を見つける、或いは創り出すことが大切になります。それが、他者へ還元する源泉となり、他者への貢献を通して自分の幸せに繋がっているのです。

誰かひとりよりも優れていれば価値がある

そうはいっても、自分に強みや長所などないし、得意なことも自分より優れている人は幾らでもいると思うかもしれません。確かに、殆どの場合、自分より優れた人は幾らでもいるでしょう。その人と比べると自分など大したことはないと卑屈になるのも分かります。

しかし、ここで重要なのは比較する相手です。比較すべきは、自分より優れている人たちではなく、自分よりは劣っていて、自分の得意とするところに興味関心を抱いている人たちです。私たちは、自分より優れている人に何かを教えることはありません。常に自分よりも知識や技術などが劣る人に対して教えたり与えたりします。誰も、自分より成績の良い友達に勉強を教えたことはないはずです。

自分の強みや得意なことが、たとえ世間の平均以下でしかなくとも、それを与える相手が自分よりも劣っていれば、その人を自分のいるところまでは引き上げることができます。それは、与えられる側にとっては間違いなく価値のあることです。それに、多くの場合、自分が得意なことは、それが得意でない人よりも優れています。また、世間の平均よりも優れている傾向にあると思っています。こういった点からも、自分の強みや長所を知る自己理解が重要であることが分かると思います。

図.他者に還元できる範囲
教える側の能力は、世間の平均ではなく教えられる人より相対的に高ければ良い

自分の存在を他者へ還元のまとめ

「自分の存在を他者へ還元」とは、自分が生きる過程で得られたことを他者へ与えることです。私たちは、社会の常識で自分たちを判断し、しばしば自分の能力を過小評価しがちです。しかし、能力とは、その人の才能と経験の掛け合わせによって培われるものなので、私たちそれぞれ固有の能力を持っていると言えます。その能力を、自分よりは劣っている人たちに向けることで、その人たちに自分の能力を与えることができ、それによって私たちは幸福を感じることができるようになります。この幸福を目指すことが、他者を目的とする「自分の存在を他者へ還元」を目指す意味となります。

・自分を社会の常識で評価しているませんか?
 その評価基準だけで自分を評価するのは危険かもしれません。
・自分が得意なことで、他の人よりも上手くできることはありませんか?
 それに興味のある他の人に教えてみてください。その時に自分の中にどのような感情や感覚が生じるのかも感じてみましょう。

あなたへの問いかけ

未来に向かう目的:自己の継承

未来に向かう目的とは、「自己の継承」を目指すことです。これは、自分の魂を他者へ継承することで死後もこの世界に影響を残すことです。魂とは、自分の思想、価値観、信念などの個人を個人たらしめる要素のことです。

個人は死んでしまえばそこで終わりです。生物としての本能に従って子孫を作っていたとしても、遺伝子は継承できても自分の魂は継承できません。これを他者へ継承するとは、例えば、文章を書くことに生きがいを感じているのなら、自分が感じている文章を書くことの素晴らしさを、口述、執筆、動画作成など、何らかの方法で他者に伝えておくことです。

想像してみてください。生前にどれだけ高い能力を持とうと、どれだけ巨万の財をなそうとも、死後に存在を忘れ去られ、何の影響も残せないことは虚しいことです。それは生きていなかったことと大した違いはありません。だから、生きていた証として、自己の継承を目指すのです。

拡張された自分という存在

確かに、死後のことなどどうでもよい、生きているうちに自己満足ができればその後のことは気にしないという人もいるでしょう。生物としては遺伝子を後世に残せればよいでしょうし、本能的に自己満足できる生き方ができればそれでよいでしょう。そう考える人は、私は否定しません。

しかし、私は、人間とはその存在を自己にとどめずに周囲にまで拡張していく存在だと思っています。それは、自分だけでなく、生きている間に関わっていた周囲の人や物、或いは社会そのものに対しても、自分事の様に考えてしまう生き物ということです。

これに関しては、本川達雄の『生物多様性「私」から考える進化・遺伝・生態系』という本が大変参考になりました。この著者は、『ゾウの時間ネズミの時間: サイズの生物学』で有名な生物学者ですが、生物多様性の大切さを考えるうえで、「私」という存在の範囲について論じています。軽妙な語り口で面白く読めると思うのでお勧めです。

また、実は現実社会においても、自分の死後もこの世界を重視する考えは根付いています。そうでなければ、世界中の多くの国に遺言に関する法制度などないはずです。遺言は、自分の死んだ後のことを書き記すものです。それに関する法律が存在しているということは、人類にとって自分の死後のこの世界のことがどうでもよいことではないという証左になると思います。

死を意識することの利点

自己の継承を目指すことは、同時に死を意識することでもあります。ある調査によれば、死を意識している人ほど、他者への貢献や交流の意欲が高い傾向にあるようです。

Microsoft Word - リリース【現役世代の死生観】.doc
死を意識している人ほど、周囲との関係性を大切にしている傾向がある

また、死を意識している人ほど、幸福度が高いという調査結果もあります。

Microsoft Word - リリース【現役世代の死生観】.doc
死を意識している人ほど、幸福度が高い傾向

死への意識と幸福度の因果関係までは分かりませんが、人生に終わりがあるということを認識することで、その間に他者と関わり、自分の持っているモノを他者へ還元することが、幸福度に関わっているのかもしれません。

これは推測ですが、私たちは本能的に自分という存在を他者に伝えたいのかもしれません。それ故に、死を意識すると自分が生きた証を残したくて他者と交流をしたくなり、それによって幸福になる。その点では、「自己の継承」は人間の本能に基づいた欲求を満たすことなのかもしれません。

自己の継承のまとめ

「自己の継承」とは、自分の魂を他者へ継承することで死後もこの世界に影響を残すことです。生前の努力も死後に何も残らなければ虚しいだけです。それを避けるために、自分の生きた証を他者に対して残すことが自己の幸福につながります。人は自分という存在を、自分が関わったものも含めて拡張していく生き物です。そのため、自分の死後にも拡張された自分のことを考えることは自然なことです。そして、自己の継承とは自分の死を意識することでもあります。死を意識することが、他者への貢献に繋がり、それが自己の継承とそれに伴う幸福につながります

・自分の死後もこの世界で大切にされてほしいことはありますか?
 自分だけでなく、みんなに大切にしてほしいことがあれば、それを自分の中だけにしまい込まずに、何らかの方法で外部に発信してみましょう
・自分の死後、自分の影響が何も残らなかったとしたらどう思いますか?
 虚しさを感じるでしょうか、それとも特に何も思わないでしょうか? 自分にとって大切な人にとっても何も影響を与えられていなかったとしたらどうでしょうか。

あなたへの問いかけ

おわりに

かなりの長文になりましたが、ここまでお読み下さり本当にありがとうございます。

「人生の目的とは何か」という問いは、私の中では長年の課題でした。人がどのように生きるべきか、それを考える上での「型」のようなものを作れれば、それを基に各人が考えて自分なりの目的を見つけられるのではないか。その様な思いから、今回の4類型の目的を整理しました。

この目的の4類型は、実際にはそれぞれ重なり合う部分もあって、独立して4つの方向性があるというものでもありません。本文にも書いたように、「能力の発揮」における能力の向上は、「自分の存在を他者へ還元」する際の還元の源泉にもなります。また、「自分の存在を他者へ還元」することがそのまま「自己の継承」に繋がることもあるでしょう。なので、どれかの目的について考えた結果、それが他の目的でもある、ということもあると思います。それは一向に問題のないことです。

さて、あなたの人生の目的は、他人が教えてくれることは決してありません。他人が具体的に「これを目指した方がよい」と言っていたら、それを鵜呑みにせず、「自分にとってもそれは正しい目的となるだろうか?」と考えてみてください。それを判断するために、私が書いたこの記事や今まで書いた記事、或いはすでに世に出ている様々な人の意見も参考にしてみた上で、最後は自分で決めるようにしてください。

人生の目的は一生に関わることです。ここでコスパだのタイパだのを気にしてはいけません。世の中には効率性を求めるべきこともあれば、どれだけ時間が掛かっても愚直に取り組まなければならないこともあります。人生の目的は後者です。その間は「目的を見つけることが当面の目標」と自分に言い聞かせて、じっくりと納得のいくまで考えてみてください。きっと、納得のいく答えが見えてくるはずです。

最後に、人生の目的に関すること、何でも構いませんので是非ともあなたの意見を聞かせてください。質問やご意見は勿論、批判の意見もお互いの主張を洗練するのに大変有用です。また、もしこの記事に価値があると思われたなら、是非とも他の方へ記事のシェアをお願いします。自分が良いと思うものを広めていくことは、社会へ向けた目的における間接的方法になります。

次回予告

次回以降は、人生の目的に関するより具体的なこととして、自己理解の方法や私自身が実際にどのような目的を設定したのかについて書いていこうと思います。また、別のテーマについても書いていきたいと思っています。人生の目的以外にも、人生に関わる様々な書きたいテーマがたくさんありますので、興味があれば、是非ご覧ください。

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記事をお読み下さりありがとうございます。 もし、あなたの目的と私の目的が近いと感じましたら、目的に向けた間接的アプローチとして、応援をして頂けますと幸いです。一緒によりよい世界を目指していきましょう。