映画感想 流転の地球
1月18日視聴!
まずは設定が凄い。太陽が膨張を始め、近いうちに地球が飲み込まれてしまう。なので地球の半分にロケットを設置し、太陽系から離れて別の星系へ地球を移してしまおう……というトンデモな構想のSF。そういったストーリーは大昔に手塚治虫が漫画に描いていたけれども、この突飛な発想を現代のリアルな映像の中で描こうという挑戦からしてすでに凄い。
『流転の地球』は中国で初めてのSFブロックバスター映画となっている。この辺りは私も詳しく知らないのだが、共産党的には「SFなんてものは認めん!」というのがあるらしく、こういった映画がこれだけの大予算で作れたことはものすごく画期的だったそうな。
中国クリエイターはイラストやゲームでよく見かけていてポテンシャルの高さと、層の厚さ(つまりクリエイター人口の圧倒的な多さ)はよく知っているのだが、彼らの問題は常に政府。いいクリエイターがいるのになかなか力を発揮しきれないのは、明らかに言って政府が彼らに足かせをしているから。ゲーム界隈ではなかなか政府の認可が下りず、制作完了しても販売ができないという話はよく聞くが、アニメや映画といった産業でも同じような葛藤を抱えているとか。
中国には世界一の人口があり、それだけの人口が娯楽を求めているのだが、その市場に手を付けられない……というのはなかなかの葛藤だろう。
そうした中でこれだけのスケールのSF映画が作れた、というのは中国という国の文化において画期的だった……という話を聞いたことがある。
中国での興行収入は46億人民元。日本円に換算して737億円。『鬼滅の刃』と『千と千尋の神隠し』を足しても勝てないくらいの収益を上げたメガヒット作品となっている。この辺りはさすが世界一の人口……といったところ。
ということは、「チャレンジャー」的な立ち位置の作品ではあるのだが、しかし内容を見ると「お手並み拝見」とか言っている場合じゃない。いきなりトンデモない高レベルな作品を作り上げている。
主人公リウ・チーが運転するトラックからだーっとカメラが離れていき、氷に覆われた中国の風景を見せて、巨大ロケットの側をカメラが通り過ぎていき、そのままカメラは宇宙空間へと抜けていき、さらに宇宙ステーションの側をかすめて、最後には地球と宇宙ステーションを一つのフレームに収める……というとんでもないカメラワークのシーンがある。ここまでがワンショットなのだ。あれだけのディテールをよく作り込んだ。あのワンショットだけでもとんでもない労力。
ハリウッドでもああいったショットでは作り込んでいないところをごまかしたり、カメラの動きがちょいちょいおかしくなったりするものだけど、すべてを堂々と見せている。作り込みと自信のありようが凄い。
どのカットも作り込みが凄まじく、ディテールを詳しく見ている間もなくどんどんカットが流れていく。ものすごく贅沢な作りの映画だ。
こういうSFだからほぼ全てのショットがセット撮影になる。前半はちょっと空間は狭いかな……と感じられたけれども、地下世界を抜けだしてからの空間の広がり方がすごい。セット撮影という感じがしない。見せ方がなかなかうまい。狭い空間のセット撮影から、すっとヌケのいいカットへとカメラを移していく。おかげでセット撮影特有の閉塞感やわざとらしさがほとんど感じられない。
テーマにあるのは「家族」と「家」。地球そのものをロケットに見立てて飛んでいく……というトンデモな構想の作品だが、根っこにあるのは「家族」と「家」という、どの文化圏の人でもすぐに了解しうるものを前面に置いてきてくれている。「家族」と「家」は自分たち一族の「家族」と「家」だけではなく、地球そのものが巨大な「家」という見なし方も上手い。
この「家族」というテーマは、中華思想でも重要なポイントで、だからこそ強調されて描かれたらしいが……まあこの辺りは中国文化に詳しい人は、ですな。私はあまりよく知らないのでスルーする。
途上にあるのは「家族」と「任務」という天秤。ロケットを稼働させるには「石」を運んでいかなければならない。これが任務。でもその任務より我が家族だ、と主張するリウ・チー。
リウ・チーの身勝手な振る舞いで、結局おじいちゃんのハンを死なせてしまう。その後は「我が家族」という狭い視点ではなく、地球そのものを巨大な「家族」「家」と見なし、それを守るための使命に目覚めていく。
ただ突っ込みどころはあって、まず「石」ってなんだよ。多分、原語ではちゃんと語っていたんだと思うけど、日本語翻訳だとただの「石」。その石も何かメカメカしいものに包まれて、なんなのかよくわからない。まさか石炭じゃないだろうし、なんだったんだろう?
もう一つの引っ掛かりは主人公リウ・チー。どう見てもその辺にいる普通に兄ちゃんにしか見えない(中国では有名なのか?)。どのモブキャラよりもモブキャラ顔している。存在感のなさにビックリする。
前半は反抗期まっただ中のリウ・チーが地下世界を抜けだしていく……というただただ身勝手な若者として描かれていく。ごく普通の若者を主人公に置いたのは、観客からして一番近しい立場の人間を主人公にして共感を求めたのだと思うが、最初はただ身勝手な若者、ということであまり親しみを持てないし、中盤以降は逆に人が変わったように使命感に燃え始める。さすがに極端すぎやしないか。
妹のドゥオドゥオは役どころとしては、単に泣きながら放送をしただけ。何のためについてきたんだか。
日本人としての引っ掛かりは、クライマックス、各国の人々が主人公に協力をする格好いいシーンがあるのだが、このシーンに日本人が登場しない。なぜなら日本人はその直前で、あっさり諦めて自殺してしまうからだ。
日本には「武士道とは、死ぬことを見付けたり」という言葉があるが、別にやたらと死にたがっている……という意味ではない。日本人をこうも精神薄弱に描かれてしまったのは、中国側からは今の日本がそう見ているってことなんだろ。
実はもう一つ引っ掛かったところがあって……。どうにもシーンの作りそのものがハリウッドの模倣にしか見えなかった。設定にしても衣装にしても、なんとなく似合わない。西洋風の仕立てなのに、顔が東洋系という違和感。音楽の系統もハリウッドでよく聞くタイプだ。東洋人がSFをやる、ということの違和感を乗り越えたとはどうにも思えない。中国でSFを作る、という冒険はうまく達成しているとは思うけども。
後半の展開は、どことなく『アルマゲドン』や『ディープインパクト』を思わせる、かつてハリウッドで描かれたような自己犠牲で感動させるタイプのSF作品によく似ている。「よくあるシーンが始まっちゃったぞ」とは思ってそこに引っ掛かったけれども、でもそこも天秤をかけている、というところで面白くなっている。一方は生存すればそれだけでも種の温存は可能だけど、あえてそれを犠牲にする……という設定を置いて、シーンの重さを作ってくれている。この辺りは設定の作り込みが上手い、といえるところ。
『流転の地球』は中国人クリエイターの凄まじさがよくわかる作品。予算の規模やクリエイターの層・人数を見ると、やっぱり敵わないな……と思わされてしまう。中国が本気出すとヤベーな、と。枷になっているものがなくなると、ものすごい物を仕上げてくる。
しかも『流転の地球』は誰にでもわかるような、軽めのエンタメに仕上げている。「誰にでもわかる作品」というのは一つ大きなポイントで、簡単にできるものじゃない。もっと難しくも作れたはずだけど、あえてそうはせず、大衆的な娯楽映画に仕上げている。その割り切りっぷりが良い。
なかなかインパクトの映像体験だった。大国の凄さを知るには良い1作だ。
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