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目的読書と手段読書
今年の目標の一つに「年間36冊くらい本を読む」と設定しているため、隙間時間にいそいそと読書をしております。
志低いと言われてもどこ吹く風の私ですが、6割超の人が1か月に1冊も本を読んでいないこのご時世、「ようやっとる」と自分を評価してみます。
さて、先日読んだ本は、「自分を変える1つの習慣」という本でした。
かつて「勝間和代氏がお勧めするお金持ちになるための本10選」みたいなものに選ばれていたので読んでみた次第です。私はお金持ちになりたい欲は人並みなのですが、面白い本を読みたいという理由でその10選は何冊か読んでいます。
読まないであろう皆さんにこの本の価値1,300円分の内容を要約すると
成功している人とそうでない人の違いは「選択肢がある時にちょっと困難な方を選ぶかどうか」にある
「今の快楽」と「将来の自分の為になるもの」の天秤で我慢して後者を選択することが大事
この選択を繰り返し、日々積み重ねることが成功している人とそうでない人の差になる
考えることよりも行動することが大事である(考えるは結果をもたらさない)
「勝利は習慣からなる。残念ながら敗北も同じである。」
愚痴、悪口、不平不満を言わない
こんな感じのことが書いてありました。解説は割愛しますが、これであなたは1,300円を節約できました(またはもっと大きな価値をこれから生み出すかも?)。
私は自己啓発本があまり好きではないのですが(自己啓発本ファンの皆さん、自己啓発本作家の皆さん、ごめんなさい)、おそらくそれは自己啓発本を何かを成し遂げるための「手段」だからなのかと考えています。
「お金持ちになりたい」、「成功したい」、「一目置かれる存在になりたい」、「できる人間になりたい」みたいな。もちろん心の安定のために書かれた本もありますよね。
ちなみに英語では「自己啓発」では「Self-help」というジャンルになるみたいなんですが、自己啓発ではなく自助のほうがこれらのジャンルはイメージとしてしっくりくるような気がします。
話を戻すと、本を読むこと自体が目的の本が個人的には「本を読んだ感」を感じることができて好ましいと考えています。
誰かの人生の追体験や、自分の知らなかった物事について、歴史的な出来事についての事細かな物語についてなど、本で出会うことができる知的好奇心や感情を満たすことができる、そこで完結してしまうのが目的本の魅力なのかと。
それらは何かに直接役に立たなくても全然いいのです。
ちなみにそれはネットでの情報では充足することはできないというところは本の大きな特徴かと考えています。ネットの情報と同程度の情報量の本というのももちろんたくさんありますが。
上の「自分を変える1つの習慣」の原題は「Take the stairs」つまり、「階段を使え」なのですが、小さな努力を選択的にしている人を「階段を使う人」、短期的に楽をする思考を持つ人を「エスカレーターを使う人」に喩えています。
同じ情報を取得する場合も「本を読む」と「ネットで調べる」では、結果が全く異なってくると思います。情報のアクセスの簡単さと情報量/深さは反比例するのではないですかね?
それこそ「階段を使う人」と「エスカレーターを使う人」みたいな感じで、もし情報収集に使う時間を同じくして、方法を変えていったとしたら、そこには大きな差ができていくかもしれません。
一方で本のアクセサビリティは向上し、ネットの情報量も増えてきているので、いつかどこかでその差はなくなっていくかもしれませんが。
更に言うと、頭に直接知識をインストールするような未来が来るかもしれないですよね。脳埋め込みデバイスをイーロンマスクが発表したりしてますからね。
そうなると人間が享受できる知識や情報量は均質化するんでしょうか?
それともお金持ちだけがデバイスを享受できるんですかね?
どちらにせよディストピア感のある話ですが、今はまだ日々の努力がモノを言う世界なので、私が生きている間はいそいそと自己研鑽に勤しむことや、普段から何かを積み重ねることは無駄ではないと信じることにします。