3月4日 花粉症は理不尽
色んなものに鈍感になっているのに、なんで花粉症センサーだけはこんなに鋭敏なんだろう?
身体というものは、日々なにかしらのサインを出している。「これ以上○○すると危険だぞ」とサインを出している。
……が、気づかない。ほとんどの人は自分の体の異常に気付かない。「大丈夫だろう」「大したことないだろう」とか思って、病院にもいかない。
もっと極端な話をしよう。
この部屋にモクモクと煙が入り込んでいて、なんか煙たいな、臭いがするなと思っても、たぶん私は避難せず、ここで文章を打ち続けると思う。
今ここに生命の危機が迫っていたとしても、たぶん私は気付かない。
火災報知器なんてものはしょっちゅう誤作動を起こすので、最近は「火事です!」と警告音がしても、無視している。どーせまた誤作動だ、と判断してしまうので。
でも花粉だけは、部屋の中に微量紛れ込んだだけで鼻が感知する。
アレルギーというのはそういうものかも知れないけど、なんか不思議な気がする。そんなに鋭敏なセンサーを持っているなら、もっと色んなもの、現象に対しても敏感に気づくようになってもいいじゃないか。
状況を察して分析するとか、美しいものを見て感動するとか、むしろそういう知的・文化的なセンサーのほうに鋭敏であってほしいのに、こっちはとことん鈍感。年を追うごとに鈍感になっていく。いっそ、こっちのセンサーがまったくない、配線が外れちゃってる人も結構いる。
アレルギーに対してやたらと敏感なのは、それは生命の危機に関わるから。だから、そこにだけセンサーが鋭敏になる。対して、知的・文化的なものとかは特に危機でもなんでもないから、センサーは反応しないし、そもそもセンサーは持っていない人もいる。
そういうことなのはわかるけども。
「生命の危機」という問題に直面しない限り、人はそこにあるものに対して感知しないんだよなぁ。
ただ、一番の理不尽は、花粉症は特に生命の危機でもなんでもないのにセンサーが反応することだ。