宇宙少女の歴史 3
新しく知り合った人たちから、私の人生について知りたいと言われることがよくある。
まぁ、直接の知り合いでもない人たち(このブログを読む人たち)が、どれほど他人である私に興味あるのかは分からないけれど、日本で産まれて育ったにも関わらず、日本社会とは全く別の宇宙に生き続けて(苦笑)、そのままヨーロッパ発信で、世界を旅しては歌を歌うという職業をしているなんて、ちょっと珍しいと言えば、珍しいだろう。なので、シリーズにして書いてみようと思う。
ここまでの歴史
国内国際社会
そんなこんなで、大学生活はほぼ、外国人と苦楽を共にした。
ハンガリーからの留学生は私に、日本では個性が大切ではないから、あなたはヨーロッパに住むべきだとずっと諭されたが、私には飛行機に怖くて乗れないという難題があった。
CA未遂事件
声楽にはあくまでも興味が無かった。しかし、歌を歌うのが好きだったので、出来ればJazz歌手になりたい…とか思いつつ、しかし、日本でJazzって?と想像がつかず…卒業してから何をするか、わからなかった。
そんな時、(既出の)変わり者の母が、CAになって欲しいと言い出した。
私が飛行機に怖くて乗れないのを承知の上で(笑)
またの無茶振りだが、私はCAの競争率の高さを知っていたので、受けるだけ受けて落ちれば、問題ないと思い、訓練学校に応募した。
すると、全国で3人の特待生で受かった…
理由は知っている。私は170cmと背が高いからだろうと予想する(苦笑)
母に、「いや、飛行機怖くて乗れないから!」と言い、CAは諦める承諾を経て、訓練学校に断りの電話をして、こっぴどく怒られた。(勿論である)
将来は未知数
他にも外国の絵画を輸入する会社の入社試験も受けた。これも受かったが、日本では必ず、「まずは外回り」という時代だった。母が、あなたの様な身体の弱さで、それが出来るはずないと言った。(いや、CAも相当キツイと思うのだが)
母が私の健康を気遣うなんて、怪奇現象。と言う事は、なぜかこの仕事をしてはいけないのだろうと思い、晴れて、将来を「?」という空白を残して、卒業。
※後に母が手術で入院となり、私は母の代わりに家事をやらなくてはいけなくなり、「就職もせず、よくぞ融通の効く立場で居てくれた」と感謝された。母に褒められたのは、今のところ、これ一度きり!
オペラ歌手!
Jazz歌手に憧れつつ、大学の最後に、図書館を使えるという特権を最後に使わないと!と、DVDを見まくった。
うちの大学には、大きな画面とサウンドタワーの置いてある大きな個室があり、そこで床にゴロゴロしながらDVDが見れた。ちょっとした「私の」リビングルーム気分だった。
そこで、マリアカラスの生涯を描いた映画を見た。そこで、
その声に驚いた
いや、声楽を学ぶ人は誰もが知っているマリアカラスを、学部4回生でやっと聴いたんかーい!と皆に突っ込まれるが、私はそれほど声楽の声質に興味が無かった。
そして、なんだこれは?楽器みたいじゃないか?
私はとにかく超人的な事が好き。なぜなら、それが宇宙の真理にたどり着ける道だから。
そして、私は、大学卒業後、オペラ団体の研修所の試験を受けた。
今日はここまで!
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