〇〇は善です
「ビジネスとかマーケティングとか見聞きすると、すーっと眠くなるひと
ー?」
ときかれれば、
「はーい!」
と、手を挙げてしまうであろう私ですが、言います。
「有料noteの販売・購入は善です」
です。
理由は単純です。
noteというプラットホームを維持するには、お金がたんまり必要です、きっと。
維持費が維持できなければ、noteのサービスは終了してしまいます。
広告が見られないnoteですが、どこを収入源にしているのか、ちょっと不思議に思っているくらいです。
イケハヤさんとかはあちゅうさんとかホリエモンさんとかが、noteにもたらす収入でもってるんだろうな~、きっと。
あざっす!
御三方のような貢献はもちろんできませんが、note内でお金が動けば、一件一件はささやかであっても、その手数料がnoteの収入となります。
自分自身のnoteを、そして、自分がファンであるクリエイターさんのnoteを守るために、一人一人が出来ることの一つに、有料noteの販売と購入があります。
「有料noteの販売・購入は善です」
と、あえて大げさな言い方をしました。
といいますのも、有料よりも無料でnoteを公開する方が善行であるように感じる、また、他人(ひと)がそうするのは全然いいと思うけれど、自分が有料noteを作るとなると、悪行とまではいわないけれど、うっすらと罪悪感を覚える等は、あるあると思われたからです。
これを言ってる私自身が、サポート機能を閉じているヘタレですもの。
罪悪感や後ろめたいというよりは、万一サポートをいただいた場合、すぐにはお礼のメールを送れず、ずるずると先伸ばしにしているうちにますますメールしにくくなったらどうしようブルブルとか、そういう、 しょうもない理由なんですけれどね。
そう、ヘタレなんです。
自分が無料でnoteを公開していることを、「善行である 」と思っていたら、それはそれでかなり恥ずかしいぞとか、ぐちゃぐちゃ考えちゃうくらいの。
でも、ここで「勇気」という言葉で煽るのは好みじゃない。
アドラー心理学でいっそう名を上げた感のある「勇気」ですが、煽りワードに使われちゃっていますよね。
むか~しからの話ですが、「体罰を与える勇気」とか、「信念あっての体罰を与えたことが理由なら解雇されても構わないという勇気」とか、問題の「すり替え」にも使われやすいですし。
「告白する勇気」とか。
オマエが職を失うか否かというオマエの問題じゃないだろう、オマエの信念も性癖も聞いてないよ、とかの当たり前のツッコミを覆ってしまうマッチョワード。
と、そんな、勇気が苦手な私でも、実際、自分が有料noteを設定するのは勇気がいるな、ハードル高いなと思うと、そこを越えた他人様の勇気にもブラボーしたくなります。
どっちだよっ。
で、何が言いたかったかといえば、今後、有料noteを出すことがあるかもしれないという予告でした。
小金を稼ぐよりも読まれた方がうれしいタイプなので、返金機能はあり。
捨てアカでの購入はもちろん、立ち読みも歓迎します。
クレジットカードが使えないから、オレとオマエの仲だから、タダで読ませて、等のご相談も承ります。
有料noteのプレゼント機能もありますしね。
…という感じかも。
じゃないかも?
それでもよかったら買って下さい。
ではまた、その時はよろしくお願いします。
(要は袋とじ機能として利用という感じです)。
【追記】
小金を稼ぐよりも読まれた方がうれしいタイプ
⇒小金を稼ぐよりも読まれた方がうれしいヘンタイ
ですね。
そういう人、たくさんいらっしゃると思います♥