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恥についての考察(番外編)〜恥と罪悪感〜 ストラテラ服用日記123日目 80mg増量して98日

朝ストラテラ40mg を飲んで、リーゼは飲まなかった。40mgだと動悸と不安は感じなかった。

今日は休みで、しかも朝、メンクリに行く電車が思いっきり遅延してたりしてイレギュラーだらけだったので、あんまりモニタリング出来てなかった。

本末転倒な気もするが、ストラテラ(アトモキセチン)の副作用(不安)のために抗不安剤を飲む、と。


恥について考えていて、恥って進化的な感情だと言うことに気がついた。
きっかけは、動物の動画を見ていて、犬猫って恥ずかしがったりしないよな、と。
(「甘えの構造」という名著があって、その本を書くきっかけとなったのが動物でも甘えるって話なんだけど、つまり甘えたい欲求は原始的な感情。じゃあ、恥じらいとかは?と疑問が湧いた。同時に考えたのが、罪悪感というのもないなと。)


恥と罪悪感が進化的な感情だとすると、何から発生するのか?
考えるに、
恥=周囲からの視線、もしくは自分を見る自分の視線
罪悪感=モラル的、法律的なルールを破ること

こんな感じに考えられるのではないかと思う。
動物は他人の目なんかに気しないし、罪の意識なんてのもないだろう。「サピエンス全史」とかにも通じるかなと思うが、狩猟をやめて貯蓄をし、金銭に頼るようなシステム、複雑なシステムにした時点で発達障害には厳しい世界になってきたのだと思う。

逆に狩猟時代のADHDはプラスに働いてたのではないかと想像する。
獲物を探し、手段を選ばずに狩る。先延ばしもクソもない。食べるために、ただ狩るだけ。

現代社会より、よっぽど分かりやすい。今日の食い扶持のために今日働く。シンプルでいい。

逆に、鬱は生活水準が進んだ社会なる人が多いようだ。その日暮らしの事しか考えられないと逆に鬱とかにはならないようだ。


また話が脱線してしまっているが、何が言いたいかと言うと、恥も罪悪感も進化的なものなら無くても困らないんじゃないかと。
無くて困らないなら捨ててしまえと言いたい。
ただ、実行するのは難しい。だから、それができる日まで、頭の片隅に置いておこうと思う。


ちなみに、動物である以上、どれだけ知性が発達しても暴力というのは無くならないと思っている。本能的に物理的な力関係でヒエラルキーが出来上がるのは避けられない。
発達障害者が、手っ取り早く生きやすくなるのは、筋トレして筋肉アピールして威圧することだと思う。どんな人でも筋トレすれば筋肉は付くし、筋肉は努力を裏切らない。(筋肉が付きにくい人はいる。でも、つかない人はいない。)

私も、糖尿病治療のため筋トレを始めたところだから偉そうなことは言えない。始めて6ヶ月ぐらいたつが、多少筋肉ついたかな?程度。途中サボりもある💦
ムキムキになってから、また言おうと思う。

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