11月20日 イノベーションと人数規模の関係性
11月に鳥好きおじさんであるジャレド・ダイアモンドの本『銃・病原菌・鉄』を紹介したが、その本をネタにしたお話しをもう少し掘り下げていこう。今回のお話しは「人数規模」と「イノベーション」の関係性の話。
まず大前提として共有しておくべき認識を示しておこう。私たちは文明都市に暮らす人間と狩猟採取民の原始人とを見比べて、「きっと遺伝子的な違いがあるのだろう」と思い込む。文明人は遺伝子的に優秀であるから、文明都市を築き、それに順応した生活を送れるのだ。原始人は文明人と比較して、遺伝子的に劣り、動物に近い存在である……と。
これはよくある誤りである。オーストラリアのアボリジニやニューギニアの狩猟採取民が発見された後、多くの学者がこの地に赴き、文明人と原始人の身体的な違いがあることを解き明かそうとした。そのうえで、「西洋白人が人類史上もっとも優れた人種である」ということを証明しようとした。ところが出てきた結論は、文明人と原始人との間に違いは一切ない……という事実だった。すべては環境的な違いだけだった。
だから例えばニューギニアで石器文明の生活をしている人達を現代のアメリカに招待しても、最初は驚いたり戸惑ったりするけれども、すぐに順応して暮らすことができる。パソコンもスマートフォンもすぐに使い方を覚える(というかパソコンやスマートフォンを使った暮らしは石器による生活に較べると単純で簡単。3日もあれば順応できる)。知能や知性といったものに差はなく、環境が違うだけだった。
すると疑問として浮かび上がってくるのは、どうして文明人と原始人との間に文化的格差が生じたか……だ。
一つの仮説として、「人数規模」が出てくる。
最小のコミュニティのことを人類学の分野では「小規模血縁集団(バンド)」と呼ぶ。小規模血縁集団より人口が多くなっていくと「部族社会(トライブ)」となる。その次が「首長社会(チーフダム)」、その次がいま我々が到達している社会である「国家(ステート)」となる。
ではそれぞれの社会が何が違うのか、なにがあって、なにがないのか、を考えていこう。
小規模血縁集団(バンド)は基本的に家族や血縁集団のみで構成されたコミュニティである。だいたいが定住せず移動しながら暮らしていて、コミュニティの長というものがなく、食料生産と分配もしていない。
部族社会(トライブ)もやはり血縁集団のみのコミュニティだが、その規模は大きくなり、同じ血縁の数家族が一緒に生活する。生活様式は定住するようになり、意思決定やリーダーシップは「ビッグマン」と呼ばれる人が請け負う。ビッグマンは何か問題が起きたときの代表となる人物だが、しかし権力者というわけではなく、ビングマンが冨を持っているということはない。まわりの人達と同じように暮らしている。
部族社会になると食料生産を始めるようになるが、まだ狩猟採取の生活も続けている。
首長社会(チーフダム)になると人数規模はさらに大きくなり、いよいよ血縁者以外とも一緒に暮らすようになる。具体的な人数規模を示すと数千人から数万人だ。一つの文化圏を形成するくらいの規模となる。
すでに政治、官僚機構は複雑なものとなり、庶民とはまったく違う文化観、生活観を作るようになっていく。食料生産を行うようになり、収獲された食料は権力者によって集約され、身分に応じて分配されるようになっていく。
権力者は世襲で受け継ぐようになり、身分の格差が生じる。食料生産をする人々と、非食料生産職業とで生活が別れるようになっていく。非食料生産職業は政治家、職人、兵士といった人達で、「専門職」が出現するので文化はより洗練された優れたものになっていく。
国家(ステート)はいま我々が暮らしているコミュニティのことである。人数規模は5万人から10億人以上。国家の中に多くの市や町、村を抱えることとなる。支配階級は非常に複雑で、ほとんどの人がその構造を説明することすらできない状態となる。
食料生産はもちろんされるが、食料生産をしている人々と、非食料生産職業との生活圏はあまりにも離れすぎていて、お互いの実態がまったくわからない世界となる。文化は言うまでもなく極限にまで洗練されている。
文化は多様だが、それでも一つの国家のなかで共有する文化観を持っている。
現状、私たちの社会では国家が最上級コミュニティとなっている。これより上の段階のコミュニティがなんであるかはまだわかっていない。
こんなふうに人数規模が増えることによってコミュニティの形態は小規模血縁集団から部族社会へ、首長社会へとクラスチェンジしていく。では次にどうしてそのような変化が生じるのか……それを考えていこう。
まず小規模血縁集団が部族社会にクラスチェンジするのにどんな要件が必要であるか。決定的な違いは「食料生産」である。食料生産をすることによって人々は定住生活するようになり、血縁者以外での大集団の生活が可能となる。逆に言えば、集団で当たらねば食料生産をし続ける生活を維持できない……という意味でもある。
人類史を遡れば、いまから1万3000年前に農耕は始まったとされるが、栽培可能な野生種が発見された、その翌日突然農耕民となったわけではない。狩猟採取民から農耕民に移り変わるまで、かなり長い移行期間があったとされる。
最初期の頃は森の一角に種を植えて、その後狩猟採取の生活に戻り、数ヶ月後植えた種が実っているかどうかを確かめに来る……おそらくはこんな感じだった。
最初期の農耕では栽培可能な野生種があったとしても、それは現代のようにたくさんの実を付けるというわけではなかった。何世代も掛けて品種改良を繰り返していき、少しずつ多く大きな実を付ける作物に変化していった。その変化だけで数千年の時が必要だった。もっとも農耕が早く始まったのは肥沃三日月地帯発祥のメソポタミア文明であるが、この地域で本格的な農耕が始まったのは紀元前8500年頃。農耕の発見から1500年後のことである。
同じくらい早く農耕を発見した南中国では紀元前7500年頃に米の生産を始めている。やはり発見そのものは1万3000年~1万2000年の範囲内と考えられるから、農耕発見から本格的な農耕生活が始まるまで2500年近くかかっている。
農耕を発見してからこれだけの時間が掛かったのは、おそらくは「農耕のほうが優位だ」という気付きではなく、自然環境の変化があったからだと考えられる。農耕は確かに安定して多くの食料を得られるが、しかし1つの地域で1種類の作物しか得られない。現代なら様々な種類の種があるが、古代では1つの地域で都合良く複数種固まっている……ということもなかった。より豊富でうまい食料を得ようと思ったら、狩猟採取の生活の方が都合が良かった。
それが農耕の生活に変わっていったのは、自然環境の変化が原因だ。少しずつ自然が破壊されていき、森から得られる食料が少なくなっていき、それにオーバーラップする形で農耕の方が生活の中に優位になっていった……そういうイメージだ。それにかかった時間が、メソポタミア文明で1500年。南中国で2500年もかかった、というわけである。
これは自然の破壊がそれだけ進んだ証ということでもある。メソポタミア文明では1500年掛けて自然を荒廃させてしまった。一方の南中国はもっと自然が豊かだったため、2500年かかった。メソポタミア文明を生んだ肥沃三日月地帯は地中海性気候で雨季と乾季があり、自然が回復するよりも破壊の速度が上回ってしまった。一方で南中国は温暖で降雨量に恵まれ、自然の破壊がなかなか進まなかった。こうした環境差が農耕生活の早い・遅いを分けたのだ。
続いて部族社会から首長社会へのクラスチェンジを見ていこう。
首長社会は部族社会と比較して、非常に複雑な社会観を作ることとなる。この時点でごく普通に暮らしている人々には権力機構がどのような構造になっているのか、説明することはほとんど不可能になっていく。富と権力が固定のものになっていき、そういった権力を持つ人々は、一目で普通の人々と違うとわかる格好をしている。部族社会のなかではビッグマンという代表者がいるが、そのビッグマンは権力者というわけではなく、みんなと同じように暮らしている。首長社会にはビッグマンと呼ばれる人はおらず、その代わりにもめ事の解決のために専門の職業がいて、そういう人達の合議制で物事を決めるようになっている。首長社会の時点ですでに高度な社会を築き上げられているといっていい。
どういった要因で部族社会が首長社会にクラスチェンジするか……は本には書いていない。おそらくは「戦争」だろう。
農耕の生活を維持するためには人数が必要となる。畑の世話をするために人手が必要で子をたくさん生むようになる。もともとの小規模血縁集団ではそこまで子を多く生む必要はないし、多すぎると感じたら殺して減らすこともあった。農耕生活が始まると逆に人手が必要となり、どんどん増えていく。するとその増えた人に食べさせるため、自然を破壊し、畑へと変えていく。これを繰り返すことで農耕社会は拡大していく。
それがやがて土地の限界に達し、それ以上拡張できないとなると、「よし、戦争だ」ということになる。お隣の領土を奪おうという話になる。部族社会以上のコミュニティとなると、非食料生産職業である「兵士」が職業として生まれ、戦う用意もできるようになる。一般的に「狩猟採取民は野蛮で攻撃的」「農耕民は穏やかで平和的」と考えられがちだが、実際はその逆で、狩猟採取民が戦争をすることはほぼなく、人類が戦争をするようになったのは農耕民になってからだった。そもそも戦争をする必要性は、農耕以上の文化を獲得して以降、ようやく発生するからだ。
こうして戦争によって他部族を制圧し、支配下に置き、あるいは合体し、巨大化していく。そうしていくうちに複雑な権力機構を構築していくことになる。これが首長社会。
その次にやってくるのが「国家」だ。国家は首長社会をとことん複雑にした社会のことだ。
国家の特徴は「愛国心」だと言われる。小規模血縁集団や部族社会の人々には「愛国心」はなく、「国のために戦う」といった感覚はない。そうした国という意識を持つこと、その国を守ろうと考えること。そうした宗教観の獲得が国家の特徴ともいえる。
日本でも遡れば明治頃までさほど国家への帰属意識はなかった。江戸時代まで遡ると、日本が鎖国しますよ……というとき、中国などの様々な地域に日本人は散っていったが、港が封鎖されるという事態を前にして慌てて帰国……という人もいたりいなかったりだった。当時はさほど強烈な国家観はなく、「別にいいですよ」という感じで様々な地域に残り、そのままその地域の人になっていったという例もあった。
そんな日本人がどうやって国家観を獲得したのか……というと外圧と戦争。外に自分たちを攻めてくる人達がいる……というとき、ようやく日本人は「我々は日本人だ」という認識に目覚めた。日本の場合、これが明治時代だったとされる。
こうした感覚が日本だけが特別……ではなく、どこの国も同じようなものだった。ヨーロッパを見ても、第一次世界大戦が始まるまで、そこまで自分の国が、国の文化が……みたいには考えてなかったという話を聞いたことがある。例えばイギリス王家であるウィンザー家はドイツ系。元はサクス=コバーグ=ゴータ家といってドイツ王家の出身だった。第一次世界大戦が起きてドイツと戦争……となったとき、慌ててイギリス風の「ウィンザー家」と名前を改めた……というのが経緯だった。自分の国の王が外国人……ということも当時は気にしていなかった。
このように、人数規模が大きくなると社会的な前提条件が変化していく。最初の小規模血縁集団の世界では「権力者」なるものはいなかった。なぜなら権力者なんてものが必要なかったからだ。人数規模が大きくなるにつれて、権力者やそれぞれに特化した専門家(つまり職人)が必要となって、そうした職業を作っていった。
こうした職業は、小規模血縁集団の人々が知能的・技能的に劣っていたから作らなかったのではなく、“必要なかった”から作らなかった。人が増えすぎて必要になったから作った……という経緯が正しい。人数が大きくなったから、社会観の変更をする必要があり、新しい社会観を作るというイノベーションが起きた。
ここまでのお話しが前提となる。さらに深掘りして行こう。
現代の私たちは「石油」を中心とした社会観を作っている。石油が枯渇するとこの社会は崩壊するとすら言われている。石油の精製・加工には非常に高い技術が必要で、ということは石油が使われるようになったのは産業革命以降だろう……と考えがちだが、実際には紀元前2000年には石油は発見されていて、使われていた。
メソポタミア人は岩に含まれていたアスファルトを暖めて、石油を抽出していた。古代ギリシア人は石油・ピッチ・樹皮・硫黄・石炭からなる混合物を兵器として用い、カタパルトで撃っていた。中世イスラムになると科学者が蒸留技術を開発し、石油を分留し、より強力な焼夷弾を作っていた。
こんなふうに古代人の頃からすでに石油は使われていたのだが、石油の中でももっとも発揮性の高い分留物である「ガソリン」は使い道がないと捨てられていた。ガソリンが有用だと気付いたのは、エンジンが発明されて、その燃料として理想的だとわかってからの話である。
現代人はパソコンやスマートフォンという高度文明に囲まれているせいで、そのうぬぼれから「自分たちは優れた文化観と知性を持っている」と思いがちだが、実はそうではない。石器文明による狩猟採取民と比較しても、もともとものポテンシャルは変わらない。すると「思いつくもの」もそれほど変わらないということになる。
例えば「ファイストスの円盤」と呼ばれるものがある。これはクレタ島で発見され、制作されたのは紀元前1950年から1400年頃、粘土板にハンコのようなものを押し当てて、それを焼いて固めたものである。
つまりは人類史上最古の凸型印刷物である。
しかし紀元前1900年頃には発見されていた印刷技術はこれ以降、たいした発展もなく忘れられた。なぜなら粘土板にハンコを押して、それを焼く……なんて手間暇掛けるより、自分の手で書いた方が早いからだ。
印刷技術はその後、中国で西暦200年頃になって発明される。木版に絵や文章を彫り、それに墨を塗って紙に転写する……という方法である。これによって一つの書類・作品を何百枚にも量産できるようになった。
この時の印刷技術はどうして大発明になったのか……というと「紙」と「インク(墨)」が発明されていたからだ。古代ギリシアの頃には紙とインクがなかったから、印刷技術の雛形となるアイデアはあっても、それが世に広まることはなかった。
こんな話を聞いて思うのは、実は印刷技術のようなものは歴史の中で何度も誰かが思いついていたのではないだろうか。しかしどの時代もタイミングが悪かった。印刷技術は紙とインクという2要素がないとうまく機能しないものだった。紙とインクが発明されて、ようやく印刷技術は大発明となって爆発的に拡散していったのだ。
偉大なる大発明というのは、その個人の力だけが全てではなく、社会が追いついてくれていないとダメだ。印刷技術のように、思いついていても紙とインクがあるという社会までやってきてくれないと、大発明としての効果を発揮しない。石油にしても、紀元前2000年頃にはすでに発見されて使われていたが、ガソリンは使い道なしとして捨てられていた。ガソリンが使われるようになったのはエンジンが発明されてからの話だった。
次に「蒸気機関」について見てみよう。蒸気機関について、私たちはジェイムズ・ワットが「ヤカンから立ち昇る湯気にヒントを得て、1769年に蒸気機関を発明した」と聞かされている。しかしこれは「伝説」であって事実ではない。
ワットが発明を思いついたのはトーマス・ニューカメンがその57年前に発明していたニューカメン型蒸器機関を修理していたときである。そのニューカメンの前には、イギリス人のトーマス・セイヴァリーが1698年に蒸気機関についての特許を取っていた。そのセイヴァリーの前には、1680年にフランス人のドニ・パパンが蒸気機関についての特許を取っていた。ただしドニ・パパンは「理論」だけで実際に蒸気機関を作っていない。
学校の教科書的には1769年にジェイムズ・ワットが蒸気機関を発明した……とだけ説明され、あたかも0から素晴らしいものをたった一人で考え出した、みたいに書かれるが、実はワットの前に蒸気機関を発明した人はいた。ワットはすでに世の中にあったものを改良しただけだった。
ただワットの発明はタイミングが良かった。当時のイギリスは産業革命の真っ只中。そのタイミングで新たな蒸気機関を発明したことにより、炭鉱の輸送量は飛躍的に増大。労働形態に変革を与えただけではなく、機関車や汽船といったものを生み出すに至った。どうしてニューカメン型蒸気機関が広まらなかったのか、というと、その時には必要がなかったからだ。
エジソンの発明を見てみよう。
エジソンは1879年白熱電球を発明したとされる。こちらの発明も、実は先駆者がいた。白熱電球の特許が最初に出たのは1841年。エジソンはすでに世の中に存在していたものを改良しただけに過ぎなかった。
ただしエジソンの発明を切っ掛けによって、白熱電球が世の中的に爆発的に増えていくことになる。そうした社会的体制ができていた……というタイミングだった。
そんなエジソンにも失敗はある。
エジソンは1877年に蓄音機を発明し、記者に対し発表を行っているが、エジソン自身、蓄音機なるものが何に使うのか、発表を受けた記者も何に使うものなのかわからなかった。エジソンは蓄音機の使い道について、遺言の記録、盲人用の本の朗読、教育などを想定していた。
しかし世の中に出ると、蓄音機はジュークボックスとなり、音楽再生機となった。エジソンは音楽再生機としての使い道を想定しておらず、「俺の発明品をそんなことに使うな」とご立腹だった。蓄音機が音楽の録音・再生に有用であることをエジソン自身が認めるには、その20年後のことだった。
映写機の発明もエジソンによるものだった。最初期のキネトスコープは上の図のようにボックス型で、上の覗き穴から中を覗き込み、中で動いているフィルムを見る……というものだった。
キネトスコープは1889年のパリ万博で発表され、人間の動作を記録できる装置として驚きをもたらし、当時の新聞で紹介されている。
ところがエジソン発明のキネトスコープは一時もてはやされたものの、あっという間に廃れた。というのもキネトスコープは一人しか見ることができず、いかに凄いものだとしてもそれが人々の間に伝わることはなかった。
そこで1895年、エジソンの発明品を改良して、画面をスクリーンに映す……という手法は発明される。これが現在の映画の雛形となるものである。
スクリーンに画面を投射することのメリットは、一度に多くの人に作品を見てもらえ、その時の感動を多人数で共有できることにある。一度に多くの観客を劇場に入れられるので、大きく儲けることができる。当然ながら、映写機は1機だけでいい。
エジソンはご立腹である。またしても「俺の発明品をそんなことに使うな」と言ったかどうかは定かではないが、自分が発明したひとり用の覗き込み型のほうが質が高い……と宣伝したが、世間の流れを変えることはできず、画面に投射する形の映写機のほうが現代まで生き残っていくことになる。
偉大な発明品があったとしても、どのように使うか。その提示が明確でなければ発明品が広まることはない。ジェイムズ・ワットの以前にも蒸気機関の発明者はたくさんいたが、その蒸気機関をなにかの輸送のために使おうとは思わなかった。
エジソンの白熱電球も、すでに先駆者がいたのだが、エジソンの改良品が圧倒的に質が良かったために世間的に広がった。
逆にエジソンの失敗発明品であるキネトスコープは世間に広がることはなかった。別の人が勝手に改良を加え、スクリーンに投射するタイプの映写機が現代も生き残ることになった。
この話は南米のインカ帝国にも当てはまる。インカ帝国には実は「車輪」というものがなかった。いや、正確には子供の玩具には車輪があった。しかしその車輪を使って、荷物を運ぼう……というところまで思いつかなかった。そういう提唱をする人がいなかったから、車輪という発明品を便利な道具に使おうとは思いつかなかった。
こんなふうに発明品とは「タイミング」が必要なわけである。ジェイムズ・ワットの蒸気機関がどうして「偉大な発明品」なのかというと、時代が産業革命だったから。古代ギリシアで発明されていた最初期の凸型印刷機であるファイストス円盤がなぜ社会に定着しなかったのかというと、その時代に紙とインクがなく、手で書いた方が早かったからだ。
おそらく人類は、似たようなアイデアを色んな時代に出していたりするのだろう。印刷機の発明だって、もしかしたら色んな時代に、いろんな人達が考えていたのかも知れない。蒸気機関についても、もしかしたら色んな時代に色んな人達が考えいたのかも知れない。
しかしそれらは形にならずに消えていく。それは社会にその発明品を受け入れる体勢ができていなかったから。その発明品をどのように受け入れるのか、という提唱ができていなかったからだった。
話を最初に戻すと、狩猟採取民の世界ではイノベーションが起きることはない。といっても、狩猟採取民の人達の知能が劣っているからイノベーションは起きない……という意味ではない。むしろ彼らは非常に好奇心旺盛で、新奇なものを見付けたらよく観察し、ひろいあげて、それを何に使おうかと考えたりする。空き缶は容器になるし、鉛筆は耳飾りになるし、ガラスの破片はナイフとして再利用される。
しかし狩猟採取民の世界で文字が発明されることはない。思いつくことはあっても、たいして広がらず、定着もしない。なぜなら狩猟採取民はほぼ血縁のみで固まったコミュニティなので、できごとや言付けを文字にする必要がない。そんなことをせず、直接言えばいい……ということになる。
文字が発明され、定着するには、文字が必要であるという社会背景がなければならない。人間の数が増えて、見知らぬ同士が一緒に住み、知識の伝播が文字を通したほうが都合がいいという社会になったとき、文字は効果を発揮する。人間が言葉で伝えようとすると、どうしても伝言ゲームになってしまう。そうなってしまうことが問題になるとき、文字が必要となる。
ちょっと時代を飛躍させるが、蒸気機関は1680年には発明され、特許が取得されていた。しかし1680年代という時代に蒸気機関はあったとしても意味がなかった。蒸気機関が意義を発揮するためには産業革命が起きなければならなかった。
そして産業革命が起きるためには、「人口の多さ」という背景がなければならない。狩猟採取民は部族社会といった人口では産業革命は起きない。思いついたところで「なんでそんなことをする必要があるのか」という話に行き当たってしまう。人口が多くなり、自然が荒廃し、社会的にも産業革命を起こさなければ……という段階に来て、ようやく起きるものなのである。
それでは人口さえ大きければ、イノベーションが次から次へと起きて、文化は刷新され続けるのか……というとそういうわけではない。
例えば日本では戦国時代においては銃火器が戦争の勝利に重要な役割を果たしたが、その後の江戸時代に入って銃火器を手放している。日本人は「刀」を尊ぶ文化観があり、平和な時代においてはその刀を中心にした文化や精神性をいかにして研ぎ澄ませるか……ということに集中した。
日本人がふたたび銃火器の重要性に気付いたのは、ペリー来航の直後のことであった。日本の場合は、戦争のない時期が長く続いたから銃火器が必要なくなった……という背景がある。
中国はある時代においては先進的な国家であった。世界三大発明である火薬・羅針盤・印刷技術だけではなく、製紙技術、鋳鉄、猫車、大規模灌漑工事、海洋技術も優れていた。11世紀には機械式時計まで発明している。この時点では世界で最も進んだ文明国だった。
ところが中国はそのまま世界の覇者にならず、いま現在は世界最大の経済大国だが、ほんの数十年前まで後進国ですらあった。
どうしてそうなったのか。それは中国にまつわる因習が問題だった。例えば秦の始皇帝が初代皇帝として即位した紀元前221年頃、始皇帝はその以前の書物を「不都合なもの」として片っ端から焼き払った。始皇帝の次の皇帝も、そのまた次の皇帝も、同じように前の皇帝の書物を焼く、文化を破壊する……ということをやっている。
15世紀頃の明王朝時代になると、中国は自国で育ててきた機械文明や技術を自ら放棄している。中国の歴史に詳しくないので、この時なにが起きたのかは私もよく知らない。とにかくも中国文明は15世紀頃一度衰退し、この時に世界最大の文明国の座をヨーロッパに譲り渡している。
近代に入っても文化大革命が決定的に文化・文明の衰退をもたらした。文化大革命は毛沢東主導により1966年から1977年まで続き、この弾圧によって中国は決定的に世界から「遅れた国」となってしまった。
と、こんなふうに「人口さえ多ければイノベーションが次から次へと起きる」のではなく、定期的に衰退が起きるものなのである。
例えば電気と発電所が発明された後、すぐに世界中あまねく地域に電気による文明が築かれたわけではない。イギリスでは「ガス灯をつける人の仕事がなくなる」……と電気による街灯導入に抵抗した。電気街灯は19世紀には世界中の主要都市に設置されたが、イギリスでは20世紀になってようやく……だった。
新しい技術が発明されても、旧来の技術を使い続ける人はいるし、そこからさらに進んで抵抗する人も現れる。どんなに優れた発明があったとしても、保守的な「抵抗勢力」が多い社会においてはその技術が受け入れられることなく、潰されたり導入が大幅に遅れたり……という現象が起きる。
この話は日本の有名なゲームメーカーを例に考えてみよう。
カプコン
1979年創業のカプコンは、ゲーム業界において特別な存在感を放っている。タイトルの多くはアクションゲームで、その品質は世界中が認めるものである。
『ストリートファイター』シリーズ、『バイオハザード』シリーズ、『モンスターハンター』シリーズを軸に、常に新しいタイトルの模索をやっている。2001年からスタートした人気タイトル『逆転裁判』、同じく2001年生まれの『デビルメイクライ』、2003年『ビューティフルジョー』、2006年の名作『大神』。『鉄騎』という珍タイトルも存在する。
定番タイトルと新規タイトルのバランスが常に良く、しかも技術開拓も進んでいて、独自のゲーム制作エンジンを有している。その技術力は世界最高クラスである。カプコンはゲームメーカーとして順風だといえる。
スクエア・エニックス
『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』といった業界最大のヒットシリーズを抱えるスクエア・エニックス。
会社全体としてのポテンシャルは高いはずだが、タイトルの多くは人気シリーズの続編、あるいは派生タイトルばかり。しかもそのクオリティも最近の作品ほど低い……という状態が起きている。
2023年に発売した『インフィニティストラッシュ ダイの大冒険』はクオリティがあまりにも低い……ということで物議を醸す。こういった場合にはプロデューサーが作品制作に介入し、クオリティアップのために働きかけを行うべきであるが……明らかにプロデューサーが動いていない。スクエア・エニックスはデザイナーやサウンドスタッフには優秀な人材が揃っているが、ディレクターやプロデューサーといった人材が育っていないことがわかる。
代表タイトルである『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』もある時期まで業界の最先端を走っていたはずだが、しかしゲームがCD-ROMへ移ろうとするとき、むしろ「伝統」が邪魔をして出遅れる……という現象が起きてしまった。その一つが「ボイス」の導入。世の中的にはほとんどのRPGがボイスを導入しているのに、『ドラゴンクエスト』はいまだに「ポポポ」という電子的な音を鳴らしていた。ウインドウなどのUIもファミコンやスーパファミコン時代を引きずって古い。ファンタジーの世界観に合っていない。しかし「それが伝統だからいいんだ」といういう人の方が多い。『ドラゴンクエスト』はシリーズ11作目に入りようやくボイスが導入されたが、すでに「時代遅れのゲーム」となっていた。それでも作品が売れて評価されたのは、長い歴史があったからであって、それがなければそこまで評価もされていなかっただろう。今では『ドラクエ』と『フィナルファンタジー』は業界でもっとも売れるゲームではなくなっている。
スクエア・エニックスは30年にわたる伝統を抱えるゲームメーカーだが、それゆえに時代への対応に苦闘している……というのが客観的なイメージだ。
コナミ
コナミといえばかつては『グラディエーター』シリーズ、『がんばれ五右衛門』シリーズ、『悪魔城ドラキュラ』シリーズ、『沙羅曼蛇』『魂斗羅』『ツインビー』『メタルギア』といった強力なタイトルを抱え、業界でも特別な存在感を放っていたが……いったいどうしてこうなった。
現在もコナミは業界随一のゲームメーカーだが、最近は目立った新規タイトルがほとんどなく、過去の遺産だけでどうにか食いつないでいる……という感じである。最近のヒット作である『桃太郎電鉄』や『ボンバーマン』などはコナミオリジナル作品ではなく、2013年にハドソンが倒産し、そこから権利を買い上げたものだ。自前で開発した作品はあるにはあるけど、どれもクオリティが低く、ヒットには至ってない。(たまに出来がいい……と思ったら系列子会社の制作だったりする)
どうやらコナミの社内文化がそういった空気感らしく、社員達は新しいなにかに挑戦しようという意欲がなく、すでにあるコンテンツをどう使い回そうとしか考えていないようである。
この状況は最近の1年2年でそうなった……というのではなく、10年20年という長い期間をかけて根付いてしまったもので、もはやどうすることもできない。経営者を変えたところですぐに変わる……というものではなく、社員全体を入れ替えるくらいのショックがないと立ち直ることすらできない。このままだと、コナミはゲーム業界でもっとも大きな泥船になっていくだろう。コナミ社員は、自分たちは泥船に乗っている自覚はあるのだろうか?
ゲームメーカーの中でももっともイノベーションに貪欲なのは、もちろん「任天堂」である。しかしこれは言うまでもない話。任天堂はシリーズタイトルの継続と、新規タイトルの発表をバランス良く行っていて、業界内でも珍妙なタイトルを作ることで知られている。例えば『リングフィットアドベンチャー』がそれだ。今や定番タイトルとなった『脳トレ』も、発表当時はあまりにも珍妙と思われて物議を醸していた。ところが当時の社会現象級大ヒットだ。そういう他ゲームメーカーではまず出ないような商品を提供するのが任天堂だ。
また新奇なハード構造を提唱するのもほとんど任天堂で、現在の最新機種であるNintendo Switchは据え置き型・携帯型の仕組みがドッキングしている。あまりにも珍奇なゲーム機であったため、発表された直後は世界のゲームファンが「これは売れないな」と語っていた。それが発売してみれば大ヒットし、明らかにNintendo Switchの携帯を模倣したゲーム機がいくつも販売されるようにもなった。
他にも振動コントローラー、アナログスティックなど、任天堂発の発明品は多い。
ここまでに、発明品はそれをどのように扱うか、という提唱がなければならい……と説明した。任天堂はそれをやり続けているメーカーである。保守性、革新性のバランスがもっともよいゲームメーカーだといえる。
こんなふうに実際の例を見ると、人口さえ多ければ、企業としての資産が大きければイノベーションに貪欲になっていく……というわけではないことがわかる。むしろ伝統が強すぎるとイノベーションを否定する動きが出てくる(→ドラクエシリーズ)。社内で保守的な空気に染まり、イノベーションを避けようという文化が強くなっていくと、新しいタイトルがその中で生まれなくなっていく(→コナミ)。任天堂は保守性と革新性のバランスの良いゲームメーカーだが、ライバル会社であるソニーやMicrosoftほど大きな会社というわけでもない。その社内でどんな文化を築くかで、イノベーションが起きやすい、起こりにくいという格差が生まれてくる……ということがよくわかる。
次に日本の社会全体を見てみよう。日本は現在1億2400万人という人口を抱える。この人数規模は世界第11位である。つい中国、インド、アメリカといったものすごい人口を抱える国と比較しがちだが、日本は世界的に見えても上位というくらいに人口を抱えている。
ところが最近の日本といえば、これだけの人口と文化の高さを誇っているのにかかわらず、イノベーションが起きる気配がまったくない。特許の取得数や論文の提出数を比較しても、中国やアメリカに負けている。これは人口差という要因だけではなく、日本人全体に保守的な空気が蔓延し、新しいものを受け入れない、むしろ罰しようという空気があるからだ。
ちょっとネットで面白い漫画を見付けたので紹介しよう。
台湾の漫画家MOGAさんが描いた漫画だ。
およそ100年前、日本がやってくるまで台湾は「遅れた国」だった。衛生概念はほとんどなく、ペストやコレラが蔓延し、その疫病によって島民の70%が死亡。台湾という島自体が崩壊寸前だった。
そこに日本がやってくる。日本の統治が始まってからコレラやペストがなくなり、台湾の衛生観念は劇的に改善していくのだった。日本の台湾統治といったらネガティブな面ばかり強調して語られがちだが、実際にはこういう側面もあった。
ところが現代。2020年コロナウィルスが蔓延すると、日本は何もできなかった。「マニュアルがなければなにもできない」……日本はそういう国になっていた。国民全員が「官僚化」し、新奇に起きた事態に誰も対処できない。各国が対応していく中で、日本はいつも外国の様子を見ながら遅れて対応……というか「外国の真似をして恐る恐る動く」という感じだった。自分から対処法を考えて動く……ということを日本はできなくなっていた。
日本人の「無能化」には台湾人も呆れるレベル……ということをこの漫画は語っている。
コロナウィルスの「恩恵」というと、この期間中にリモートによる仕事が定着したことだ。このことによって、都市部への一極集中が緩和され、地方でゆるやかな暮らしをしながら働く……ということが当たり前となった。
しかしこのリモートは最新技術でも何でもなく、昔からあるものだった。『マイレージ・マイライフ』という2009年の映画があるのだが、この映画では「この仕事はオンラインでできます」と提唱した若手社員が現れたことによって起きる騒動を描いた作品である。ホワイトカラーの事務仕事なんてリモートでできますよ……という話を10年前の時点で描いている。
リモートは「最新技術」ではなく、「枯れた技術」だった(枯れた技術だったから、技術要件をすでに満たしていたので、あっという間に広まった……ともいえるが)。それが日本において2020年代になってやっと一般的になったのは、コロナウィルスによる騒動があったからだった。逆に言えば、こういう騒動がなければ日本の社会はどうやっても変わることのない。あまりにも保守的で、停滞した空気が蔓延する国だ……ということである。国自体がコナミのように、停滞することを是とするような状態になっている。
あまりにも保守的な空気が強烈すぎて、次のイノベーションが提唱されても、受け入れるまでの時間が掛かってしまう。日本が新しいイノベーションを受け入れる……というときは世界から一番遅れたとき……になるだろう。なにしろ10年以上前に出てきた枯れた技術を、あたかも最新の技術だと勘違いするような国だからだ。
さて、話はいよいよ「AI」に移っていく。AIは農耕革命、産業革命の次に来る革命である。AIについていま世界中で激論を交わしているところだ。
しかし人類史を見てみると、「いつか来た道」である。新しい技術が発明されたとき、それを受け入れるかどうかが議論され、古い技術に基づく生活をしている人々ほど、新しい技術に抵抗する……という歴史があった。今回もまた同じ道を繰り返している。
新しい技術が生まれるとき、新しい仕事も同時に生まれてくる。かつて電話には交換手がいたし、エレベーターには案内人がいた。その以前の仕事がなくなると同時に、新しい仕事も生まれていく。
だからといって、その以前の仕事をした人がすぐに新しい仕事に就けるというわけではない。イギリスの例のように、結局は街のガス灯に明かりを入れる仕事の人がみんな引退するまで、電気街灯を導入することができなかった。そういう古い時代の仕事をしている人を、軽々しく見捨てて次の社会へ……というわけにはいかないものなのである(失業する人のその後の面倒を見なければ無責任……ということになる。社会的な負担にもなるし)。
それも新しい世代が生まれてくる頃になると、ゆるやかにAI時代の暮らしに移行していくのだろう。もしかしたらそういう時代になっても、日本は世界的に見ても「遅れた生活」をしているのかも知れない。なにしろ日本は社会的な危機や異変に直面しない限り、新しい文化や技術などは受け入れない国だからだ。
(日本の官僚は「何もしないこと」を金科玉条にしているくせに、欧米から圧力を掛けられるとホイホイとなんでも通してしまう。あの情けなさをどうにかできないものか……)
あまりにも保守的な日本がイノベーションを受け入れるためには、もう一度パンデミックくらいの危機に直面しなければならない。しかしそれは、一つだけ「理にかなっている」ともいえる。社会のイノベーションというのは、「それが必要」という状況にならなければ「意味がない」と受け入れられることはない。小規模血縁集団の社会に文字が必要なかったように。かつては「人口」が社会変革の大きなファクターだったが、これからはそういう「外的な危機」によって社会は変わっていくのだろう。
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