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2018年秋アニメ感想 ひもてはうす

 見る予定には入ってなかったが、なんとなく仕事の終わりでニコニコ動画で見始めた作品。時間的にハーフタイムなので、ちょうどよく見やすいし、仕事終わりの気分転換に良い作品だ。

 作品はいつもの石ダテコー太郎監督だ。相変わらずの「下りてきた技術」で作られたローテクな映像(それでも過去作品よりモデリングはしっかりしている)。プレスコで声優演技の勢いやアドリブをふんだんに取り入れた構成(出演声優も“いつもの人達”がだいたい揃っている)。映像作品というよりかは、バラエティ番組におけるコントのような作りだ。

 石ダテ監督作品の印象は、正直、羨ましい感じがしていて……。実は私もああいった作品をずっと作りたいと思っていて、シナリオも書いていたのだけども……ええ、ご存知の通り日の目を見ることなく、ですとも(考えたあらゆるものは実現しない呪いをかけられているので)。今回も作品を遠くで見ながら「あーいいなー、私もやりたかったなぁ……」とただただ見ているだけしかできないのが悔しくて仕方ない。

 さて、今回の『ひもてはうす』だがもてない女性が1つの家に集まってシェアハウスをして、なぜ自分たちがもてないのかを話し合う。また女性達にはなぜか異能の力がそれぞれ備わっていて……。
 画作りに関しては低予算だし技術面であれこれ求めるつもりはないが、問題なのがシェアハウスをしている場所、舞台。これがまったく魅力的ではない。思いつきでゴテゴテと放り込んだだけの雑多なイメージでしかなく、女性5人が集まる場所としての魅力もないし、出オチのネタとしても面白くない。
 こういった同じ舞台が続く作品にとって、舞台はもう1つの主役というくらいの重要度がある。女性5人が住むに相応しい瀟洒なイメージ、暮らしの生々しさ、女性特有の生活に対する気遣い……そういうものが画面から一切感じられない。キャラクターと舞台が完全に分離してしまっている。あまりにも雑でいい加減。まったく魅力的ではない。出てきた瞬間の笑いだけを狙って、それだけでしかない空間になっている。ここはもっと気を遣って慎重にデザインしても良かったのではないだろうか。

 もう1つ問題なのがテーマ設定。「モテる・モテない」は現代的なテーマだし、社会的底辺であるアニメファン達にとっては、今や命題の1つとなっている案件でもある。夏クール作品だが『ぐらんぶる』でもモテる・モテない、彼女の獲得と獲得した者への嫉妬は大きなテーマとして物語に組み込まれていた。
 でも私はどうにもこのテーマを素直に受け入れることができなくて……。「モテる・モテない」……それで? そのテーマ、くだらなくないか? 心の底から「どーでもいい」(これは私が持っているテーマの中で、そこまでの優先度にないからだ)。
 今の若い人達にとって、どうしてそんなことが大きなテーマになっているのだろう、と不思議に思うくらい。
 『ひもてはうす』という作品のタイトルに上げるほどの重要度が本当にあるのか。もしもあるなら、もっと根本問題。現代人の深層を真っ正面からテーマとして取り上げたらどうだろうか。私はそうしている。これでは表層に現れた上澄みを軽くすくい取っただけの安っぽい作品にしかなっていない。女性4人を集めて、現代的に思えるテーマは他に思い付かなかったのだろうか。
 そういうわけで、この作品のネタの全体に対して、「これ面白いのか?」と首を捻りつつの視聴だった。

(「モテる・モテない」はいま若い世代にとって大きな関心事、自分がモテる人間かどうかは自分がどの程度の価値を持っているかの物差しにすらなっている。しかしそんなにモテてどうするのか……毎日相手を変えてひたすらセックスしたいと思って……は、いるか。若いもんね。アメリカでは、非モテという立場に追いやられた人達も相当数いて、そういう人達によってついに銃乱射事件なんかが起きてしまっている。この時、犯人は自分の行為を「インボランタリー・セルベイト」と表現していた。「禁欲を強いられている人による反逆」だ。もちろん、アメリカの状況と日本を同じと考えてはいけない。ただ思うのは、性を通じた人格の形成の失敗。このブログでもそれ以外の場所でも私は何度も書いてきているが、現代人は全員まとめて社会性の獲得に失敗している。というか、社会が瓦解している。性的な人間としての成熟に失敗しているのも、同じテーマなのかも知れない。もういっそ、「筆下ろし」でも復活させた方が……いやいや、今それをやると「問題」になるからダメなのか)
(と、書いている間に、東京駅で「通り魔で大量殺人ゲームします」という犯行予告をTwitter上に書き込んでいる人が出てきた。なにか引っ掛かるな……と思ったら、1938年(昭和13年)の「津山三十人殺し」だ。そう思うと、現代人の「社会観の崩壊」はあの時代の「村八分」と似たような状況・心理なのかも知れない。この辺りのテーマで掘り下げてみると何か出てくるかも知れない。コメディのネタではなく。……と思い直した)

 『ひもてはうす』最大のハイライトが後半の大喜利コーナー。声優のほぼ演技をしていない、生の声にキャラクターを当てる。考えてみればいま流行のVtuber的なものを石ダテ作品はずっと先取りしていたんだな……(これこそ私がやりたいもの!!)。
 残念ながらオンエア版は大喜利コーナーは短く、DVD・ブルーレイでさらに10分近く追加になる……と。ということは、DVDではほぼ25分構成になるのだろう。
 今回は本編中にも大喜利コーナーを取り込む場面もあり、なかなか面白い。石ダテ監督がシナリオを書くよりも、こちらのほうが面白かったくらい。これは完全版を見たくなる。

 いつもの石ダテ監督のノリが全開の作品。ただ、それだけに場面設計とかこれで良かったのか。テーマ設定はこれでよかったのか……などなど引っ掛かる点は多い。コメディとしても作品としてもやや疑問が残る。コメディをやるにしても、もうちょっと現代を深い視点で風刺、切り込むような力強さがあっても良かったのではないだろうか(コメディには人に「気付かせる」力があるし、また現代的な悩みを笑い飛ばす力がある)。これではあまりにも軽すぎる。消費される作品でしかない。結局は男の影なんて最後までなかったから「モテる・モテない」はテーマとして相応しかったのか。あと異能はいらなかった。
 『ひもてはうす』はやや疑問点が見られる作品になったが、石ダテ監督には力があるから、次の作品に期待しよう。どうせならもっと脳天気に楽しめる石ダテ監督作品が見たい。

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とらつぐみ
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