彼の賞味期限
「キミにはがっかりだよ」
修復不可能な溝が出来たことを告げ、私は彼を暗い棺の中へと押し込み、勢いよく蓋を閉めた。
そうして月曜日の朝、燃えるゴミとともに、彼に永遠の別れを告げた。
きっかけはとても些細なことだった。
いや、彼からすれば些細なことだが
私にとっては見過ごすことの出来ない、実に許し難いことだった。
別に彼がヘマをした訳でも、嘘を吐いた訳でもない。
... ...ただ、ただ裏面に賞味期限が書いていなかったんだ。
*・*・*・*・*・*・*・*
彼=無添加鰹出汁パック
暗い棺=蓋付きのゴミ箱
賞味期限=賞味期限
*・*・*・*・*・*・*・*
この日は休みだったので、妻のために夕食を作ろうと
引き出しを開けて、出汁パックを手に取ったんだ。
久しぶりに家で料理を作るから、念の為賞味期限を確認しようと思ってパッケージ裏の成分表示欄を見たんだ。
まったく、言葉を失ったね。
「枠外に記載...だと?」
わざわざご丁寧にも《賞味期限》という欄を作っておきながらそこに答えは記されていなかった。
よしわかった。
100歩譲って欄外に書いてあるとしよう。
じゃあ、わざわざここにインクというコストをかけてまで
《賞味期限》という項目を用意する必要はあるのだろうか?
脳内に飼っている、偽ひろゆきが論破しようと彼に狙いを定めたその時、
ふと学生時代の記憶がフラッシュバックしてきた。
——— 私の21回目の誕生日。
当時一人暮らしをしていた大学の近くにあるワンルームマンション。
ドアを開けると、その狭い部屋を当時付き合っていた彼女が
青とシルバーの2色の風船で飾りつけしており、サプライズでお祝いをしてくれた。
私は嬉しさのあまり彼女とハグをして感謝を伝えた。
こんな私でも20代前半はこういったことに、心から喜びを感じられる素直な男だったんだ。
そのとき、彼女が突然
「んっ」と言いながら一通の手紙を私に押し付けてきた。
まるでカンタがメイに傘を差し出す、トトロの名シーンかの如く。
彼女は照れ隠しなのか、無言のままアゴで手紙をさすようにして、中を見ろと促してきた。
手紙を開くと一枚の便箋が入っており、そこには《クローゼットの中》とだけ書かれていた。
気になりながらクローゼットの扉を開けると、リボンのかかった箱が入っていた。
それを開けると二つ折になった可愛い淡いピンク色の便箋と目が合う。
そこには《電子レンジの中》とだけ書かれていた。
そうしていくつもの手がかりとなる手紙を追いかけた末に、私は見事彼女の愛が詰まったプレゼントを手にすることができた。
その過程も含めて、とても幸せで甘酸っぱい青春の1ページとなった。
そんな当時の彼女のことを思い出しながら、再び私の手の中で静かに佇む出汁パックにピントを合わせる。
そこで私はハッとして、彼の意図に気付いた。
ハハァーンつまりこの俺と《賞味期限》という宝探しゲームをしようって魂胆だな?
差し詰めこれは宝の地図といったところか。
望むところだ!
...ってアホか!
ぶつくさと文句を言いながらも
用意された宝の地図に書かれている場所を探すが、そこに宝はなかった。
最後の島にたどり着いたルフィが宝箱を開けて空っぽだった時、
きっと私と同じ表情をすることだろう。
どうやらパックを開けるときに切り取る部分。
そこに宝は隠されていたようだ。
宝箱と気付かずに捨ててしまっていたということになる。
それは《賞味期限》を確認する術が残されていないことを意味していた。
例えるなら、映画の半券。
入り口で回収される側にのみ座席番号が書かれているようなものだ。
スクリーンの入り口で再度座席の位置を確認しようとしても、手元に残された半券には座席番号がどこにも書いていない。
まさしくそれと同じ状態だった。
私は、落胆し細いため息を一つ。
「キミにはがっかりだよ」
そう言って無慈悲にも出汁パックをゴミ箱へと押し込んだ。
何故切り取る部分に賞味期限を書いた⁉︎
往々にして、賞味期限を必要とするタイミングは開封時じゃない。
存在を忘れてたと気付く頃に必要になるものだ。
あれか?
もしかして記憶力と注意力を試しているのか?
日常に潜むIQテストの類か何かデスカ⁉︎
あ、それとも、あれか?
ドラマとかで「大事なことだから一度しか言わないからよく聞け」
って言うタイプのヤツだろ。
大事なことなんだから理解できるまで質疑応答の機会設けろよ!
忘れてそうだったら2回も3回も言ってよ!
...ってか賞味期限だって2箇所に書いたっていいだろうが。
大事なことだから2回言いました。
ってやつ知らないのけ?
Twitterやったことないのかよ
ばーかばーか。
そんなことを言いつつも、用心深い私にはまだ起死回生の一手が残されていた。
こんな事もあろうかと、実は同じ出汁パックをもう一つ買い置きしていたのだ。
——— この勝負、数手先まで読んでいた私の勝利だ。
勝利を収めた私は意気揚々と予備の出汁パックを開封し調理に取り掛かる。
今日の献立は肉じゃがとほうれん草のおひたし、大根の味噌汁。
妻の喜ぶ顔が目に浮かぶ。
そんなことを考えながら料理に耽っていった。
ゴミ箱の一番上には、後に宝となるものが横たわっていた。
私がこれに気付くのは、もう少し先のお話...。