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12月25日 ソニー&KADOKAWA資本業務提携へ。さて、アニメの未来はどうなる?

 無駄に長いので3行要約。

☆ソニー&KADOKAWAの業務提携で日本のアニメのグローバル展開の道筋ができる。
☆ただしグローバルを意識しすぎてポリコレ重視になっていく可能性
☆やはりグローバルを意識しすぎて、無駄にお金だけ突っ込んだ作品ばかりになり、だんだんつまらなくなっていく可能性
☆結局、「なんにも変わらなかったね」で終わるオチ

 4行だーー!!😆


ソニー、KADOKAWA株式を500億円分獲得


ソニー、KADOKAWAの新株式を約500億円分取得し「資本業務提携」へ。買収ではなく

ソニーグループ株式会社は12月19日、株式会社KADOKAWAの新株式の取得等を目的とする、戦略的な資本業務提携契約を締結したことを発表した。株式の取得によりソニーグループはKADOKAWAの筆頭株主となるものの、現時点で株式を追加取得する予定はないという。

 12月19日のニュースです。
 ここに至るまで、「ソニーがKADOKAWAを買収するんじゃないか」という話題がちらほら出ていたけれど、結果、「業務提携」ということに落ち着いた。
 ソニーグループの発表をみてみましょう。

 今月10月に、ソニーはKADOKAWAの株式を取得にかかる初期的意向を表明。KADOKAWAと協議し、約500億円で新株式1204万4100株を取得。KADOKAWAの株式のうち約10%がソニーグループが保有しているという状態になった。これで資本業務提携契約を締結したということになった。

 これでKADOKAWAコンテンツのよりグローバルな発信が推し進められると言うが……まあどうなるか想像してみましょう。

マンガの海外戦略の問題点とは?


 今回のお話しのネタ元は板越ジョージさんの『結局、日本のアニメ、マンガは儲かっているのか?』2013年出版の本。ずいぶん前に、このブログでも取り上げたよね(note版にはないです)。

 板越ジョージさんは1988年にアメリカへ大学留学。アメリカで国際政治を学んだが、大学では実態がわからないとイスラエル、ロシア、チェコ、グアテマラなどを旅し、見聞を広め、その後の1995年起業。海外における日本のコンテンツを扱うエージェントをやっていたわけだが、その時の経験を活かし、コンテンツビジネスにまつわる著書を多数出版した。
 こういう来歴の人が、海外で得た知見で、日本のコンテンツビジネスのどこに問題があるか……が考察されたのがこの本。

 まずプロローグとして、「日本のアニメ、マンガが世界で大人気!」――これは本当。こういう話しをすると、「いや、そんなのは一部だけだ! 実際は人気じゃない!」と否定する人が一杯出てくるが、こういう人たちのわめき声が空しくなるくらい、人気があるというのは事実。特にコロナパンデミックが流行した2020年初頭から、この人気はもっともっと大きなものになっている。

 では、そんなに人気なのになぜアニメーターの給料問題は解消されないのか?
 それは利益を出せていないから。海外で人気……これは本当だけど、しかしほとんど利益を出せていない。マンガ、アニメ“ビジネス”のほとんどは国内だけで完結しちゃっている。
 アニメーターの給料問題の究極の解は、「収益を出すこと」だが、人気であるわりにはここがうまくいってない。
 なぜこういう状態になるのか、根本を話すと、海外に日本のアニメ、マンガを扱ったお店があまりない。日本は特殊な国だから、本屋に行けばどこでも漫画が売っているし、ゲームショップはあちこちにあるし、アニメのグッズを扱った専門店はすべての都道府県にある。日本にいると、この状態が「当たり前」だと思って考えてしまうが、そんな国は日本だけ。
 フランスでアニメグッズを取り扱っている店は、パリに1店あるのみ……これは20年前に出版された本を元にして話しているから、今はもっとあるかもしれないが、あれだけ「日本大好き」なフランスですら、アニメグッズを扱っている店はほとんどない。
 その他の国にあるか……ない国のほうがほとんどでしょう。

 ちょっとアウトなお話しをするのでディテールを省いて書くが、私はFacebookを通じて海外の友人とちょっと交流している。そこで話しを聞くのだけど、彼らの不満は「好きな漫画の翻訳がぜんぜん出版されないこと」だという。『ドラえもん』とか『名探偵コナン』とか『ワンピース』といった超有名作品はあるけど、「欲しいのはそれじゃないんだ」という。
(『ワンピース』が世界的に人気……というが、これはある意味、「翻訳された国が多いから」という言い方もできるんじゃないか)
 年に1回、アニメをテーマにしたイベントが開催されるわけだが、そこでみんなが注目するのが、今年その国で翻訳出版される漫画作品の発表。そこで自分の好きな漫画の翻訳版がでるか……が注目される。
 アニメもその国の言語に翻訳されたバージョンもぜんぜん出てくれないから、どうやって視聴しているかというと「海賊サイト」。日本で公開されたアニメを勝手に録画し、勝手に字幕を付けて、動画公開している。
 もちろんダメなことだが、しかしそもそも日本側がぜんぜん自分たちの国に向けて作品を出してくれないから……が問題の根本になっている。その国にはっきりと需要がある、求めている人がいる(私も件のサイトを見たが、人気作は動画再生数100万回を超えている)、でも日本が無視し続けている。ならば海賊サイトで見るしかないという状態になっている。

 こんなふうに、日本が海外ビジネスにぜんぜん積極的じゃないから仕方なく海賊サイトで……という国は結構あるんじゃないか。当然ながら、海外サイトで閲覧されたぶんに関しては日本に1円も入ってこない。
 海外の人も、本当なら「公式のサイト」でお金を払いたいとは思っている。その機会を提供してくれない……という問題もある。

 板越ジョージさんは、本にどのように書いているのか?
 まず日本の問題は「リサーチをぜんぜんしない」ということにある。「日本で人気だから海外でも人気になるだろう」という判断の下、翻訳した本を海外に送りつける……ということをずっとやっている。これがダメ。日本で人気だから世界でも人気になる……そんなわけはない。どの国にも「お国柄」というものがあって、「日本ではさっぱりだけど、その国では大人気」という作品もあるはずだ。まずそういうリサーチをやっていない。

『モンスター娘のいる日常』――日本ではほぼ無名の作品だが、アメリカでは年間コミック売り上げ1位にもなったことのある作品。アメリカ人の性癖が見えちゃいます。国によって好きなものが違う……とはこういうこと。

 アメコミのマーケティングと比較すると、1つの例としてDCコミックは制作スタッフ3人に対し、マーケティング担当は5人。一方、ニューヨークにある日経大手出版社では、制作スタッフ7人に対し、マーケティングスタッフは1人。
 アメコミのほうがマーケティングに力を入れている……ともいえるが、ただ「本の点数」を勘案すると、なかなか難しい。マーベルコミックやDCコミックは、マーベルコミックやDCコミックしか売っていない(その中にヒーローは一杯いるわけだが)。一方、日本の漫画は圧倒的に点数が多い。単純比較するのはどうか……というのはある。
 次に日本は「知的財産権法」に対する意識が薄い。アメリカはこちらの専門の法律家がいーっぱいいる。具体的な数字を言うと、アメリカでエンタメ関連を専門に取り扱っている弁護士は2万人いるとされる。一方、日本は1000人以下。これだけの人数で取り扱っているから、コンテンツ産業の海外ビジネスに強味を発揮できる。
 日本のコンテンツで海外ビジネスで大成功している作品……といえば、もちろんハローキティだ。ハローキティのグローバル展開はなかなか凄く、約15000点のアイテムが世界中で展開されている。
 一方、日本のアニメグッズは……はじめに書いたように、まず「取り扱っているお店」がない。アメリカのチャイナタウンへ行けば、確かに日本のアニメグッズは大量に売っている。でもそれらが正式なライセンス販売されたものかどうかわからない。転売かも知れない。
 なぜこういう状態になるのか、それはまず日本側が権利を販売許諾しないから。海外での慣習がわからないから。キャラクターがどのように扱われるかわからないから。……だったらそこで専門の部署を立てればいいのだけど、それをやらない。もし販売するにしてもリサーチしないから、その国で特に人気でないものを販売しようとしてしまう。それで失敗する……これを繰り返す。
 でも需要があることはあちらの国の人はわかっているから、海賊版を作っちゃおうか……という発想になる。

人気が出すぎると、ナショナリズムに火がつく


 では法的問題をきちんとやって、日本の漫画の海外販売に注力すればいいのか……というと、それも危うい。
 よくよく考えてみよう。どの国にも「クリエイター」がいて、作品制作のために身を削っている。しかしその国で日本のコンテンツがあまりにも流行りすぎて、自分たちが作った作品が世に出なくなったら、どう思うだろうか?
「日本の作品のせいで、自分たちが世に出るチャンスがなくなった」
 そんな意識が広まると、「文化的ナショナリズム」が起きる可能性がある。板越ジョージさんはこれを「カリチュラル・エコノミック・ナショナリズム」と名付けている。
 実例は一杯ある。

 こちらは2012年にアメリカのとあるコミックショップが掲載した広告で、物議を醸すことになった。
 ROBAMA wants You to Stop Buying Manga
(オバマ大統領による漫画不買運動)
 「日本の漫画を売って、アメリカのコミックを買おう!」というキャンペーンだ。フロリダ州のコミックコンペンションでは、このフライヤーが大々的に配られたという。
 2010年代頃、アメリカのアニメ・ゲーム販売店では次々に日本を外すムーブメントが起きていた。
 ゲーム業界ではもうちょっと早く、2005年頃から日本のゲーム外しは始まっていた。2005年頃から日本のゲームが海外で、主にアメリカでぜんぜん売れなくなり、「日本のゲームが主導的立場を取れなくなったのはなぜか?」「日本のゲームは海外の流行に対し出遅れている」――という議論が日本国内で出回ったが、実体はアメリカで「コンテンツナショナリズム」が起きて、お店の棚から日本のゲームを外していた……というのが真相だった。
 フランスでも1990年代まで日本のアニメが大人気で、ゴールデンタイムでは日本から買い付けたアニメがバンバン放送されていた。しかし90年代の終わり頃、『ドラゴンボール』の放送が終わった頃から、「日本のアニメを放送するな!」という声がやかましく上がるようになり、放送局もクレームが厄介だし、『ドラゴンボール』というメガヒットコンテンツが完結して一区切りがついたので、アニメの放送を取りやめてしまった。この件は表向きには「日本のアニメは暴力的・セクシャルすぎる」という意見だったが、実体をいうと「日本のコンテンツだから」が理由だ。

 日本でも一時、テレビメディアを中心に過剰なくらい「韓流ブーム」が押し出されていた。その結果、フジテレビ前で大規模デモにつながった。これも「カリチュラル・エコノミック・ナショナリズム」だ。どの国でも似たような現象は起きる……と心得ておくべきだ。
 家電や自動車を輸出しまくったら、それぞれの国の産業にもダメージを与え、それが「反日感情」の切っ掛けとなる。文化的なものも、摩擦の切っ掛けになる。これはよくよく注意しよう。

 こういう意味でも「リサーチ」は重要だ。それぞれの国でどのように販売すべきなのか。過剰にやれば、かえって日本を敵視する言論がそれぞれの国で起きる。相手の国に警戒させず、その国の文化と融合する形で展開するにはどうすべきか……という考え方が必要になる。
 そういう意味でも、ハローキティはうまくやっている。それぞれの国の文化に干渉せず、自分のポジションを確立している。ハローキティ先輩の偉大さから、少しは学んでもいいはずだ。

 結論を言うと、日本のアニメ・漫画は人気はあるがビジネスになっていない。ビジネスをやるための戦略もない。ノウハウもない。海外のアニメビジネスに、「英語ができる」という理由だけで、専門の知識(ビジネススキル)がまったくないスタッフが派遣されたりもしている。思想も戦略もないから、海賊版や転売が横行し、日本側にお金が入ってこない……ということになる。
 しかし、だからといって日本のアニメ・漫画の業界には海外展開をするための金銭的・人材的余裕がない……。そこで板越ジョージさんは「コングロマリット化」を提唱する。
 日本ではアニメでも映画でも、制作するためには「製作委員会」を作る。様々な会社が共同で出資し、利益が出たら、出資した分のリターンを受け取る……というやり方だ。問題になるのは、この方式であると何かを始めるためにはパートナー企業すべてに根回しをしなくてはいけないこと。全員の同意がなければいけない。全員の同意が必要だから、1社でもNGを出したら、その企画は終わりとなる。するとグルーバル展開が遅れることになる。
 こんなことをやっていたら、売れるものも売れなくなる。そこで「コングロマリット化(複合企業化)」だ。すでに海外販売に長けているメーカーがアニメ会社を買収し、作品制作とともに海外販売の戦略も同時に立てていく。
 板越ジョージさんがアニメの業界に関わった心象が書かれているが、経営やマーケティングに長けた人があまりにも少ない。社内に専門の法務部もない。法務部があっても、ほとんど機能していない。現状だと「活かされていない」部分があまりにも多い。もしも業界がコングロマリット化すれば、おのずと経営やマーケティングのプロが流れ込んできて、海外ビジネスが積極的になっていく。2013年に出版された本の中で、このように理想を語っていた。

 で、今年、ソニーがKADOKAWAと業務提携しました。KADOKAWAは映画も作っているし、アニメも作っている。ゲームも作っている。アニメ会社も数社KADOKAWAグループ内にいる。ソニーは世界で家電、オーディオ、ゲーム機を販売している。ソニーと業務提携して期待できること……といえばここから海外販売の道筋ができる可能性だ。

「グローバル」を意識しすぎると作品から個性を喪う


 ここまではポジティブな可能性の話しをしたが、しかし「世界販売」を意識することで起きてしまう、ネガティブな側面の話をしよう。

 最初から「世界で販売する」ということを意識し始めると、「問題が起きそう」な要素はあらかじめカットしておきましょう……。ということになる。日本では気にされない、問題にされないが、しかし世界では問題になる……そういう要素はいくらでもある。

 『キン肉マン』に登場する「ブロッケンマン」。ドイツを代表する残虐超人である。
 『キン肉マン』のアニメはフランスでも放送されていたのだが、ブロッケンマンが登場すると、大炎上だった。そもそも「アニメでプロレス」という題材は、フランス人にとってあまりにも暴力的……と問題になっていたところに、ブロッケンマンが登場。つきかけた火にガソリンを注いだ状態だ。ヨーロッパではナチスドイツをイメージするキャラクターは、国によっては「違法」だ。そんなキャラクターが出てきたから収拾が付かないレベルの大炎上だ。
 ゲーム版『キン肉マン』の海外版ではブロッケンマンは削除されてしまった。
 世界市場を意識するなら、ブロッケンマンのようなキャラクターはやめましょう……ということになる。

 日本の漫画はある意味、自由だ。『聖☆おにいさん』は主人公が仏陀とキリストで、現代をのんびり生きているという物語だ……日本では問題にならない。アメリカで翻訳されているらしく、どうやらセーフ。でも国によってはこの作品、こういう漫画があるということすら明かせない……ちょっとヤバいラインにいる作品だ。

 ハリウッドはこういう意識が行き届いているので、企画・脚本の段階でも台詞やシーンに問題があるか、細かくチェックされる。最初から世界展開が意識されている。
 ところが時々問題は起きる。

 実写版『モンスターハンター』。この映画に、中国人を揶揄する台詞がある……ということで大炎上した。
 しかし、作り手としては意図は逆。中国展開を意識して、中国人の気を引くための台詞を入れたつもりだった。ところが公開してみると「それは差別だ!」ということで大炎上。
 『モンスターハンター』は2020年12月4日公開で、その1日後に上映中止。映画会社はただちにそのシーンを削除したバージョンを中国に送ったが、時すでに遅し、中国全土で上映中止ということになった。中国興行は大失敗に終わった。
 一つ間違えると、こうなる。だからハリウッドは「どの国の人が見ても問題にならない」ことを重要視している。

ポリコレは「万能の倫理コード」という信仰


 こういう問題が先手打って起きないようにしよう……経営側ではこのように考えるのは当然だ。そこでいま重要視されているのが「ポリティカル・コレクトネス」。通称「ポリコレ」。経営する側としては、とりあえずポリコレさえ押さえておけばセーフだ……ポリコレが万能の倫理コードと信じられている。いまポリコレを意識しない作品は、それだけの理由でバッシングにあう可能性もある。

 2024年、アメリカで大ヒットしたドラマと言えば真田広之主演『将軍 SHOGUN』がある。2024年エミー賞をほぼ総取りするほど大絶賛されたドラマだが、批判もあった。こういう内容だ。
「この作品は人種に配慮されていない。なぜ黒人が出てこないのか。この時代の日本にも黒人はいたはずだ」
 つまり、「ポリコレに配慮されていない」という理由で減点をする人はいるわけだ。
 時代背景的な話しをすると、このドラマの時代にはそもそも西洋人はほぼいない。なのに主要キャラクターに黒人がいると、かえっておかしい。
 しかし今の時代、ポリコレは一つの権威的なものとして機能している。ポリコレは絶対だ! ポリコレに反するものは人間として間違っている!……とまで言われている。
 そこで最近の世界展開を意識する作品はポリコレを意識して、黒人は必ず出てくるし、同性愛者も出てくる。黒人はまあいいとして、そこで同性愛者を出す意味あるのかな……実はいろんな作品を見てモヤッと感じている部分はある。でも今の時代、そこで意見をするとバッシングに遭う。それくらいの影響力を持っている。

 では『将軍 SHOGUN』に対し、ポリコレ的に正しい作品を提示しよう。

 UBIソフトの『アサシンクリードシャドウズ』だ。この作品はポリコレ的に正しい。日本を舞台にしていて、メインの主人公は黒人。サブとして女性だ。まさにポリコレ的な優等生だ。しかし、予告編を出した時点で大炎上だった。なぜなら日本文化が軽視されているからだ。
 『アサシンクリード』シリーズと言えば、毎回さまざまな国、時代がモチーフになり、歴史の専門家を招聘して時代考証を徹底することで知られている。それがどうしてこうなったのか。
 こうなった理由は、時代考証よりもポリコレを上に置いちゃったから。そして『将軍 SHOGUN』の事例でも気付いてほしいのだが、「ポリコレ」で重要視されてるカテゴリーのなかに「アジア人」「日本人」はない。これが「ポリコレの落とし穴」。ポリコレ的にOKな表現にしたつもりが、ポリコレのカテゴリーに入れられていない人たちが怒った。ポリコレ重視の危険性は、「ポリコレのカテゴリーに入れられていない人々は軽視しても良い」……という思い込みを作ることだ。
「日本の歴史や文化なんてどうでもいい。それよりも黒人と同性愛者がいるかどうかだ」
 そういう意識がモロに出ちゃった。ポリコレを絶対視するあまり、どこかおかしくなっちゃった……『アサシンクリードシャドウズ』はその一例であろう。

 KADOKAWAといえば「ニコニコ動画」もグループの中にいる。ニコニコ動画といえば、比較的自由な表現の場が保証されている。YouTubeではそういうわけにはいかない。YouTubeでは様々な「問題になる表現」に規制がかかるようになっている。
 例えば「ワクチン」にまつわる話しだ。ワクチン問題について、まず話題にすらしてはいけない。この話題をするとき、「ワクチン」とは言わず、「注射をする仕草」で表現する。もしも言葉や文字で表現したら、その動画は即削除、場合によってはアカウントBANという処置になる。
(ワクチンにまつわる陰謀が正しいかどうかは私にはわからない。しかし実態としてそういう現状がある……とだけ書いておきましょう)
 こんな具合に、YouTubeでは様々な表現が「問題になる」と簡単に削除やBANになる。YouTubeとしては、一つ一つチェックするのは面倒だから、AIにチェックさせて、問題発言、問題表現が出たら即削除。異議があるなら申し出なさい……という対応をしている。
 これからはニコニコ動画もグローバル展開を意識されるかも知れない。すると、様々なNGワードが出てきてしまうだろう。世界展開を意識する過程で、YouTubeと同じく様々な禁止ワードが作られ、政治問題で自由な発言はできなくなるかもしれない。

グローバルを意識しすぎるとお金をかけすぎるようになる


 次の問題は「お金」の問題。
 「ポトラッチ」といえば、ネイティブアメリカンの間にあった奇習のことである。「贈り物合戦」を意味する言葉で、どんな凄い贈り物ができるか――「俺はもっとすごい贈り物ができるんだぞ!」と張り合っていうるうちにとうとう双方が破産する……というものだ。
 このことから、「ポトラッチ」といえば「投資合戦に陥って双方破産すること」という意味になった。
 こういうできごとは、投資の世界ではなく、表現の世界にも起きうる。

 1950年から1960年にかけて、ハリウッド映画は「黄金期」だった。実際この時代のハリウッド映画は凄かった。
 『戦場にかける橋(1957)』『ベン・ハー(1959)』『スパルタカス(1960)』『エル・シド(1961)』……
 この時代のハリウッド映画はとにかく豪華絢爛。大予算を突っ込んだ大規模映画がバンバン作られていた。『ベン・ハー』や『スパルタカス』といった映画を観てほしい。『ベン・ハー』はローマコロッセオそのものがセットとして建造されたし(『グラディエーター(2000)』は一部だけ作られて、残りはCG)、『スパルタカス』は地平線の果てまで人で埋め尽くされるくらいにエキストラを動員していた。あきれるほど凄い。よくこんな映画を作ったな……とただただ圧倒される。現代はCG全盛の時代だが、本当のハリウッド黄金期はこれくらいの時期だ。
 ところが、実は内部はポトラッチ状態に陥っていた。「あちらがあれだけ予算を出したなら、うちはもっと予算をだせ!」……とにかく「でかい予算を出すこと」が前提となっていた。

 それがたった1本の映画がコケただけでミソがついちゃった。
 1963年の映画『クレオパトラ』。主演女優エリザベス・テイラーのギャラは100万ドル。セットも衣装も徹底して豪華に作り込まれ、制作費は4400万ドル(現在の貨幣価値で3億ドル以上)。これだけ金をかけて、コケた。
 たった1本コケただけで、20世紀フォックスは経営危機。つられてハリウッド全体が不況に陥った。たった1本コケただけで、ここまでの影響が出ちゃった。

 ハリウッドは一時、低予算路線に変わり、そこからじわじわと再生して今に至っているが、現代もまた「これポトラッチ状態じゃないのかな……」という状況に陥っている。

 なにを例にしてもいいけど、ここでは『ブラックアダム』を取り上げよう。
 この作品について「興行的にコケた」という話しだけ聞いて、「ああダメな映画なんだね」と思う映画ファンは多いが、興行収入を見て欲しい。この作品の世界興収は3億9000万ドル。コケた、といいながら、実際には4億ドル近くまで稼いでいる。
 しかし「大赤字だった」……と言われる。というのも、損益分岐点が4億5000万ドルだから。
 ちょ、ちょっと待って。4億ドルなんてどうやって稼ぐつもりだったんだ? そんな金額、世界的メガヒットでもしない限り、稼げるわけがない。本当に成功する見込みがあったのか?
 まず第一の問題点として、「金かけすぎじゃないか?」。でかい予算を出すことを前提としていないか。

 2024年、『ゴジラ-1.0』が米国アカデミー賞で視覚効果賞を受賞した。制作費は15億円だ。なぜこの作品が視覚効果賞を受賞したのか?
 アメリカのアカデミー会員というのは、基本的には業界の関係者だ。『ゴジラ-1.0』に投票したのは、アメリカのVFXプロフェッショナルたちである。アメリカのデジタルクリエイターが『ゴジラ-1.0』を称賛したポイントは、純粋に作品が良かった……ということもあるが、わずか制作費15億円であれだけの映像を作りきったから。これがアメリカのクリエイターにとってショックだった。
(1500万ドル以下で視覚効果賞を受賞したのは、『ゴジラ-1.0』の他に『エクス・マキナ』のみである)
「俺たち……無駄なことをしていないか?」
 実はハリウッドのクリエイターも、薄々そう感じていた。無茶な納期で作品を作らされ、無茶苦茶な予算が投じられているが、自分たちのところには(給料として)ぜんぜん回ってこない。みんな問題意識を持っている。問題意識を持っている人たちが『ゴジラ-1.0』に投票した。『ゴジラ-1.0』に投票することが、あちらでVFXをやっている人たちにとっての異議申し立てでもあった。

 ここでは『ブラックアダム』を例に挙げたけど、最近の映画、こういう作品が多い。「売れなくて大赤字」「大コケ映画」と言われている作品でも、念のために興行収入を確認して欲しい。「大コケ」とか言われてるが、実際には1億ドルや2億ドル以上稼いでる作品は一杯ある。1億ドルも稼いで赤字になる……といったら、そりゃ「金をかけすぎだ」(もしも日本で100億円以上も売れたら、それはメガヒットになるはず)。ツッコミどころは「売れてない」ほうではなく「金かけすぎているせい」のほう。

そして崩壊が始まる


 世界スケールで売り出すぞ! ……ということになったら、経営者的な発想として出てくるのはまず「ポリコレを徹底せよ!」だ。ポリコレさえ押さえておけば、どの国で出しても大丈夫なはずだ……。その次に出てくる発想は「とにかく予算をかけろ!」だ。1本1本が大規模化する。
 映画に限った話しではなく、ゲーム界隈もこの影響は受けている。最近のゲームは1本1本の予算が尋常ではない。AAAゲームは制作費1億ドル以上は当たり前。
 それで欧米発のAAAゲームに起きていることは、内容の画一化。1億ドル以上の大予算をかける以上、突飛なことはできない。「売れている路線」に合わせろ、となってくる。E3などの大規模イベントで発表されるから(E3はもうないけど)、とにかく映像のインパクト重視! それで映像は凄いけれども、どのゲームもやっていることは一緒じゃない……というゲームが量産されてくることになる。操作体系まで一緒……ということはAAAゲームでは珍しくない。
 むしろインディーズゲームのほうが実験的なゲームが一杯出ている。資金的な余裕があるはずの大手メーカーほど、新しいことに挑戦できない……という現象が起きてしまっている。
 その結果どうなるのか?

 またしても『アサシンクリードシャドウズ』を取り上げるが、最近、UBIソフト周辺で「テンセントに買収されるんじゃないか?」という噂が立っている。これを書いている時点で結末がどうなるかわからない。
 しかしUBIソフトは「日産のように何年も赤字を垂れ流していて……」というわけではない。この1年、数作が不調だっただけだ。
 2024年8月30日発売『スターウォーズ 無法者たち』、2024年5月21日よりサービス開始の『エックスディファイアント』の2作が立て続けに不評。赤字となった。
 たった2作が不評、次の一手だったはずの『アサシンクリードシャドウズ』が発売前に大炎上……これだけで会社が傾いて、「買収されるんじゃないか?」という話が出てくる。
 それは、まず金かけすぎじゃないの? というしかない。

 アニメの話しをすると、フランス制作の『アーケイン』。この作品もむちゃくちゃ凄いクオリティだが、最近、制作費が発表されて「ゲッ」となった。制作費382億円(2億5000万ドル)である。
 日本の超大作アニメ映画でも30~40億円といったところ。380億円って、もはや何にお金をかけたの、というレベル。

 話題としてどうでもいいけど、ソニーの『Concord』を取り上げておきましょうか。
 制作期間8年! 制作費推定100億円!
 ……という話しだけど、いや、8年もかかったのは迷走してただけでしょ。映像を見たけれど、あの内容だったら1~2年で作れるでしょ。制作費100億円は、もはや何かしらの詐欺にあったのかと……。
 キャラクターがポリコレで魅力がまったくない……と言われるが、いや、やりたいことがなかったからでしょ。やりたいイメージがないから、とりあえずポリコレを遵守したキャラにしておきましょうか……というだけでしょ。
 ついでにぜんぜん告知もされていない。私も、「ソニーの新作ゲームが2週間で配信終了」というニュースを出て、初めて作品の存在を知った。会社のほうもぜんぜん作品に期待していなかったのではないだろうか。

 この1本だけでも、大企業が陥っている病が見て取れる。大コケしたくないから、あのヒット作品と似たような内容にしろ、炎上したくないからポリコレを遵守しておけ――たぶん会社側からそういう指示があったんでしょう。そのうえに制作チームには特に「やりたいこと」がなんにもない。
 その結果、なんの個性も魅力のない作品ができあがりました……。ダメな要素が全部そろっちゃった作品。

 では大予算をかけてコケた作品のその後を見てみよう。

 2023年バンダイナムコは大作MMORPG『BlueProtocol』のサービスを開始させた。
 サービス開始前後はすごい話題になっていたね。色んなゲームメディアで取り上げられ、キャラメイキングシーンがアニメの設定表にしか見えない……アニメキャラそのものがゲームの中に出てきて、冒険ができると話題だった。サービス開始時は最大接続者数が20万人。アカウント数100万人を誇っていた。
 が、2024年8月28日、サービス終了の発表。実際のサービス終了は2025年1月18日でこの記事を執筆している今はまだ稼働している。

 私自身はこのゲームをやっていないので、作品の何が良かったか、悪かったかの話はできないけれども……。

 2024年10月15日、ブルームバーグから妙な記事が配信された。
 バンダイナムコホールディングスで人員整理が始まっている。しかし日本の会社は欧米企業のようにレイオフができないから、一切の業務を与えない「追い出し部屋」に監禁。この部屋に200人からのスタッフが詰め込まれ、そのうち100人が退社したという。

 ちなみに記事を書いたのは望月崇。ゲーム業界関係のちと怪しいネタをよく書く人で知られているが……(『Switch Pro』を最初に記事にしたのもこの人)。
 記事を読むと、スマートフォン向けゲームのサービス終了、任天堂コラボの未発表タイトルの制作中止、そして『BlueProtocol』が短期間でサービスが終了になったことが影響している……と書かれている。
 いろんなタイトルが一気に終了になったから、200人からのスタッフが不要になってしまった。しかしレイオフができないから、追い出し部屋に監禁。その経緯を伝える匿名サイトが一時的に立ち上げられ、この事実が発覚したとされる。
(ちなみに日本年金機構が提供する厚生年金・健康保険適用事業所検索システムを使うと、バンダイナムコスタジオのスタッフが2024年10月から12月までの間で100名ほど人数が減っている事実が確認できる。「100人が退社した」という部分は事実だ)

 まあ、100億円とか200億円の予算を使って大コケしたら、そういうこともあるでしょう。でかい金を使いすぎると、立て直しで大出血することになる。それだけの大予算をかけてコケると、1~2本で大会社でも傾く。
 でも会社としては、会社のプライドをかけて「とにかく凄いものを!」「みんなが注目を集めるものを!」とどんどん予算をかけていく。予算をかけると、失敗を避けて他のヒット作品と似たり寄ったりな作品になっていく。表現で問題を起こしたくないから、ポリコレ重視になっていく。その結果、どこにでもある平凡な作品になり、コケる。大企業が陥る罠である。

 世界で見ると、ゲーム業界のレイオフの嵐が吹き荒れて、この1年で1万5000人が失業したとか……。数字が大きくて訳がわからないが、これだけの失業者が業界内で出た、ということ。再就職ができていればいいが。それだけの人数で失業者が出ると、「社会問題化」する。危険な状況だ。

グローバル展開しても表現の自由を失ってはならない


 日本の漫画のいいところは、「紙と鉛筆さえあれば描けること」……いや、実際には無理だけど、大前提としては「紙と鉛筆」さえあれば制作可能な文化。誰でも描くことができる。テーマは自由。だからこそ、コンテンツ数が無限にある。コンテンツ数が無限にあるから、その中でヒット作が生まれる。割合で言えば1000本中1本とか、それくらいだ。でもそれくらいでもヒットが出ればそれでいい。
 日本と同じくらいコンテンツを発信している国と言えばアメリカで、アメリカと言えば「ヒーローコミック」だが、『スーパーマン』なんて1938年生まれだ。『マーベルコミック』は1939年生まれ。ヒーローの中でも新参者とされる『ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャタートルズ』は1984年生まれ。日本で10年前、20年前の作品がアニメ化となると「なんであんな古い作品を今さら?」ということになる。アメリカでは90年前のコミックがいまだに映画化されている。
 もちろんアメリカ発の新規コンテンツは一杯あるはずだけど、1930年生まれの古いコンテンツがいまだに中心に立っている。これは日本ほどコンテンツの新陳代謝が活発ではないためだ。逆に言うと、日本は新陳代謝が早すぎ。常に新しいコンテンツが生まれる。毎年、国を代表するレベルの大ヒット作が次から次へと出て、世界規模で話題になる。日本人は自覚がないが、世界的に見て「なんで日本人はあんなに新しい物語をつくれるんだ?」と不思議で不思議で仕方がない。ハリウッドでさえ、十年以上「ネタ不足が深刻だ」……という話をしているのに。
 なんでこれだけの作品が作られ続けるのか、というと、そもそもの漫画が紙と鉛筆さえあれば、誰でも参加可能な文化だから。おまけに、日本人は美術学校に行ってない普通の人でも、そこそこにみんな絵が上手い……という基礎スペックの高さを持っている。それが日本の強味だ。

 しかし懸念は、いざ「世界」を意識しすぎると、萎縮してしまう可能性がある。今では問題ない表現でも、「世界のどこかの国では問題になるかも知れないから」「とりあえずポリコレを重視しましょうか」……もしかしたら日本の学園ものでも、そのうち黒人キャラが一人は必ず出てくる……ということになっていくかも知れない。原作漫画に出ていなくても、アニメ化に際し、黒人キャラを追加しましょう……あり得る。日本のアニメにはヒロインがやたら一杯いる……という作品が多いが、今後は「多様性重視」でメインヒロインに近いところに信じられないような巨漢デブが出てくる可能性もある。世界を強く意識しすぎると、こういうことになる。
 日本の漫画やアニメは、世界を意識したとしても、「今まで通り」であってほしい。いい加減でデタラメだからこそ、みんな自由にクリエイトする。たくさんの物語ができる。その中の1本が世界的に大ヒットする。そこを忘れて、間違っても「1本の作品に大予算」とか「ポリコレで表現を平坦にする」などはあってはいけない。最前線にいる人ほど、この意識は忘れてはいけない。

 と、いう話しを長々としたけれども、「業務提携しました」からといってすぐに経営方針が変わるわけはないでしょう。ソニーにしても巨大すぎて、ソニー内で商品展開に足並みが揃えられていない事例は一杯あるわけだし。数年たって、「なんのために業務提携したんだろうね」と関係者が笑って終わり……になる可能性もある。


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とらつぐみ
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