映画感想文 シン・エヴァンゲリオン完結編 Ⅲ エヴァンゲリオンってこんなに尻アニメだっけ?
はい、ここまで読んできた人はご苦労さん。字ばっかりで退屈だったでしょう。サリンジャーとかシリンジャーとか、内容も意味不明だったでしょ? 書いたやつもアホなんでテキトーに流せばいいんです。
ここからは一気にIQを下げて、画を見ながら一言感想文を書きます。尻品評会もちょっとやります。
今回のエヴァンゲリオンでどうしても気になったのはこちら。
『エヴァ:破』でもアスカは魅惑的な尻を見せてくれたけど、今回も惜しげなく尻見せてくれます。拝みましょう、拝みましょう。ありがたやーありがたやー。
あーなんでアニメは臭いがしないんだろう……
ベッドを舐めこんでの股間です。ひかがみも良いですなぁ。
レイ(仮称)も尻見せてくれます。いいですなぁ~。ツルツルのプラグスーツのおかげで、お尻のラインがより魅力的に映えています。
でも、なんで今回のエヴァはこんなに尻・股間がメインだったのだろう。今までならオッパイもそこそこ見せてくれたような気がするけど、今回は尻がメイン。うーん、オッパイも見せて欲しかったなあ。
もしかして演出に高村和宏が……いるわけないか。
私がこれまでエヴァの尻に目が行ってなかっただけかなぁ?
他に気になったといえば、リツコの顎。リツコさんって、こんなに顎しゃくれてたかな?
『~Q』とキャラデザ変わってないはずだから、私が忘れてただけなんだろうね。今回の完結編を見て「リツコさん、えらくしゃくれてるなぁ」と気になって仕方なかった。
とりあえず今後は「しゃくれリツコさん」と呼びます。
伊吹マヤのsi★ri!
伊吹マヤはテレビシリーズの頃は可愛かったなぁ……。完結編ではしゃくれリツコさんとの対話がちらっとあったけど、二人のレズビアン関係って、あれから動きがあったのだろうか。
ケンスケ「さあついたぞ。無人駅の跡地を利用したセルフビルドハウスだ。好きに使ってくれ。トイレはそこの車両の奥だ」
……と、台詞にある。
トイレはそこの車両の奥……え? あの崖に突き出してる車両の奥ってこと?
そうか床に穴を開けて崖にウンチを落とす仕組みか……。でも風が吹いたら揺れるんだろうなぁ。落ち着いてウンチできそうにない。
アスカの裸を見ても何にも反応しないシンジ。DSSチョーカーを見て、ゲロっちゃう。
旧劇場版の時は、アスカの裸を見てオナヌーをやりはじめていた。ということは、それだけの元気はまだあった、というわけだ。ただひねくれているだけで。「性欲」というのは生命エネルギーと直接結びついているし、精液には「精力」…すなわち生命の力が備わっていると昔から考えられていた。
でも今回はいよいよその性欲すら起きないくらい、精神的に追い詰められている。
その後のシーンでは首にバンダナを巻き始める。それくらいの配慮はあるわけだ。
レイ(仮称)かわいいよね。今までは綾波レイがそんなに可愛いとは思わなかったけども、『シン・エヴァ』のレイは好き。
農業体験を通じて、様々な感情を獲得していくレイ(仮称)。こういう体験も、都市生活では得られないもの。
都市生活になると、それぞれの感覚や感動は、何かしらのメディア(ビデオなど)を通じて……ということになる。あらゆる実体験(リアリティ)を喪う。これが私たち都市化した人間が抱える問題。
私たちは「教養なんてめんどくせー」なんてつい思っちゃうから、エンタメ化していないとその文化に接しようともしない。だから知恵がないくせになんでも(それが利口だと思って)合理的に考える癖が付いちゃう(ろくに知恵もないから、その合理的思考も対して役にも立たない)。
レイなんかはそういうエンタメとも接しないから、感情なんてものがない。
今回は農業体験を通じて、泥臭くもともとの人間社会が持っているはずの感情を取り戻していく。
……と、いうのが前半過程で描かれているもの。
ちょいと余談。
オタクが社会に出るとただの「厄介な人」になりがちなのは、オタクはネットでしか社会と関わっていなかったから。ネットでいつもやっているように、気に入らないことがあったら高圧的になって怒鳴りつければいいと思い込んでいる。
でも、それは実際の社会生活ではダメ。どんな場所でも基本的な「礼儀」を通さないと、伝えたいことも伝わらないし、意味のないところで揉めたりする原因にもなる。
でもオタクはネットでしか社会と接してないし、ネットは誰もが知るとおり「マウント社会」。あのマウント社会が現実でも通用すると思い込んでしまっている。オタクと呼ばれる人にこういうタイプは本当に多い。こういうのも実体験(リアリティ)を持たない都市生活者の弊害。
最近ではなくても、現実よりもネット掲示板の方に真実があると思い込んでいる人が多くなっちゃったから……。あんなところに「真実」なんぞあるわけないでしょ。
だから現実のコミュニティと関わるってことが大事なんだよ……とこういう話はきちんとしておきたい。
シンジに無理やりレーションを食わせるアスカ。
驚異のワンカット長回し。実写ならいざ知らず、アニメでこれをやるのか……。やっぱりロトスコープかな?
このシーン、なぜかアスカはプラグスーツを着ている。
作業的な話をすると、カメラがグリグリ回るから、ヒラヒラしているものがあったら作画が大変……というのもあるんじゃないかと。乳首見えちゃう……てのもあるし。乳首は見えて欲しいけど、レーティングが上がっちゃうからなぁ。
このあと、シンジを追跡するためにプラグスーツを着なければならないけど、シンジが家出するとは、この段階では思ってないはずだし……。じゃあ、このシーンでプラグスーツを着ている究極理由ってなんだったんだろう?
とりあえず口に食べ物を突っ込まれて、シンジは少しの元気を取り戻す。
これも結局は元気の源は食べ物……って話。精神の安定性……というと何か抽象的に聞こえるけど、ちゃんと食べてちゃんと寝ること、この基本を守れば、元気は自ずと戻ってくる。肉体の健康と精神の健康はだいたいにおいて連動するものだ。精神を立て直したかったら、ちゃんとした生活をきちんとさせることが大前提。……というのは、鬱病の経験がある庵野秀明監督だから出てきた発想かな。
で、アスカは無理やりシンジの口に食べ物を突っ込んで、シンジの立ち直りを促す。
またレーションを食べて、今度は泣き始めるシンジ。感情が戻り始めていることがわかる。
性欲も戻ってきてくれたら、いよいよ復活……というところだけど、今作ではあまり性欲の部分には触れなかった。そういう話でもないからかな。
別作品だけど、『メイドインアビス 劇場版』にはレグがナナチに触れているうちに性的に高まってしまって、それで人間性を取り戻す……という場面がある。ちょっとお気に入りのシーン。『メイドインアビス』らしい人間主義的な描写。
「君の名は。」
たぶん、村パートの作画監督って、『君の名は。』の田中将賀じゃないかな?
知らんけど。
あ、マドハンドだ!
経験値稼ぎじゃー!
今回世界中のあっちこっちに、南極の地下にもエヴァが大量にいたけど、あれはなんでだったんだろう?
封印柱のデザインを見て、なんだか『ブレスオブザワイルド』みたいだなぁという気がしていた。
赤い光が通っているけど、これはたぶんデザインではなく、表面に刻印された信号を読み取っているか、順番に起動させているかしているんだろう。細かい原理はわからんけど。
ケンスケの頼まれごとを引き受けて、微笑むアスカ。
アスカが微笑むのって、『~Q』以降の劇場シリーズでは珍しいような気がする。ケンスケに対しては気を許してたんだね。
掌にアザ……。スティグマータ(聖痕)だね。
この子はなにかしらの「犠牲」になりますよ……という暗示だ。
映画の最後の方。碇ユイ登場シーン。槍を掌で受け止めている。さらに掌には十字のサイン。
レイ(仮称)にスティグマータが出現したのは、このシーンの予兆だったような気がする。正しい関連性はよくわからない。
綾波レイがはじけ飛ぶ。その後に、十字の光……。使徒っぽいものだったんだろうね。
シンジはどうやってここに来たの?
側には鈴原トウジの診療所にいた犬。ああ、トウジに連れてきてもらったのね。
アスカ「お前は女房か!」
劇場シリーズでは珍しいギャグ調の台詞。まあ、あまり笑えないんだけど。
テレビシリーズの頃はもっと笑えるシーンが一杯あったのになぁ……。久しぶりに「庵野ギャグ」を見たい。
マリの尻。尻見せているシーンは一通り載せていくよ。
ここの本の描き方だけど、構図ごとに密集の仕方が違う。こんなふうに都合良く空間を変えて描けるのは、絵だからこそだね。
私には絵がどうこうよりも、女の子の乳と尻にしか興味がない。
富士山引っ掛けてるけど……。
黒き月がなんなのかわからないけど、それを引きずって進むネルフ本部。まずツッコミどころは、ネルフ本部そのものが動くんかい!
こんなでかいものが動いていたら、宇宙から見たら目視でわかりそうなものだけど、南極にやってくるまで発見されず。
いや、捕捉していたけど、エヴァ建造がまだだったからヴィレも動けなかったからかな?
ところで、「黒き月」って結局なんだったんだろうね。月から持ってきてたの?
散髪。
……ところで、ここどこだろう?
少しシーンを遡ると、アスカとマリが共同で暮らしている部屋の、天井部分であることがわかる。
それはわかったけど、なんでこんなステージみたいな作りにしているんだろう?
マリ「姫が紛れもなく人間である証じゃないの」
という台詞の後に、眼帯の奥がきらめきだす。十字の光ってことは……、
そう、車田正美! 彼女は黄金聖闘だったのだ!!
車田正美漫画はやたらこんなふうに目が光っていた……なんて話をしたって、若い子はわかんないよね。年寄りでもいきなり車田正美って言われて困惑しちゃうか。
はぁ~滑った滑った。
地球儀。
こんなふうに映像で見せるってことは、何かしら意図があると思うんだけど、それがわからない。なんだろう?
見せたいのはヨーロッパかアフリカか……今回のお話だとどこを示したいんだろう?
回想シーン。『~破』から『~Q』の間に起きたらしいシーンだけど、いったいなんなんだろうね。いろいろあったみたいだけど、さらっと流れていく。
さっきの本一杯の部屋とは違うみたい。どこだろう?
そういえば、さっきの部屋にはベッドがなかったから、ベッドルームとリビングは別なのかも知れない。
無重力空間を、ちょっと極端なレンズワークで描いている。しかもフルコマ。作るのは大変だろうけど、ちょっとしたシーンでも見所あるシーンになっている。
こういうシチュエーションを、プラグスーツの女の子が移動しているというのは、たまらない気持ちになりますなぁ……。ナイス股間です!
いいよ~ナイス股間! ナイス股間!
マリ「自己紹介まだだったね。私はマリ。真希波・マリ・イラストリアス。改めてよろしくね。ヴィレのワンコ君」
あれ? 名乗りは初めてだったっけ?
そうか『~破』の時は顔を合わせただけで、『~Q』の時はすぐにヴンダーから出ちゃったから、ずっと会ってなかったのか。
マリにとっては『~破』で顔を合わせたのは14年前だけど、シンジにとってはさほど遠い昔でもないんだね。
シンジとマリの関係って、設定やストーリーを追いかけていくと薄い。対して関係を築いてないので、だから最後のシーンを見ると唐突感がある。「物語」としての「理屈」を通してない。そういうシーンが一杯ある。でも、そういう作りじゃないんだよね。今回のお話は構造だけでお話を作っている。
動画の一コマじゃ何が起きているかわかりにくいよね。ヴンダーの先端が敵艦に突き刺さって、翼ではたいているところ。
私はこのシーン、「戦艦大相撲」と呼んでいる。
エヴァ7号機が一杯! 頭が髑髏なのは死のシンボルだけど、頭の輪っかは天使のシンボル……ってことは……なんだろう? よくわからん。
というか、ネルフはどうやってこんなものを大量に作ったんだろう。冒頭の兵器にしても、ネルフはもはやゲンドウと冬月しかいないような状態なのに。ネルフはもはや存在がイマジナリーだね。
お! Gガンダム! 石破天驚拳!
石破天驚拳ってことは、やっぱりエヴァはロボットアニメだね!
ああ、そうか。自分の目玉に封印柱をブチ込んで、使徒としての力を押さえ込んでいたのか。
エヴァの呪いって、使徒になることだったのかな?
碇ゲンドウがヴンダーに現れるシーン。
しゃくれリツコさんはゲンドウの姿を見るなり、いきなり発砲。
そういえばこの二人、「男女の仲」だった頃があったね。ほんの一瞬。私怨があるのかな。
鈴原サクラちゃんのsi★ri!
北上のお尻も映ってるけど、そっちにはあまり興味ないや。尻差別する気はないけど、キャラクターがあまり好みじゃないんだ。
ここのアクションシーンを見て、すぐに「あれ?」ってなった。建物の動きがやたらと軽い。どの建物にも基礎が作られてなくて、エヴァがぶつかっても破壊せず、ずるっと位置がずれてしまう。
こんなふうに動く理由があるとしたら……
……あーわかったぞ。これ「セット」だな。
この辺りで、セットだと確信した。ビルの向こうに奥行きがなくて、いきなり空が見えている。
ほーら見ろ、特撮セットだ。しかも東宝スタジオ。1回目の視聴の時は、さすがに「東宝」の刻印まで気付かなかったけれど。
ミサト「私たちで新たな槍を作り、彼の元へ届けます」
とのことだけど、何のことやら。
ヴンダーが乗っ取られていたとき、黒き月を素材に槍を生成していた。じゃあ、この艦を使って新しい槍を作れるんじゃないか……という理屈だけど……。
まったく意味がわからない。
こういうところは「設定」的なところを突っ込んでいってもわからないんだろう。これもたぶん何かしらのモチーフがあって、それになぞらえた描写だと思うけど、ネタ元がなんなのかわからない。知っている人からすると、「ああ、あれだな」とピンと来るんだろうけど。
こういうところも、ストーリー的な理屈を追ってもわからないところ。理屈なんて通ってないし。構造で読まないとわからない。
2次元の世界に、突如出現するリアルな3D顔。
こういう、抽象度に変化を付け、さらに意味を持たせられるのはアニメの特権。実写では不可能な表現。ここで3Dの顔は、より高次な存在を表現するために使われている。
でも、それを美しく描くのではなく、下から光線を当ててちょっと不気味に見せている。「肯定的な存在」じゃないってことだね。
冬月が乗る艦に潜入するマリ。
ちょっと変な描写なんだよね。いったいどうやって潜入したの?
しかも潜入を終えた直後、エヴァに戻っている。
この辺りも、お話の整合性がとれてなく、イメージ優先で作られている場面。でも、そういうのも「別にいいんだ」という感覚で作られている。
ストーリー的な整合性や「設定」を詳細に描き込んでいたら、3時間のとんでもない長編になっちゃうし……。
最後の場面で、昔の姿に戻るミサトさん。ここが良い。
帽子とサングラスは本性を表に出さないための覆面みたいなもの。もともとのミサトさんは、人懐っこい性格だからね。感情豊かな女性。でもその本性を隠さないといけないから、いつもサングラスをかけて腕組みなんかをして、気を張らなくちゃいけなかった。
でもやっぱり最後には全部さらけ出して、突撃する。いやー熱いね!
で、最後のシーンだけど、駅にミサトさんはいない。他の場面でもたぶん、存在しないことになっている。他のキャラクター達は別の世界に送り出されたけど、ミサトさんはここで死んだから。
実は碇ゲンドウと碇シンジは似たもの同士だった!
……まあ、そこはだいたい察していたけれど。
碇ゲンドウのATフィールドをすっと突き破って、シンジはウォークマンを差し出す。
ああ、そうだったんだ。カセットテープのウォークマンなんてずいぶん古いの使ってるな、と思ってたけど、父親のものだったんだ。シリーズ始まった頃からあった謎がやっと解けたよ!
ファム・ファタール(運命の女)であるユイさん。
でもよくよく考えれば「魔性の女」よね。
結果的に碇ゲンドウと結婚するわけだけど、冬月もユイに惚れてたみたいだし、どうもマリもユイには惹かれていたみたいだし。
極めつけには、「ユイにもう一度会いたい」という気持ちだけで世界の破滅に導いてしまうゲンドウ……そこまで思わせてしまう、ってところに「魔性の女」が現れている。
月。月といえば綾波レイ。
月には「あの世」という意味も含んでいるそうなので、絵でユイの死が予告されている。
こういうオッサンが電車の隅っこでこんなポーズを取っていると、
「ああ、リストラされたのかな」
とか思ってしまう。
エヴァ・イマジナリーは不思議なことに頭部だけが3Dで、他は2次元。
手だけ浮かんでいるから、なんとなく『スマブラ』シリーズのマスターハンドを思い浮かべてしまう。
ゲンドウ「大人になったなシンジ」
なんだか寂しそうな父親の顔。
実はゲンドウがこの作品において、一番複雑な人物だった。そこがようやく描かれたのが完結編だった。
ゲンドウ「願いを叶えるためには報いが伴う。子供は私への罰だと感じていた」
「願いを叶えるために報いが伴う」というのが『エヴァンゲリオン』の基本ルール。悪魔との契約みたいなもので、大切なものを代償として支払わなくてはならない。だから、どちらにせよ、ゲンドウはユイには会えない……というロジックが存在していた。
冬月はゲンドウに協力するけれどもユイには会えないし、ミサトさんは息子とも会わない。悪魔のようなロジックだ。誰一人、幸せにならない。
真っ赤な背景とシルエットになっているキャラクター。
最初観たときはたいして気にもせず。赤い色はエヴァのカラーだし、それまでの精神世界映像も赤がメインカラーだったし。
でもこのシーンをふと見て、「ああ、ウルトラマンかこれ!」と気付いた。
『シン・ウルトラマン』をよろしく!!
さて、一人一人が送り出される場面だけど……ここから作画スタッフによるアスカへの愛情が爆発する。おいおい、ここだけ明らかに作画違うじゃねーか。誰が描いたかわからねーがアスカへの愛情出過ぎじゃないか。
ここであまりにもアスカへの愛情を出し過ぎたので、次のシーンが平凡に見えてしまう。バランスが悪いけど、でもいいシーンにはなった。
浜辺のシーン。まだまだアスカへの愛情が大爆発している。描いたの誰だよ、最高の作画じゃねーか! 名乗り出ろよ、褒めてやる!
シーンは赤い海を前にした砂浜。わかると思うけど、旧劇場版ラストシーン。カメラワークも旧劇場版と完全一致のカットがある。
要するに、同じシーンをリピートしている。
旧劇場版の時は、碇シンジは目の前の他者を排除しようとアスカの首を絞めてしまうが、それすらできず。アスカも目の前の他者を受け入れられず「気持ち悪い」と。
それが今回は相互の思い合って、ラストを迎える、ハッピーエンド。
要するに『エヴァンゲリオン』は全員相思相愛ハーレムエンドに到達しないとゲームオーバーのギャルゲーだったわけだ。ああ、ギャルゲーって言ったけど、男も結構いるよ(ゲンドウ君にカヲル君)。エヴァ完結に必要なフラグがなんだったのか、というとハーレムエンドだったんだ。
一つ手前のアスカのシーンが大爆発しちゃってるので、続くカヲル君のシーンが平凡に見えちゃう。
まあいいや。男に興味ないし。
なんとなく気になる蛇口。
このカットの後、正常な状態の蛇口が出てくる。
これなんだろう? エヴァ13号機を現してたのかな? よくわかんない。
綾波レイを送り出す場面。
でも送り出す姿を描くわけではない。いきなり姿が消えちゃう。
これはなんだろう。アニメキャラクターは神様みたいなところがあるから、「生物的に死」なんてものを描いてもそれは「描写」に過ぎず、実際に死んだわけではない。だから、「姿を消す」みたいな描き方をしたのかな。
マリは『エヴァ』シリーズに対する押しかけ女房みたいな存在だったなぁ。
あ、この野郎、女の扱い方を心得やがって! わー殴りてー。
お話の途中で、とーちゃんに「ひ弱なお前には……」とか言われるシーンがあるけど、あれは「お前はひ弱であれ!」という呪いだし、シンジはとーちゃんの呪いを受けて自己内罰的な性格になっていたのであって、本来はこっちなんだろうね。
振り返ってみれば、シンジは意外としっかり「立ち向かう男」だった。理不尽にあって逃げちゃう時のイメージの方が強かったわけだけど。
でもすっかり「たらし」になったなぁ……殴りてー。『学園エヴァ』をハーレムエンドで終えた主人公だから、こんなもんか。あー殴りたい。
女の扱い方も含めて、本当に大人になったってことだろうね。寂しいけど、これが『エヴァ』の終わり方だ。
25年間呪いの中であがき続けて、戦い続けた人には「お疲れ様」という思いが強い。私も「もっとエヴァを」「もう一度エヴァを」なんて求めないよ。よく逃げずに最後のこのシーンまで行き着けたものです。
さよならエヴァンゲリオン。もう振り返らないよ。
海外の知人にエヴァンゲリオンについて聞いてみる。
実はFacebookを通じて、海外の人と時々やり取りしている。
Amazonで『シン・エヴァンゲリオン完結編』の世界配信が決定したとき、私はその知人達にそれぞれの国での『エヴァ』の受容について尋ねてみた。
まずベトナム人の意見。
ベトナムで『エヴァンゲリオン』はあまり受け入れられていない。
事情を話すと、ベトナムは1993年まで戦争をやっていた。
戦争というのはアメリカとの戦争ではなく、カンボジア・ベトナム間で起きた中越戦争で、Wikipediaによると「1989年に終結」とあるのだが、ベトナム人の肌感覚では1993年ということになっているのだろう。
戦争の直後、というのは国内状況が荒れていて、アニメ以前にテレビもほとんど放送されていなかった。
『エヴァンゲリオン』のテレビ放送は1995年。ベトナムはまだ混沌期を脱していなかったので、『エヴァンゲリオン』が放送された最初のインパクト期を逃すことになった。
今ではベトナムはアニメが人気でテレビ放送もされているし、ネット配信もされているが、人気の作品と言えば、『ドラゴンボール』『コナン』『ドラえもん』『ナルト』『ワンピース』といった作品に集中している。ランナップを見てわかるように、大衆的な人気作品が中心となっている。おそらくはまだ『エヴァンゲリオン』のように複雑で緻密なストーリーを持った作品を見るほどにまではコミュニティが成熟していないのだろう。
ベトナムの知人も、まだ『シン・エヴァンゲリオン完結編』は見ていないという。話の内容からしても、さほど関心は持っていないようだ。
ちなみにベトナムにおける今期の覇権アニメは『東京リベンジャーズ』だそうだ。
次はスーダン人の知り合いに『エヴァンゲリオン』について尋ねてみた。
スーダンと日本との国交は2017年頃まだほとんどなかった。日本にとってスーダンは完全に未知の国だった。
ところがスーダン人の彼によると、アニメははるか以前からスーダン国内で人気のコンテンツで、多くの人が見ているという。日本からしてみればスーダンは未知の国だが、スーダンからは日本は憧れの国となっていた。
「スーダンは世界で4番目にアニメを見ている」……という彼の話だが、おかしいなと思って私も調べたが日本からはスーダンにアニメを輸出していない。輸出しているかも知れないが、私の持っている本にはデータとして載っていない。
はて? 彼らはどうやってアニメを見ているのだろうか……??
それは後ほどゆっくり尋ねよう。
テレビアニメの『エヴァンゲリオン』はスーダンでは1996年には視聴されていたそうだ。日本から1年遅れだ。
その『エヴァンゲリオン』に関する評判や、映画の感想について尋ねたかったが、交流している過程でなぜか彼は気分を悪くしてしまった。どうやら私が何かしらの「禁止ワード」を言ってしまったらしい。残念ながら、スーダンにおける『エヴァンゲリオン』がどのように受容されているのかは尋ねられず。
いったい私の発言の何が禁止ワードだったのか、今でもピンと来ない。国際交流はこういうところが難しい。
ちなみにスーダンで今人気のアニメは『東京リベンジャーズ』だそうだ。
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