2018年春期アニメ感想 多田くんは恋をしない
第1話冒頭。多田君は異国からやって来た少女と出会う。
うーん、ちょっと困った一場面。というのも多田君のモノローグが入るまで、女の子が西洋人だとわからなかった。アニメの世界は金髪、赤髪、青髪、ピンク髪に紫髪なんでもありの世界だ。そういう世界の中で、ただ金髪碧眼というだけで「西洋人です」というのは苦しい。
その後、テレサとの交流が始まるわけだが、テレサの台詞はほとんど日本語。西洋人ならではの文化の差、言語の差を感じさせる場面はほぼない。アニメキャラクターは人種を描くことができない。何気ない対話や仕草にこそその差異を描くべきだが、その配慮がどこにもない。
舞台は銀座。しかしどうして銀座に設定したのだろう? 銀座という街に住んでいる、という生活観は特に感じない。銀座という街ならではの生活観や考え方が描かれてもいいものなのだが(銀座住まいの子供がよく行く店とか)、見ていると別に日本のどこでも良かったような気がする。
テレサはラルセンブルクという謎の国からやってきた設定だが(ルクセンブルクのことらしい)、銀座という街と異国の少女がある種の対比となっていなければ、「異国からやって来た」という説得力は生まれない。
銀座という街の描写にこだわりが感じられず、銀座の文化とラルセンブルクの文化が対比される場面がない。という以前に、ラルセンブルクという国の文化について語られることがなく、テレサの口から語られるのはだいたいが「れいん坊将軍」についてだ。テレサの背景にあるのは「ラルセンブルク」ではなく「れいん坊将軍」だ。
テレサの部屋は「ラルセンブルクの姫」というより、テンプレート化した「お嬢様の部屋」でしかなく、ここにもテレサの背景を語るものがない。「西洋からやって来た少女」というより「アニメ世界からやってきた少女」というほうが相応しいだろう。
異国からやって来た少女、という異物感を表現するなら、その国の文化や風景をしっかり勉強してから描いてほしかった。なんとなくの雰囲気だけ。設定作りがいい加減すぎる。
第2話。多田君達が通う高校が舞台となり、主要な登場人物がだいたい揃うことになる。
まず写真部。この写真部の有り様が、漫画・アニメで描かれがちな学校のはずれになる文化部の光景だ。学園ものにあまりにもありがちなロケーションで面白味がない。
人物についても掘り下げようにも、そこまで面白味のあるドラマが出てくるわけでもない。人物に意外性も深みもない。どのキャラクターも直線すぎる直線で、感情の行方が単調、わかりやすすぎる。銀座という場所もフックになっていない。それでも声優力で人気は出るんだろうな……とは思った。
第7話では妹・多田ゆいが自分の秘めた感情をそのまま台詞にして喋ってしまうシーンがあるが、あきれ果てるしかなかった。小説の新人賞なら1次審査落選確定である。よくもあんな雑な脚本通したな、と茫然とした。厳しい競争を経験しなくていい脚本家は気楽なものだ(こういうのを見ると、殴りたくなる)。
この作品の困ったところは特筆すべき良いポイントがほとんど見付けられないことだ。まず個性がない。キャラクター、場面、展開、どれもどこかで見た。それも雑なイミテーションだ。技術的なものや、描くものの視点をずらすことで過去作品との違いはいくらでも作れたはずなのに、そういった工夫がなにひとつ見当たらない。キャラクターはありきたりなだけではなく、無用に騒々しく、何もないところでとりあえず一騒ぎするから、やりとりが空々しく感じてくる。
動画工房作品オリジナルアニメということでだいぶ期待したのだが、残念なくらい“何もない”作品だった。良質な作品を作ってきた動画工房らしからぬ、語るべきものもない、見るものもない、雑でいい加減な作品だった。
作り手達はこの作品に何を託したかったかのかもわからないし、どんなこだわりを持っていたのかも見えてこない。本当に何もなかった。
有名なクリエイター、有名な歌い手、有名な声優を並べてみただけの作品でしかなく、そこに“企て”が何もない。野心の薄い、目指しているものもなにもない作品。それでもやっぱり声優力でそこそこの人気は獲得するんだろうな……とは思った。
創作はその時代に対して何を語るか、何を描くか。取り上げるテーマはそれぞれだが、とりあえず過去の模倣であってはならない。現在と未来を描かなくてはならない。過去を模倣する場合でも、現代で描く意味を問うだけのアップデートがなければならない。過去の模倣をするだけ、自分の思い出に浸りだけの作家は、さっさと引退してくれたほうがいい。
次の動画工房作品に期待しよう。