ウルトラ育てにくい娘が教えてくれたこと
18年前、私のもとにやってきたのは、ウルトラスーパーデラックスに育てにくい娘だった。
生まれてすぐから寝ない寝ない。本当に寝ない。
そして起きている間は常に引っ付いている。
ほんのちょっと、うっかり寝てしまってくれた時に、私は急いでやらねばならないことを済ませる。
そしてまた、寝てしまったことを悔しそうに起きてきた不機嫌極まりない娘は、また私に引っ付く。
つまりだ。
私は寝る時間がないわけだ。寝ない彼女より。
寝ない彼女は常に不機嫌。
私はほとほと疲れ果てていた。
どうして寝ないんだろう?
!?
そういえば、私もものすごく眠りが浅い。
何が原因なんだろう? と原因を突き詰める。
ちょっと寝れる二人になっていた。
幼稚園も小学校もスタートはワクワクで行くものの、すぐ行きたがらなくなる。
理由を聞けばそれなりに答えるけれど、「そんなこと?」という内容。
そして相変わらず不機嫌。
2年生ぐらいになって、言語化することができるようになってきた。
それでわかったこと。
誰も気づかないような小さなことがとても気になる。
間違いは絶対許されない。
いつも緊張状態だった。心がへとへと。
!?
私もだ。世の中の目線がいつも自分に注がれていて、チェックされている、そんな気持ちで生きてきた。
何か原因があるのかなぁ…と探っていった。
ちょっと不安が緩んだ二人になった。
学校に行かせることをやめ、おうち生活になり、週に一回、不登校児向けの機関に。
楽しく通っているけど、仲良く遊んでくれる心理士さんが、ふとした瞬間に見せる「観察している」モードが怖いという。
相手の感情がなんとなくわかってしまうらしい。
!?
私もだ。
相手の心の波がなんとなくわかってしまって、勝手に悩むことが多い。
どうして? そんな人がいるの?
何があるのか調べてみた。
「こういうタイプの人がいる」という事を知って、それを受け入れたことで二人で楽になった。
自ら望んで進んだ私立中高一貫校。
比較的順調に学校生活を送っていたけれど、「学校に行っていなかった」という事実が彼女の不安を掻き立てる。
「私はみんなよりあらゆる面で劣っている」
たぶんそう思っていた。
だから、いつもいつも緊張していた。
そんな彼女を理解してくれる人が初めて現れた。
中3の時の担任の先生だ。
先生が変わるごとに彼女特異な性質を説明するけれど、理解してもらえたことなんてもちろんない。
おそらく、その先生は同じようなタイプだったのだろう。
彼女を理解したうえで現在の彼女に必要なことをわかっていた。
先生の策略により、彼女は学級委員長になった。
あらゆる行事を取り仕切った。
その手腕はわが子ながら中学生の域を超えていた。
この経験は彼女を大きくした。
自分の「特異な」ところではなく、「得意な」事に注目できる人間になっていた。
…
わたしはどうだろう?
相変わらず人目を気にして、自分を出せずにいた。
彼女が誇らしくもあり、うらやましくもあった。
高2の夏の終わり。
2日前まで文化祭のリーダーをしていた彼女は、4年半通った中高一貫校をやめた。
「学校で学ぶべきことは、全部学んだから、もういいや」
10日後にある修学旅行さえ行かない。
号泣する級友たちに後ろ髪を引かれることもなく、彼女は通信制高校に席を移した。
実はおうち生活でどんな暮らしになるのか、ちょっとは不安だった。
でも、彼女はみるみる元気を取り戻していった。
気づけば世界に興味を持ち、毎日早朝に起きては経済ニュースを見ている。
世界について語る。
日本について語る。
経済について語る。
歴史について語る。
あんなに学ぶ意味が分からないと言っていた、社会科の世界に興味を持ち、日々学んでは私に自分の考えを発表する。
「お母さんも"自分のため"のビジネスをやった方がいいよ」
そんなイタタタな辛口のアドバイスをもらったり。
同じ性質を持ちながら、
自己肯定感が富士山より高く、「自分」生きている娘。
表に出るのが何より嫌で、陰に隠れ続けている私。
その違いは何?
「親の信頼だよ」と彼女は言う。
何があっても母親は自分の味方。その安心感が私をこんな風にした。
そう言ってくれた。
私も逃げずに向き合おうと思った。
そして今、自分の中に自分が戻った。
彼女が思う、"こうあってほしい"母の姿になったんじゃないかな。
私に顔をうずめておびえていた娘を何とかしてあげたくて、試行錯誤した結果、自分の問題に気づき、共に楽に生きる、ができるようになった。
そして、私の手を離れ、コミュニティの中で「自信」を取り戻し、自己責任で「選択」をし、「自分らしく生きる」姿をまざまざと見せつけ、「自分を生きる」ことのすばらしさを体現してくれた娘。
それを見ていた私は、「自分の中の本当の自分」に気が付いてしまった。
そして苦しくなって、たくさんの鎧を脱いで「自分」を見つけた。
この娘が私の元に来たのには、ちゃんと理由があったんだなとしみじみ思う。
最近、娘が私を「ははおやー」と呼ぶ。
庇護してくれる「お母さん」から、「母親」という立場の一人の人間として認められたような、そんな気がしている。