とらお
日々、思うことを好きなように。
写真/カメラの話
VRChat(VRSNS)のこと。
創作や、分類できないもの。
埼玉の秘境――秩父へ行ってきた。秋らしい写真が撮りたかったから。 しかしながら、遠出すればいい写真が撮れるというのは幻想に過ぎない。天候も含めた「運」、わずかなシャッターチャンスをものにする「技術」。そして何よりも、撮影自体を「楽しむ気持ち」が大切じゃないかと思う。 楽しむものに如かず。なんでもそう。楽しんでいる奴には勝てないのだ。 *
先週に引き続き、記事を書く気にならなかった。今日はタイトル(副題)さえも思い浮かばなかった。 「――だったら、書かなきゃいいじゃないの?」 確かにそういう気持ちもある。言われなくたってわかってる。それでも、だらだらと惰性でキーボードを叩く。 ある意味、呼吸みたいなものだから。 *
今年最後の三連休だったらしい。とは言っても、今日も仕事だという人はたくさんいる。誰かが働いてくれるから、社会は運営されていくのだろう。 働くというのは、何も金銭を得ることだけじゃない。たとえば、ゴミ拾いだって立派な仕事だし、掃除や洗濯、犬の散歩だって仕事だ。noteで記事を書くのもそう。要は、自分以外の誰かのためになるのなら、それは仕事だ。 もしいま仕事ができなくても、それは仕方ない。ゆっくり休むのも大事。無理をしてもいいことはない。いいからもう休め。そう言って欲し
金木犀の香りが好きだ。 秋の訪れを感じさせてくれるから。 小さな花弁が寄り添っているのも可愛らしい。 どこか愛おしいとさえ思う。 そんな風に思うのは、すぐに散ってしまうから。 儚いことを知っているからだろうか。 * 秋と言えば、コスモスも割と好き。 光に透ける花弁が美しいと思った。 これは猫。野良の猫。 朝顔って、まだ咲くのね。 サボテン🌵もかわいい。 色づく赤い葉っぱ。 * 紅葉が待ち遠しい。 美しいと感じるものは人によって違
「――でも、自分のことも大切にしてくださいね」 手紙はそう締めくくられていた。 * 会社で人事異動があった。と言っても僕の所属はこれまでと変わらない。数年前に大阪から東京へ異動してきて、それっきりだ。 今回、異動することになったのは、同じ部署だけど、違うグループの人。とても仕事のできる女性で、他部署から「ぜひウチに」と誘われてのこと。上司は一度断ったらしいけど、本人のキャリアと会社全体のことを考えて、最終的には受け入れることにしたそうだ。 グループが違うこと
どんなものにでも「鮮度がある」とよく思う。旬とか、タイミングなんて言い換えられるかもしれない。ちょうどいい時期。そこを逃してしまったら台無しになったり、感動を得られなくなってしまうような。 例えば、同じ映画を観るにしても、ずっと楽しみにしていた作品を、公開初日に映画館で観るのと、公開から何年も経ち、レビューやなんやらで散々情報を仕入れてから観るのでは、全然違うんじゃないかと思う。 これはnote記事も同じで、自分がちょうど思っていたことを書いた記事に出会うと、「そう
――はっと目を覚ます。 ベッドから体を起こすと、汗が伝っていった。 呼吸が荒い。 怖い夢をみた。 でもそれがどんな夢だったかは、思い出せなかった。 ただ、ものすごく怖かったという感覚だけが、体に刻まれていた。 * どんな夢だったのか思い出せないのに、怖かった感覚だけが残っている。こんな風に抜け落ちた記憶がどきどきある。 氷山の一角、という表現が正しいかはわからない。 海から顔を出した氷が思い出せる部分で。残りの海中に沈んだところにはもうアクセスできな
こんなタイトルを付けるときは、決まって「記事が書けなかった週末」。書けなかったと言っても、時間を作れなかっただけの話で。書きたいことは色々あるのに、まとまった時間も、余裕もなかった。それだけのこと。
今日は三連休の最終日らしい。本当なら、僕もそのはずだったのだけど。なぜか土曜も日曜も、持ち帰ったノートPCに向き合っていた。働き方改革。残業時間を減らそう。むなしい言葉だ。どこかで誰かが割を食ってるだけ。 さすがに嫌気が差してきて、半ば衝動的に、写真を撮りに行くと決めた。そう言えば、彼岸花の咲く頃じゃないか。時刻はまだ朝の6時。行ける―― そんなわけで電車を乗り継いで、彼岸花の群生地までやってきた。けれど無情にも、そこには曇天が広がっていた。写真を始めてから、僕は曇
――毎朝見かけるその人は、いつも家の周りを掃除している。喜寿なんてとっくに過ぎていそうな年配の女性で、すれ違うと必ず「ご苦労さまです、いってらっしゃい」と声をかけてくれる。 はじめの頃はなんだか気恥ずかしくて、会釈を返すだけだった。けれどもいつしか、自分の方からあいさつをするようになった。会釈で済ませる方が恥ずかしくなったから。知らない人にあいさつをするのは、小学生以来だ。 あの女性、どことなく元は学校の先生っぽいと思う。ときどきいるよね、そういう雰囲気のある人。で
――あなたはしにました はじめて遊んだロールプレイングゲームの話。モンスターに倒されると、こんなセリフが出たのを覚えている。びっくりしたし、なんだか怖かった。あなた?僕が死んだの?って。 「魔王を倒す予言の若者、それが『あなた』なのです」。そんな説明が、パッケージに記されていたのも印象的だった。ロール(役割)をプレイするゲームってことなんだよね。勇者というロールを。 今でこそRPGは主要なジャンルだけど。昔はそうじゃなかったのだろう。まずはどんなゲームなのか知って
8月に参加した「VR写真展」のお話です。 会場はこんな感じでした。 さて、今回の写真展を通じて「感じたこと」をまとめてみます。 ■嬉しかったこと ・参加できたこと(運営さんに声を掛けてもらえたこと) ・ワールドの撮影許可をいただけたこと(wata23さん) ・アバターの使用許可をいただけたこと(kujiさん) ・たくさんの人に、写真を見てもらえたこと ・記事やマンガにしてもらえたこと 特に、こちらの「藤林檎さん」の記事では、僕の写真がアイキャッチ?の真ん中に配
――わかりやすい文章を書きたい。そう思って、本を何冊か読んでみた。本屋でよく見かける、ノウハウ本というやつ。そこには、文章を書くときのルールやコツが、わかりやすくまとめられていた。 本を読んでいて、ふと気付いたことがある。それは、どの本にも共通した内容があるということ。「書く目的」と「読み手」の話だ。 文章を通じて、自分は何を伝えたいのか。それを誰に読んで欲しいのか。目的と読み手。この二つを意識するのが、わかりやすい文章には不可欠で。逆に言うと、これができていない文
――朝。改札を抜けると、大きな声が聞こえてきた。駅前の横断歩道で、わめき散らす二人。どちらもその手には「杖」が握られていた。 「――こっちは点字ブロックを歩いてるんだ!」 ものすごい剣幕で、声を荒げる一方。手には白杖。視覚障がい者だ。 「危ないよ!私は足が悪いの!」 もう一方も負けていない。手には松葉杖。足には装具を付けていた。 どうやら二人は、点字ブロックの上でぶつかったらしい。ケガをしている様子はなかったけれど。 「だから!こっちは点字ブロックを歩いて
――今日はツイてるな。そう思えるのはこんなとき。電車で座れたとき。信号がちょうど青に変わったとき。いい写真が撮れたとき。 どれもちょっとした幸運に過ぎないけれど、自分としては結構うれしい。ただよく考えてみると、これらを幸運だと感じるには相応の理由があって。 普段、電車で座れることはないし、信号待ちも多い。意気揚々とカメラを持って出掛けても、いい写真なんてめったに撮れない。こういう積み重ねがあるからこそ、ツイてると思えるわけ。トータルで考えたら収支いっぱい。いや、マイ
――高級なレストラン、なんてものには、もちろんご縁はないのだけど。勝手ながらこんなイメージがある。 「これはどこどこ産の~~を使用しています」 「~~という調理方法で手間暇かけています」 「まずは何もつけずにひと口召し上がっていただき、次はこちらの岩塩を、最後にこちらのソースかけて――」なんてことを、シェフから説明される。 何が言いたいかって、こういうやり取りが、どうにも好きになれなくて。長々と講釈を垂れられたら、イライラしてしまうはず。もうわかったから、好きなように