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9月24日 アメリカのオーガニック食品のジレンマ
読書感想文の発表からちょっと時間が経ってしまったが、マイケル・ポーランの『雑食動物のジレンマ』から気になった部分を取り上げよう。
第9章「ビッグ・オーガニック」はアメリカのスーパーマーケット「ホールフーズ」のお話しから始まる。
ホールフーズ? 日本人には聞き馴染みのない店の名前だ。まずホールフーズとはなんなのかから始めよう。
ホールフーズとはアメリカを中心にカナダとイギリスに展開しているスーパーマーケットチェーン店で、主に「オーガニック・フード」を取り扱っている。
1978年、ジョン・マッキーが個人で始めた小さなお店がその起源である。1980年、「Clarksville Natural Grocery」と合併し、そこで従業員19人による「ホールフーズ・マーケット」が開店した。この年がホールフーズの創業年となっている。
本社をテキサス州オースティンとし、アメリカを中心にカナダ、イギリスへと店舗を拡大し、2011年には304のチェーン店を抱えるほどとなった。
2017年Amazonがホールフーズ・マーケットを137億ドルで買収。これによってAmazonでもオーガニック食品の取り扱いが始まった。
といっても日本にないお店だ。気軽に行ってみるというわけにもいかないので、マイケル・ポーランのレポートを読んでみよう。
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ホールフーズの特徴の一つは、商品一つ一つに「物語」が添えられていることだ。その一つを取ってみよう。
「この牛は自然豊かな植物に溢れた高原や、ポプラが生い茂る森、セージブラシで一杯の平原で育ちました」
ほうほう……文章を読んでいると美しい自然の風景が浮かぶ。きっとこの牛は美味しいに違いない。ホールフーズの客はそう思ってパックをカゴに入れるわけである。ホールフーズ商品というのは、こういうイメージを喚起するようなメッセージが必ず付けられているものなのだそうだ。
行ったことないから知らんけど。
しかし、文章を一つ一つしっかり精読していると、なんだかおかしなことに気付く。
例えばとある牛乳に付けられたメッセージには、
「ふつうの殺菌より一段上の加工処理である超高温殺菌が施されています。この処理のおかげで長期保存が可能となり、消費者にメリットがございます」
別の牛乳にはこう書かれている。
「こちらの牛乳には超高温殺菌は施されていません」
一方では超高温殺菌が施されていることがアピール文句になっているのに対し、別の牛乳では超高温殺菌が施されていないことがアピール文句(つまり加工処理が少ないからオーガニック度合いが高いという)になっている。
妙なところはそれだけではない。牛肉のメッセージ文を見ると、ある牛は「風雨から牛を守る小屋や快適な休憩所、ゆったりしたスペースで育ちました」と書かれているが、別の牛肉は「私たちの牛は一年中緑の牧草をはんで育っています」なんて書かれている。前者の牛肉には「牧草地」という言葉が抜けている。ひょっとして、牧草を食べずに育ったのだろうか……。言葉の抜けがあるとかえって気になる。
しかしごく普通の消費者にとって、商品の一つ一つに「物語」が付与されていると、なんとなくポジティブなイメージが喚起される。普通のスーパーマーケットへ行くと、商品に付与された情報というのは「値段」だけ。値段だけ見てその商品が良いか悪いか……なんてものは素人には判別付けづらい。
日本のスーパーマーケットは基本的に商品にまつわる情報は「値段」だけだ。しかも日本人はデフレマインドが染みついてしまっているから、値段は安ければ安いほどよい。安ければなんでもいい……という考え方で行動してしまっている。その商品がどこで誰が作ったか……なんて気にしない。
時々、「私たちが作りました」と生産者の写真を出したりしているところもあるけど、正直なところ、あれもどうなのかな……という気がする。「で?」という感じだ。その作物や肉がどのように生産されたのか……ということが見えてくるわけではない。顔写真はその商品の品質を保証するものではない。しかし不思議と顔写真が一つ貼ってあるだけで商品への信頼度はグッと増すわけである。なぜそうなるかというと、私たちは生産者の見えない社会の中を生きているからだ。
ちょっと横に逸れてしまうがこの話をしておこう。日本人はスーパーマーケットに並ぶ商品の一つ一つに対し、「誰が」「どうやって」作っているのか……という現実感が希薄になっている。生産の場が私たちの生活の場から遠ざかりすぎている。こういう問いに、ほとんどの日本人は気付きもしない。スーパーマーケットに行けば商品があるのが当たり前。コンビニに行けば商品があるのが当たり前……という世界観の中を生きている。当たり前だからなにも考えない。こういうところで日本人の思考力はどんどん減退していっている。
いや、こういうのは高度工業化社会を作り上げてしまった国の人々すべてに当てはまる話だ。自分たちの社会がどのように、どういった人間が作り上げているのかよくわからない。自分たちが属する社会があまりにも広大であまりにも複雑すぎて、その内実がどういうものなのか、もはや考えることすらしない。それが「当たり前」だから考えなくてもいい……という状態になっている。そこで問題になっているのは「リアリティの喪失」だ。
現代人に与えられているのはお金だけであって、社会と関わる接点はお金だけ。お金だけのやりとりですべてが終わってしまっている(つまりお金さえ出せばなんでも手に入る、という感覚)。そうした社会がもたらすのは「孤独」だ。お金さえあれば誰とも関わらず生きていくことができる。その代わりに喪ったのは人間同士の関わり。本当なら、その人間同士の関わりの中にこそリアリティはあったのではないか?
話を戻そう。アメリカのオーガニック専門店であるホールフーズが提供しているのは、結局のところ「田園のストーリー」だ。そのストーリーを見て、消費者は商品の良し悪しを審査する。良いと思ったら商品をカゴに入れる。ダメだったら見送る。実は商品ではなく、ラベルに貼り付けてあるストーリーを審査しているのではないか……。
と、私はホールフーズに行ったことがないので、マイケル・ポーランがそう書いているという話である。
本にはホールフーズのマーケティング・コンサルタントのコメントとしてこう書かれている。
「この店の買い物客は有機商品を買うことによって純粋な体験をしているのであり、現代社会のメリットは損なわれないまま、ユートピア的過去に戻ることを演じているのだ」
私たちは工業化社会がもたらす巨大な文明の中で過ごしている。しかし頭の中にはいつも田園風景がある。文明社会の利便さを享受しながら、頭の中で贅沢暮らしをすることへの“後ろめたさ”を抱えている。そこでオーガニック食品を買うことで、「田園風景のユートピア」に回帰している気分だけを味わっている。オーガニック食品を買うエンタメ的な要素とは、つまり「そういう気分」を味わうことにこそある。
マイケル・ポーランはジャーナリストだから、ホールフーズに並ぶ商品……つまり牛がどのように育てられているのか追跡している。
とある農場へ行くと、こんな風景だった。
牛舎を覗き込んでみると、何千頭ものホルスタイン牛が敷き詰められ、牛たちは一生のうちで一度も草を目にすることはなく、ドライロットと呼ばれる柵の中に閉じ込められ、穀物をひたすら食べさせる。牛たちが食べている穀物は「有機認定済」のものなのでご安心を。牛たちは搾乳機に繋がれ、一日3回搾乳され、牛乳は超高温殺菌処理が施される。
……おや? 工業型畜産とどう違うのだろうか?
アメリカには驚くことに「オーガニックTVディナー」なんてものがあるそうだ。電子レンジで数分温めると手軽に食べられるオーガニック食品だという。
こちらの商品も2つの国と6つの州から取り寄せられた31種類の原料で作られている。細かく内容を見ると、高オレイン酸種紅花油、グアーガム、キサンタンガム、大豆レシチン、カラゲナン、天然グリルフレーバー……どれも合成添加物だ。ただし、どれも政府が「有機食品です」と認めている範囲内の添加物だ。
だんだん雲行きが怪しくなってきた。いったい何を持って「オーガニック食品」なんて言っているのだろうか。
どうしてこうなったのか……話を始めるといろいろあったのだ。
1990年頃、アメリカで「アラール騒動」と呼ばれる問題が起きた。農薬アラールの危険性が問題視され、消費者は安全安心を求めてオーガニック食品を求めるようになった。この時、有機栽培農家もチャンスとみて生産性を増大させる。
ところがオーガニックバブルは長続きせず、あっという間に萎んでしまう。この時に農地を拡大した有機栽培農家は大損し、資産をいろんな企業に売り渡してしまうことになり、かえって有機栽培農家は縮小してしまう。
一方で、大手食品企業もオーガニック食品の需要の高さについて真剣に考えるようになる。この時点で、オーガニック食品の主導権は大手企業に委ねられるようになる。農務省は大手アグリビジネスの言いなりだから、規制をどんどん緩めていく。あれもオーガニック、これもオーガニック……という感じだ。恐ろしいことにこの一件にはあのモンサント社も一枚噛んでいて、有機食品のカテゴリーの中にGMO(Genetically Modified Organism=遺伝子組み換え生物)、放射線照射、下水汚泥肥料も加えられることになる。さすがにモンサント社の提案は猛烈な反発があって撤回されたが。
とにかくもオーガニック食品が儲かる……という話が出た途端、大手企業とロビィストが政府に介入し、「オーガニックの定義」はどこまでも薄められてしまった。そうすると「本当の有機栽培農家」の介入する余地がなくなる。アメリカには「有機食品認定」というものがあるが、そのハードルは実に低い。結果的に、マイケル・ポーランが「工業型オーガニック」と呼ばれるものがスーパーマーケットに並ぶ……というオチになるわけである(私は「エセ・オーガニック」って言うけどね)。
消費者は食の安全を求めて、少々値段の高いオーガニック食品を求めるが、実はすでにオーガニックの定義は薄められていて、農薬たっぷり使った慣行農業とほとんど変わらないというのが実態だ。
最終的に「オーガニック的なもの」がどこに残っているかというと、ラベルに添えられているメッセージ文だけ……というわけである。
「この牛は自然豊かな牧場で育ちました……」
日本のオーガニック食品は……大丈夫なのかな?
話が長くなってしまったので次回に続く。次回は有機農法の提唱者アルバート・ハワード卿のお話し。
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