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とらぶた自習室 (11) 勉強メモ 野口良平『幕末的思考』第1部「外圧」第5章-5

野口良平『幕末的思考』みすず書房
第1部「外圧」 第5章「残された亀裂」-5
~小栗忠順と近藤勇の刑死~


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筆:栗林佐知(けいこう舎)
2023年3月1日メモ


「官軍」が「幕府方」を“倒した”「戊辰戦争」。
この渦中で「幕府方」として処刑されたのは、小栗忠順(上野介)と新撰組の近藤勇、この2人だけだという。

■ 小栗忠順の刑死


小栗上野介忠順の処刑は、あまりにひどい。

小栗忠順(1827 - 1868)肖像(村上照賢画)東善寺所蔵


小栗は、幕府を強化し、徳川主導で新しい合議制の政治体制を作ろうとしていた有能な人物だった。
だが、「官軍」への恭順を決めた徳川慶喜に罷免されてしまい、知行地である上州の権田村へ帰って、隠居生活を始めたところだった。

だのに、やってきた「官軍」の別働隊にいきなり逮捕され、尋問さえ受ける間もなく、20歳そこそこの若者の手で、翌日に処刑されてしまったのだ。

■ 語り直される近藤勇


いっぽう近藤勇。
近藤勇の最期は、ドラマや小説で有名だ。
京都でいっぱい浪士を斬っている。
「まあ近藤はたくさん人殺しをしたし、しょうがないんじゃないか」と、新選組のファンでも思うのではないか。

だが、『幕末的思考』は、近藤勇を語り直す。
近藤勇は「草莽の志士」の一人だったというのだ。
えっ!と思ったけど、腑に落ちた。

草莽の志士というのは……。
幕末、日本列島の町々村々津々浦々で、人びとは新しい世の鼓動を聞いていた。黒船で脅してきた異国になんとか対抗しなくてはいけない。
「身分のある家に生まれた者にしか、学び意見を言う機会が与えられない世の中ではだめだ。自分たちみんなで新しい世を作ろう!」と考えた、そういう人たちのことだ。
近藤勇は、ただの人斬りのボスではない。
考えもちゃんと持っていたらしい。
京都で諸藩のお偉方の集まる酒席で「薩摩や長州がやってるようなご当地攘夷ではだめだ。国を挙げてみんなで攘夷しなくては」と、近藤は意見を言ったそうだ。

そして、教養もあったのね。
辞世に残したという漢詩「七言絶句」を著者は紹介する。

孤軍、たすけ絶えて俘囚と)る/
顧みて君恩を念へば涙更に流る
一片の丹衷、能く節に殉ず
睢陽すいよう千古、是我がともがら

漢詩なんて詠んだのね!
睢陽(すいよう)は、中国の唐の時代、案録山の乱のとき、反乱軍との戦いで籠城した張巡軍が、孤立無援の中で壊滅した場所だとか。
詩中の「君恩」というのも、特定の国家とか主君とかにバンザイするのではなくて、《草莽の初志の理解者にむけられる私情の謂いだった》という。

新撰組の旗の「誠」もしかり。
何か特定の「国家」への忠誠ではない、自分たち、身分を問わず有志で集まってきた仲間たちが、共通に抱く"志への誠"だったと。

近藤勇(1834 – 1868)撮影:1966年 パブリック・ドメイン(国立国会図書館蔵)


うーん。
こう単純に紹介してしまうと、表面的な決めぜりふみたいで……。
自分の表現能力が残念だ。
著者の香華の高い文は、丁寧にその論拠を解きほぐしていて説得力がある。
ぜひお読みください!!

京都での新撰組の行いは、この志を実行したとはイマイチ言えないが……と、著者は続ける。

《鳥羽伏見以降、錦旗との戦いという試練のなかで、この隊旗はもう一つの理念性を帯びるようになった。それは大勢(=大義名分)に対する抵抗の根拠であり、さらにいえば、敗れても残る──残らねばならない──理念への忠誠という性格である。》p111

ただの主導権争いに、「正義」を早い者勝ちでぶんどった強者たちへの、抵抗……。

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