6月20日 【雑談】君たちは本当にオタクになりたいのか?
雑談です。
最近のアニメ界隈の話で違和感を感じていることの一つに、「オタクの特徴」というものがある。
オタクを現す特有の表現「好きなものに対しては早口になる」とか「語彙力をなくす」とか……。
別にそれはオタクにありがちな傾向でも何でもない。いつからそういった人間観が「オタク特有の」ものと見なされるようになったのだろうか?
私自身の記憶を遡っていくと、確かにそういう人達っていたよな。うん、昔からそういう人はいた。でも、私が若かった当時、そういった人達は必ずこう言っていた。
「いや、俺はオタクじゃないから」
どういうことかというと、その時代は「オタク」は「レッテル」だった。相手を見下すときや、自分たちとは一線を引きたいときに使う言葉だった。アニメを観るし、やたらとテンションだけで語るくせに、自分はオタクではないし、オタクと呼ばれるのだけは断固拒否。むしろオタクと呼ばれたらその時点で、社会性を失うと考えられていた。そういうのが20年前。
もちろん、作り手のことなんか知ったこっちゃない。「作り手? なにそれ。オレたちが気持ちよければそれでいいんだよ」というのが20年前のオタク。実際、それくらいの年代のオタクは、作り手に対して、敬意なんて一切持っていなかった。消費はするが、尊敬はしない(そういう意味では、今のオタクは作り手に対する認識が違うので、進化したといえる)。そういうのが普通。私の知り合いも、消費はするが、作り手は基本的に見下していた。
で、私はそういう「俺はオタクじゃない」と言っていた人達から「お前はオタクだ」と言われていた。そして、見下されてきた。「たまたま一緒のグループになったけれども、お前は友達じゃないからな」と暗に言っていたわけだ。「お前とはある一定以上仲良くなることは絶対にないからな」と。「他のみんなとご飯に行くけど、お前だけは誘わないからな」……と(本当に一回も誘われなかった)。そういうふうに、一線を引いていた。
(時を遡って、そういった人々と仲良くしたかったか……と聞かれると絶対にNO。後で思うと、「最低だったな、あの人達」と思い当たるとことが一杯あるもの)
そういう時代を経てきた今はおじさん世代とかなっている人は、今でもそういう感覚のはずだよ。アニメも観るし、ゲームもやるけど、「いや、俺はオタクじゃないから」って言うはず。
じゃあお前はなんなんだ……っていうと、「別になんでもない普通のオジさん」って言うはず。
でも、今の若い世代は逆なんだ。かつて「いや、俺はオタクじゃないから」って言っていたタイプの人達が「オタク」という称号を欲しがっているわけだ。それ、本来レッテルなんだけどな……。自分から言うものじゃないんだよ……と。
言葉というものは時代とともに変わるものだから、これが今の時代における感覚だから、時代に照らし合わせると正しいんだ……という意見もあるだろう。でも違和感はずっとある。
違和感を感じている表現といえば「wwww」。私はこの表現を基本的には使わない。なぜなら「wwww」は嘲りの表現だからだ。相手を侮辱するときの笑いとして「wwww」が考案され、広まっていった。
だから私はこの「wwww」は使わない。これは相手を侮辱するときの表現だと知っているからだ。笑いを表現するときは(笑)を使う。いくらオッサンっぽいと言われようが、「wwww」は侮辱表現だから使わない。相手に対して失礼に当たるからだ。
オッサン世代の人は「wwww」は侮辱表現として使われていた時代のことをよく知っているから、みんな使わないはず。若い世代に言いたいのは、「wwww」は本来侮辱表現だから、気軽に使うもんじゃないよ、と。世代によっては今でも侮辱表現として受け取られる場合があるから。特に、社会人になってからは使っちゃダメ。目上に対して使うような表現ではありません。
これも大昔の話じゃない。せいぜい、10年とかその範囲での話だ。今の10代の若い世代も、侮辱表現としての「wwww」はリアルタイムで観ていたはずなのに、なぜか「侮辱表現」というニュアンスだけ抜け落ちて、単に「笑い」の表現だけが残っていった。文章中の笑いを表現するのに都合がいいから……ということじゃないかと思うけど。いくらなんでも信条というものがなさすぎじゃないか。
これも「言葉は時代とともに意味が変わるから」というやつだけど、やっぱり違和感がある。どうして違和感があるかというと、本質が抜け落ちちゃってるから。ガワだけ抜き取って、その言葉がどういった意味やニュアンスがあったか……ということが失われちゃってる。
本来逆なんだ。本質を残して、ガワが変わっていく……というのならわかるのだけど、本質が抜け落ちちゃった。
それがいくら何でも変わりすぎなんだ。せいぜい10年とか20年。本来の意味とは逆に使っちゃう世代がもう出現してしまっている。それも、「それ、言っちゃだめなやつだぞ」という言葉を平気で使っちゃってる。これはなぜだろう?
じゃあどうして本質が抜け落ちちゃったのか、というと社会で「これはそういう意味だ」と定めて残さなかったからだろう。
例えば「すべからく」という言葉。アニメで台詞として出てくると、「すべからく警察」が大挙してやってくる。「すべからくの正しい意味はこうだ!」と。どうしてそんな反応がくるのかというと、国語辞典に載っているから。「正しい意味はこうだ」という定義がちゃんと国語辞典に載っている。
例えば最近、なにかと問題になりやすいコンプライアンスについて。コンプライアンスの定義は日々変わるものだが、社会でこういうものだと定義しているから、コンプライアンス違反があると、色んな人が大騒ぎする。
(それも曖昧なものなので、私はコンプライアンスに関する議論に参加するつもりがまったくない。大騒ぎする人が一人でもいれば「問題だ」といういい加減な世界だし、そういうもので表現が狭められている……というのが実体だからだ。コンプライアンスを言い過ぎると、「より良い社会」ではなく、「面倒くさい社会」が来るのは明らかだから、私はこのコンプライアンス問題について何もコメントしない)
「オタク」や「wwww」はそういう定義がなく、社会だけが変わって、その前景を全く知らない無邪気な若い世代が、なんの考えもなしに使い始めた。だから本質が抜け落ちて、ガワだけが継承される。
「オタク」なんてそもそもレッテル表現であって、自称で使う言葉じゃないんだけど、今の若い世代は「オタク」を勲章だと思い込んで使っている。正直なところ……かなり引いている。それ、自分で自分をウンコと言っているのと同義だぞ……って。「お前はオタクだ」とレッテル貼りされたら、その時点で友達は全員去って行く。つまり「社会参加」が認められなくなってしまう。「オタク」は「穢多・非人」とほぼ同義語だった。
それを若い世代は、自分自身に使っている。だから私は違和感どころか、奇妙に感じている。
それでもどうして若い世代が「オタク」を(完全な勘違いだが)勲章として欲しがっているのか。たぶん、自分自身を定義付けする言葉が欲しいんじゃないかな。自分自身がなんというキャラなのか。自分というアイデンティティがどこにあるのかわからないから、「オタクだ」と自分を定めることで安心感を得たいんだろうな。
これも10年前や20年前と逆で、昔は自分が何者であるか、みんな定義付けされるのを嫌っていた。
どうしてそういう反応になるかというと、定義付け、つまりレッテル貼りされると、即座に社会参加の機会を喪うから。例えば「お前はオタクだ」とコミュニティの一人を指して定義付けしたら、自分は相対的に「オタクではない」ということになり、安心ができる。自分より下の人間がいる、と安心ができる。あとは「オタクだ」と決めた相手も毎日いじめればいい。そうすれば心の安寧が得られる。
「オタク」だけではなく、色んなことに対してこれをやっていた。お前は「○○」だろ、そして自分は相対的にそれではない。ということで安心感を得る。
20年前の若者はみんなこれやってたんだ。クズでしょ? そう、普通の人ほどクズなんだ……と私は早い時期に学んだ。
「○○キャラだ」と定義付けされたら、その瞬間、攻撃の対象にされる。だから自分は何者でもない、普通だ。何の取り柄もない。特技もない。平凡だ。だからノーマルなんだ。ノーマルだから、危険のない人間なんだ……。これが20年前の若者のメンタリティ。
なぜそう振る舞っていたのかというと、それは将来的な社会参加への不安が大いにあったからだった。社会からあぶれるんじゃないか、という不安をみんな抱えていた。就職できないんじゃないか、結婚できないんじゃないか。その前の世代がひいたレールから外れるんじゃないか。みんなそれが不安。不安から逃れるために、自分は何の特技も取り柄もない平凡な人間ですぅぅぅ……とやっていた。
(そういう世代が、あるとき急に生まれてきた子供の変な名前を付けるようになって、「なんだアイツら?」ってなったわけだけど。社会に流されやすいのも「普通の人達」の弱いところ。「不慣れな者ほど奇をてらう」という言葉があるけど、平凡平凡でやってきた人間がいきなり個性を出そうとしたってうまくいくわけがない)
それが今の世代では逆。
どうしてかというと、何かしらのキャラであると自身をカテゴリー付けしないと、社会参加ができないから。コミュニティに参加できないから。
昔の若者も「社会参加への不安」があって没個性的な人間になりたがっていたわけだけど、今の若者も同じく「社会参加への不安」があってオタクになりたがっている。これが本質であって、「オタク」といった言葉は、大きな社会の流れから見ると、ガワなんだ。
テーマは一緒なんだ。ただ、社会観が180度変わっちゃった。
今の「オタク」になりたがっている若者にいいたいことがあるとしたら「アニメを観たら即座にオタクになるわけじゃないぞ」ということ。せめて物事の本質や、歴史的な経緯を知ろうとしなさい。まず「オタク」は蔑称であって、自分で言うような言葉じゃない。そういうのを調べて見極めて、こだわる……というのがオタクの生き方。「粋人」の生き方がオタク的な生き方。単にアニメを観ているからオタクです……というのは別にオタクでもなんでもないよ。それはオッサン世代が「いや、俺はオタクじゃないから」って言うやつと同じレベルだから。