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7月7日 国家公務員は国民を憂いたりはしない。

 私がこのブログでしょっちゅう語っていることの一つに「認知能力」というものがある。
 その目安になるのが「ダンバー数」という概念で、ダンバー数とは、人が一度に認識できる人数は150人が限界だ……という説だ(提唱者はイギリスのロビン・ダンバー先生)。人は150人までなら顔と名前とプロフィールを一致させて認識できるけど、150人を超えると漠然とした「群体」としか認識できない。
 といっても、ダンバー数は「目安」程度の話なので、個人差は大きい。300人くらい認識できるという人もいれば、50人くらいで限界……という人もいるだろう。

 ここから私が考えたのは、「果たして人間が認識可能な“コミュニティの数”はどれくらいだろう」ということだった。これに関する考察を示した人はいないけれども、私の予想では、認識可能なコミュニティの数は「3」くらいじゃないか……と考えている。
 なぜ3なのか……というと大雑把な「勘」くらいの話だが、しかし人間はそれくらいしか一度に認識することはできない。3つのコミュニティが限界……ということは、家庭・職場・友人関係の3カ所。これを越えると、理解できない世界になってしまう。

 みんなも覚えがあると思うが、自分の知らないコミュニティに対して、「あいつらは下らない連中だ」あるいは「あいつらは悪い奴らだ」と、知りもしないのにそう決めつけたことはあるだろう。私にも覚えがある。
 どうしてそのように考えてしまうのか……というと認知能力の限界がそこにあるから。認知能力の外になると、急速にわからなくなってくる。わからなくなると、警戒感から「あいつらは下らない」「あいつらは俺たちよりも劣っている」などなど考えるようになってくる。
 私は最近部族社会の本を読んでいるのだが、部族社会では近隣の、あまり交流のない部族の人たちを、「あいつらは悪い奴らだ」「あいつらはくだらない連中だ」と嫌悪感たっぷりに語る。この感覚と同じだ。

 ところで、どうして大企業は下請けイジメをするのだろうか。この理由について、私が考えている仮説が、「認知能力の外になるから」。
 大企業が下請けイジメをするのは、大企業のトップになると利益しか考えない外道になるから……ではなく、単純に下請けの世界が「認知外」になるから。その認知外の職場で大きな問題が発生していた……なんて話を聞いても、その大変さが理解できない。「なにそれ? 問題ある? 我々には関係ないでしょ」……認識外だから、大企業のトップはそのように考える。
 大企業が下請けの問題を気にするようになるには、下請け企業の従業員の話を聞いて……ではない。たくさんの消費者達が声を上げて、自分たちの直接の評価が落ちる……という問題に直面した時だ。自分たちが「ヤバい」という状態に直面しないと、大企業は下請けイジメをやめることは絶対にない。なぜなら前例がないからだ。

 という話から、こちらの動画をどうぞ。

【大スクープ】自民党・積極財政派が暴いた財務省のスキャンダル〜PB黒字化目標に隠された罠(城内実議員・中村裕之議員・三橋貴明)

 作画作業をやっている横で、テキトーな動画を流していたのだけど、ふとこういう動画が流れてきたので紹介。
 国会の内側、特に財務省の内側で何が起きているのか……ってな話だけど、いろいろビックリするような話が一杯あるでしょ。
 この動画で何がわかるのか、というと官僚達の認知能力。官僚たち……というのは非常に頭が良い人達だ。IQでいうと、私たちの2倍以上は軽くあるでしょう(えーっと、じゃあIQ200以上かな。アインシュタインもビックリ!)。しかし認知能力は……というと私たちとほぼ変わらない。
 財務省官僚がどうして国民を苦しめる政策を推進し続けるのか。この期に及んで消費減税に着手すらしようとしないのか。それは国民が認知外の存在だから。彼らの脳内には「国民」なんぞいないんだ。私たちは認識されていない。認識があったとしても、せいぜい「下々の民」……つまり「人間以下」という認識。彼らは省内の出世や勲章獲得に忙しくて、自分たちの作り出した制度が国民にどんな影響を及ぼすのか……なんてことは考えない。
 政府がどうして時々どうしようもないクソ政策を打ち出すのか……というと、たぶんこういう理由。最近でいえば、「レジ袋禁止」もそうだよね。本当にクソ政策。官僚達にとって、国民の暮らしがどうこうよりも、「政策を通した」ということそのもののほうが重要で、「政策を通した人間」として名前を残したいんだ。クソ政策であっても。

 と、私が語りたいのは別に政治の話ではなくて……。
 ここからわかるのは、知能というのは学習によって伸ばすことはできるけれど、認知能力というものは鍛えることができない。人は広い視野を持って物事を考えることはできない。自分の知っている範囲で物事を考え、その中で、自分が上か下か……ということだけを気にする。官僚のような、私たちよりはるかに頭のいい人達でも、その省内における政治や出世しか見えなくなってしまう。
 もしも官僚が優れた認知能力を持っていたら、国民の暮らしを見て、「これはマズいぞ!」と思うはずでしょ。でもそう考える官僚がいないっていうことは、認知能力は鍛えることができないもの、という証拠でもある。

 でも実はこの認知能力についてだけど、やっぱり人によって高い・低いというのはある。人によっては認知可能なコミュニティの数は2とか1という人もいるだろう。それはIQというような知性や学習能力といったものとはもう一つ別のもの。認知能力は鍛えることも、「視野を広げる」ということもできない。おそらく一生、固定のものだ。

 という話の続きは次回。

つづき


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