想像していなかった未来:一冊の本が海外未経験の私をロンドン留学に連れて行くまで
小さい頃から本を読むのが好きだった。祖父の影響で、本屋へはよく連れていってもらった。夏休みに祖父母の家へ行けば新しい本が置いてあったりした。おもちゃやゲームはあまり買ってもらえなかったけど、本は積読しない限り買ってもらえるような家庭だった。私はシャーロック・ホームズシリーズやダレン・シャンなど、児童向けのシリーズものを夢中になって読んでいた。
中でも、私が小学生の頃はハリーポッターシリーズが出始めた時で、世界中の子供たちが熱狂していた。私もその一人だった。映画を見た時も衝撃的な面白さだったのを今でも鮮明に覚えている。ただただハリーポッターの続きが刊行されるのが楽しみで、ホグワーツに、ロンドンに、イギリスに、本気で憧れた小さなころの私。毎日ハリーポッターの解説本を読んでは、呪文を唱えたり、箒にまたがりクィディッチをしている自分に思いを馳せたりしていた。
ある日、ハリーポッター関連の本を本屋で見つけた。『大好きなハリーポッターへ 世界の子どもたちより』という本だった。(この本は今でも大切に本棚にしまってある。)母に頼んで買ってもらい、読んでみた。本の中には世界中の子どもたちからのファンレターが英語で書いてあった。日本語訳や解説が書いてあったり、ファンレターの書き方も書いてあった。世界中の私みたいな子供たちがハリーポッターシリーズへの愛を語っていて、深く共感した。私と同じ気持ちの人が世界にはこんなに沢山いるんだとワクワクした。そしてもう一つワクワクしたのは、英語を使えばハリーに手紙を書けることだった。世界の子どもたちは、ハリーが使っている言語である英語を話すことが出来るんだと驚いた。(実際は、世界各国の言語を英語に訳して掲載しただけかもしれないな、と大人になって思う。)
そこから呪文の勉強に加え、英語も猛勉強した。まずハリーへの長々としたファンレターを日本語で書き、辞書で英単語を調べて書いていった。その作業がすごく楽しかった。その紙を親に見てもらったり、学校でALTの先生を見つけてはチェックしてもらったりして、少し文法がわかるようになった。とにかくハリーに送ることができるよう必死。おかげで無事にハリーにはファンレターを送ることができた。
だがその後も私は英語の勉強を辞めなかった。いつかホグワーツに入学する時に、周りとコミュニケーションを取るためには英語が必須だからだ。マルフォイみたいなやつがいても、一泡吹かせるくらいの英語力は必要だと思った。生活の中で目に入ってくる英語は全て意味を調べ、頭に浮かんだ言葉は英語を調べるようになった。
すると母がそんな私を見て、小学生向けの英語の塾に入れてくれた。配られた英語のテキストは夢のようだった。訳す英語がたくさんある。隅から隅まで全部読み、付いてきたCDは毎晩聴いた。塾では先生が英語で話しかけてくるので、私は英語で返事をした。楽しくて仕方なかった。
時が経ち、私は中学生になった。ホグワーツには残念ながら入学出来なかった。もはやこの歳になると「ホグワーツ入学って(笑)まさか本気で言ってる?(笑)」みたいな反抗期で、変に現実的になってしまった。趣味は音楽へと移行した。洋楽を聞き、英語の歌詞を調べ、全て書き出す。意味を考える。汚い言葉も沢山覚えた。中学になると英語の授業が始まったので、英語の先生に歌詞の日本語訳と、2・3行の英語日記を添削してもらえないかとお願いし、週に何度か見てもらう日々だった。お陰様で中学のテストは英語だけ常に満点、なんなら高校生の単語帳を開いたりするようになった。高校も、英語で傾斜点がつく高校を選んで行った。高校は他の教科の勉強でも忙しく、あまり英語に時間を費やせなかったけど、英字の本をたま〜に読んだりした。ハリーポッターのことは映画で見るくらいで、すっかり生活からは遠くなってしまった。
英語がこんなに好きなのに、海外旅行に行ったことがなかった。親には自分で行けるようになってから行けば良いじゃないかと言われて、渋々我慢し続けていた。ロンドンに行きたいと何度か親に言った覚えもあるが、そんな遠いところ行くお金ないとか、行く時間がないとか、英語がわからないとか言われるので、もはや頭の中から行きたいという気持ちは消えていた。中学時代にはロンドンに対する憧れは無くなっていたと思う。だが、大学に入った時に抑え込んだ気持ちが爆発する。
大学でロンドン留学のリーフレットを見つけてしまったのである。留学はしてみたいと思っていたけど、行先はアメリカとかオーストラリアとかどこがいいかな〜アメリカは高いよな〜うちはそんなお金ないしな〜アメリカだったら歌手の誰々のコンサート行きたいな〜なんてたまに呑気に考えていただけで、行動にはうつさなかった。だが、そのリーフレットにはロンドンの写真がバーンッと掲載されており、自分が英語を勉強し始めた起源をそこでやっと思い出した。そうだ!ハリーのおかげでこんなに英語を勉強したんだ!一回くらいロンドンに行ったってバチは当たらん!!と。
そこからは親の説得。本気度を見せろと言われたので、一生懸命アルバイトをして頭金を準備した。大学の授業でもらった良い評価の成績表を集めて親にも見せた。(よくない評価のものは見せなかった…!)親を説得したあとは、自分で手配を進めた。手配する際に、ロンドンにある学校やホームステイ先と何度かメールでやり取りしたが、英語で返ってくるメールにさえワクワクした。いよいよ英語話者と現実で話す日が来る。
あれよあれよと話が進み、いつの間にかロンドンの上空にいた。一人ぼっちで初めての海外。飛行機に乗るのも、入国審査も、預け荷物とか手荷物とか、空港の中の免税店とか、全て初めて。飛行機の中では、隣にいた韓国人の女の子が不安そうな私を見て沢山お菓子をくれて、なんとかなった。とうとう来てしまった。気持ちだけでロンドンに来てしまった。ロンドンに来る前に誰かと海外に行ってれば、こんなに不安にならなかったのに。怖くて仕方ない。でも飛行機の窓の外には、ハリーがロンと車で飛んでいたシーンのあのロンドンの景色がある。不安とワクワクがあそこまで大きく両立したのは、今人生を振り返ってもあの時だけだったと思う。
ヒースロー空港で入国審査を終えドッと疲れがきた。出口で送迎の男の人が待っていてくれた。車の中で、「長旅だったでしょう?日本からだよね?」と聞かれて、「とても疲れました。こんなに長いフライトだと思わなかったけど、憧れのロンドンがこの世に実在してるとわかって混乱してるし興奮してる」と答えた。すると運転手は笑いながら、Welcome to London!と言ってくれた。ホームステイ先は、おじいさんとおばあさんのお家だった。挨拶を済ませて家の約束事を聞いた後に少し雑談した。そのおじいさんとおばあさん、私には完全に魔女と魔法使いに見えていた。一緒に写真を撮って母に送りたいんですがとお願いすると、快く撮影してくれた。母には写真を添えて「魔女の家に住むことになった」と連絡した。
ロンドンの学校初日、私は学校に行って驚いた。なんと9と3/4番線があるKing’s Cross駅に程近い学校だった!ロンドンの地学をあまり調べないで、制度が良さそうと思った学校に決めていたので、まさかの事態に非常に驚いた。毎日風景に魅了されながら学校に通うことになった。学校生活も、ホグワーツに入ったらこんな感じかなと妄想していたものそのままだった。初めて仲良くなったのは、南米コロンビア出身の男の子。ノートを開いていたら、隣の席に座ってきてノートにHola!と書いてくれた。底抜けに明るい人懐こい性格だった。イタリア人の女の子は毎日遅刻してきて一方的に知っていたが、授業中のディスカッションでお互いの趣味が似ていることに気づき仲良くなった。フランス人の男の子はたまに私たちのクラスにやってきて、物凄く意地悪なことを言う。私がその度に泣きべそをかいていると、同じくフランス人の女の子がやってきて慰めてくれる。スペイン人の女の子は、働きながら学校に通っていたのであまり会えなかったが、仕事が休みで会えた日は思いっきり抱きしめてくれて、放課後に腕を組みながら街を練り歩いた。そして皆が私に言った。「あなたは他の人と違う」と。最高の褒め言葉として。
留学後は海外によく行くようになった。友達を訪ねたり、長期休みで一人旅してみたり。海外旅行なんて夢のまた夢、飛行機に乗ったこともなかった私の人生観を、ロンドンでの経験がコロッと変えてしまった。
もし小さい頃の私に会えるなら、英語の勉強を頑張ったおかげでロンドンに行けるよと教えてあげたい。あんなに夢見たロンドンに、まさか自分一人だけで本当に行くことになると思っていなかった。しかも初めての海外経験がそのロンドンなのだから、なんという巡り合わせだろうと思う。それに皆と英語で話をして、友達になって、楽しい思い出は今でもキラキラと輝いていて、小さい頃思い描いた夢そのまま、本当に思った通りに叶った。ハリーポッターシリーズ中のあの話は、遠い国のおとぎ話であり、小さい私のただの憧れで終わってしまうんだろうと記憶に蓋をしていた。まさかこんな形で叶うなんて想像もできなかった。全てはあの時出会ったあの本から始まっていると思うと、運命というのもあるのかもしれないなとさえ思う。