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海に行きたい

 ――週末はnoteを書かなきゃ。そう思いながら、気付けばもう日曜の夜。この二日はずっと寝ていた。疲れていたのだ、何も考えたくないくらいに。

 書きたいことだけ書こう。そう思っているから無理をする必要はなくて。ただnoteには「連続投稿」の記録というのがあり、こいつがちょっと厄介。僕はいま連続投稿を『49週』続けていて、これを52週=1年間は続けたいと思っている。だから何とかして、記事を書かなきゃいけない。

 そんなこと、本当はどうだっていいのに――


 
 それにしても、どうしてこんなに疲れているのだろう。毎日の電車通勤、仕事そのものが忙しくて、残業が続いているというのもあるけれど。やはり僕が疲れてしまう原因は「人間関係」だ。

 無理な要望を押し付けてくる人。自分の損得ばかり考えている人。立派な言葉を並べてよがる人。何も考えていない人。そういう人の相手をしては、自分の心がゴリゴリとすり減るのを感じる。もしも関わらずにいられたら、どんなに良いか。

 何ともならないものを何とかしようとするから、疲れるのかもしれない。もういっそ、すべてを放り投げて、遠くに行ってしまおうか。後は野となれ山となれだ。自分にできることだけ、まずは片付けてしまおう。そう思えば少しは気持ちが楽になる。

 だいたい、他人のことまでどうこうしようなんて、おこがましいわけで。自分にできることなんて、ほんのわずかだから。肥大する自分をなだめて、ちいさくちいさく、足元だけを照らしながら進もう。

 本当はたいした話じゃないのに、どうしてか大げさに捉えてしまうのは、自分の悪癖だ。なんでも笑い飛ばせたらいいのにと思いつつ、そんな余裕がないことも承知している。そういう生き方をしてきたのだから仕方ない。

 そう考えると、先に並べたような人だって、それぞれがそういう生き方をしてきたというだけで。自分でそれを、どれだけ選べたというのだろうか。要するに誰も悪くないんじゃないのかと。それに他人への批判というのは、どうしても自分にも当てはまってしまう。言ってみれば、自己批判の裏返しなのかもしれない。

 こんな風にあれこれ考えず、ただ生きていられたら。幸せなのだろうか。自分の苦しさをわかってもらえたら。楽になるのだろうか。なんにしても、ちゃんと眠れて、ご飯が食べられるだけ、僕は恵まれている。そんな風にも思えるのだ。

 仕事が落ち着いたら、海に行こう。波の音を聴きながら、写真を撮ろう。そんなことを思いながら。本当はどうでもいいことを、一生懸命に考えて、悩みながら生きていく。


撮影ワールド:LUANA Beach Island/Nekoro さん


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