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あなたの思い-住所の無い便り-

大学三年の冬、あなたとの連絡が途絶え
講義でも試験でも、会うことがなくなった
明けて 秋の頃
あなたは
講義の最中、腰をかがめて教室へ入ってきて
私の隣に座った
遅刻してきた、耳を出した短髪の人が
長かった髪のあなただとは気づかなかった

学食で「どうした?」と尋ねると
あなたは
耳の辺りにふわりと手を当て
誰もいない宙に向かって
「神様の声がよく聞こえるように」と、応えた
それから
今まで話すことの無かった
世界の不穏な情勢や
世間の不条理の
既視感のある話題を
饒舌に語り続けた

私は相槌を打たずに聞いていた
東京ヴォードヴィルショ―が好きだった
あなたではなかった

言葉が途切れ
あなたは前のめりの姿勢を正して
「見て欲しいものがある」と
硬いまなざしで私に告げた

それから、大学を出て
繁華街に建つビルへ入った

あなたは入り口で私を紹介し
私は「簡単な手続き」というアンケートに記入して
間もなく半畳ほどの個室へ案内された
スピーカーから話しかけられ
誘導に随うとビデオが流れ始め
映像は
世界の紛争
暴力の蔓延、等々、等々
字幕は
世界の終末が近いことを
繰り返し告げていた

だから何なんだろう
私はお腹がすいていた

ビデオが終り
ロビーへ案内され
女性ばかり10人ほどが囲むテーブルの輪の中にあなたが居て
私は用意された席に座った
私が席に着くと間もなく
中年の男性がやってきて
何やら語り始めたけれど

板書だけの講義よりもつまらなくて
私はお腹がすいていた

それからみんなが手をつなぎだし
短い歌を歌い出し
終わると
「・・時間・・円で世界の事が勉強できますよ」
女性の一人が
口先だけが動く笑顔で説明を始め
あなたはその人と
少し離れて話し始め
私はお金を払うことなく
あなたと二人でビルを出た

別れ際
あなたは「転居した」と告げたけれど
新しい住所を言うことはなかった

後日
「どうしているの」と尋ねると
「結婚するよ」と口にした

それから
あなたを見かけることはなくなった

大学を卒業して数年が過ぎて
あなたからの手紙が届いた
住所は記されず
あなたの名前は変わっておらず
短い近況と
「お金を貸してほしい」とあった

「元気でいるんだ」と思っただけで
あなたの為のなす術は
考えることもしなかった

それから数年が経ち
隣の国から葉書が届いた
あなたは
伴侶と二人の子供と寄り添っていて
穏やかに笑う写真の隅に
「力を借りたい」と添えられていた

はじめて
あなたのご実家に手紙を出した
お姉様から
「すでに両親はなくなり、妹とは縁を切りました。
妹とは関わらないようにしてください」
短い返事が届いた

あなたとは
関わろうにも
関わることを避けるような
住所を書かない便りの意味が
腑に落ちた

生まれて
出会って
これからどこで
どんな様子で死に至ろうと
お互いに知ることの無い時間を残して

住所を書かないあなたの思い

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