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《注》【第2話】壺井栄をなめるなよ!

《注》
(その1)
*1)徳永直の「妻よねむれ」は、1946(昭和21)年3月の『新日本文学』創刊号から連載開始。
ただし、「妻の座」初回が掲載された1947年7月号には「妻よねむれ」は載っていない。「妻の座」の第2回は、「妻よねむれ」の連載終了(1948(昭和23)年10月)後の1949(昭和24)年2月号に載り、以後、7月号までつづいている。だからつまり、「妻の座」と「妻よねむれ」は、一緒の号には載らなかったのだが。
編集部が、気を利かせたのだろうか。

●(その3)
 *2)絶体絶命の存在の危機
 これまで共産主義者の夫を助け、男たちが獄中にある間も組織、雑誌を守って闘って来た。だが小林多喜二の虐殺後、急速に共産主義運動はしぼみ、行き詰まってしまう。転校して出獄した夫繁治を、栄は非難しなかったが、繁治は、妻の表情から無言の「不賛成」を感じとったという。
 さらには昭和11(1936)年、苦労をともにしてきた夫繁治と、信頼していた友人、中野鈴子(重治の妹、詩人)の恋愛が発覚し、栄の足元は、根こそぎ崩れる。
 「プロ文士」の妻として勇敢に闘ってきたが、気付けば、妻である以外に、自分は何も手にしていない、ただの中年の女だと。栄はおそらく、決死の覚悟で「大根の葉」に取り組んだことだろうと鷺先生は記す。改稿は8回もなされた。佐多稲子の励ましで書かれたこの作品は、宮本百合子が『文藝春秋』に持ち込むが、なかなか掲載されないので、取り返してきて、『文藝』の編集長、高杉一郎に託され、無事、掲載され、好評を博す。
(鷺只雄「隠された真実──壺井栄における作家転身の意味」『言語と文学』110号、おうふう、1994年2月。のち、『評伝 壺井栄』翰林書房にその内容が吸収)

(その5)
 *3)日本の男女平等指数は毎年、「先進国」の中で最下位
 OECDによる“働く父親と母親の所得の差”の調査(2012年)の結果、日本の女親の収入は男親のそれとの差から見て加盟30カ国中最低。この原因としてOECDは、日本では、子育て後の女性がもとの職場に戻るのが困難なこと、節税のため妻が所得を低く抑える傾向があること、そして、男性が家事をしないことなどをあげている。
 この調査は10年前のものだが、OECD加盟国中「男女の賃金格差」ワースト2位(1位は韓国)の座を、日本はここ10年以上キープし続けている。
 また、世界経済フォーラムによる「ジェンダー・ギャップ指数2021」では、156カ国中、日本は120位で、ずっとこの地位は横ばいだ。

(その7)
 *4)1954年第3版、角川文庫
 1990年代に神保町のどこかの古本やの店頭の段ボール箱でみつけた。昭和28年9月30日初版発行、昭和29年9月15日三版発行。


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