2018年春期アニメ感想 あまんちゅ! あどばんす
海と少女。この両者の美しさを描く。それだけに一点突破した作品。少女と水辺というモチーフはうまく噛み合っていると思うし、描写の仕方がいい。少女の華奢な面が強調され、はかなさと美しさが表現できているし、性をいやらしくない程度に感じさせてくれる。少女のメランコリックな気質とポエティックな台詞、描写も噛み合っている。時々、描き手側が我に返って恥ずかしがっているように感じられるが、そういうところも可愛げがあっていい。
水辺の風景も美しい。青い海、淡い空、白い雲。そこに何のくすみはない。絵画ならではの嘘のような美しさ。異境的な美しさが充満している。そうした中で戯れる少女達の姿が、何ともいえず美しい。どこを切り取っても眼福。夢なのか現実なのか、いやアニメだからこそ、どちらともいえない世界の両立がある。
ただ描写に引っ掛かるところが少しある。
水中のシーン、キャラクターがスライドと髪のなびきリピートのみ……。テレビシリーズの予算だとそうなるのは仕方ないかも知れないが、あまりにも海の光景をアニメ的なパターンに落とし込みすぎていて、その空間の特別さが薄れてしまっている。
第2話にはボーイッシュな女の子、岬こころが登場する(男の娘かも知れない、という期待は残しておきたい。今のところ「シュレディンガーの性」ということにしておこう ※)。
小日向光と岬こころが一緒にタコの親子を観察する物語が始まるが……。あまりにも漫画的に省略しすぎじゃないだろうか。せっかく海洋生物を観察する……というお話に1エピソードを割いているのに、描写を省くのはいかがなものだろう。あの描写で現実の海を真摯に見詰めた作品……とは思えなくなってしまう。
猫のちゃ顧問の描き方も実に奇妙だ。動物に愛着がないのだろうか……?
※ 第11話にて「男の娘」と明言される。やったぜ。
第4話は夢のお話。ホウキに乗って見知らぬ女の子と共に空を飛ぶ。もともと、現実自体がふわふわした作品だから、ホウキに乗るファンタジーも可愛らしいお話と受け止めることができる。
問題なのが第7話からの「延々に続く学園祭」。気持ちはわからぬもないが、何番煎じだ。押井守監督『ビューティフル・ドリーマー』以降、似たような物語はあまりにも作られすぎている。
この作品ならではの独自色があれば感心もするのだが、そういうのは特になし。“ありがちなお話”で延々3エピソードも消費する。展開も結末もだいたいわかっている内容を3話も追いかけていくのは、少しつらかった。
ここに『ピーター・パン』がモチーフとして使われているが、描く前に『ピーター・パン』の物語やその背景について、もうちょっとしっかり勉強してから描いてほしかった。ピーター・パンをモチーフとして使う理由や、この作品ならではの解釈、独自性があれば印象はがらっと変わるのだが、そういうのもなし。ただ『ピーター・パン』の名前を使っただけ。動機が安易だ。
問題の第7話から9話までのエピソードを引けば、概ねが女の子と水辺の物語、という軸はそこまではブレていない。物語は秋から冬へ、メインテーマであるダイビングはやや後ろに引っ込んでしまったが、少女と水辺、全体に漂うフワフワした印象はずっと変わらない。少女達は水辺で、終わらぬ夢を描き続けている。夢の延長のような物語。そうした世界観を漂う楽しさはある。