効率重視で生きていたら虚しくなった
自己紹介:地方の国立大学卒業後、会社勤めをした後、30才で小売とサービス業で自営になり、40代でライターに転身。こだわりの商品の販売支援をしています。ブランディングやマーケティングの学びのシェアとお役立ち情報をお伝えできればと思っています。
人より速く進んで褒められること、効率よく仕上げて褒められること、さっさと問題を解決していくことを子供のころからやってきて、気がついたら人生がつまらなくなっていました。
いつも早く時間が過ぎ去るのを待っていた感覚があるのです。そして、いつも今ではない「いつか」を夢見ていました。
反対に、積極的な生とは、今この瞬間を生き切ること、楽しむことだと大人になってからわかるようになりました。
一瞬一瞬を充実させる生き方がしたいのに、なぜそれができなかったのか。社会システムなのか、周囲からの要請に順応しすぎた弱い自分だったのか、やりたいことがわからなかったのか、それとも勇気がなかったのか。
逆に強烈に楽しむことができる人は、人生の勝ち組でもあるでしょう。
一見、お金があるから叶う事柄のようにも見えます。
実際はそうでもなく、お金がなくても叶う強烈な充実感は存在します。まるで時間の感覚が消失していまうような充実感は、フローの状態とも呼ばれています。
フロー状態に入る
どんなときにフローの状態が現れるかは、人それぞれですが、わたしは文章のストーリーを考えているときが、それに近いです。
フローの状態ではあるものの、効率がよいわけでも人よりも秀でているわけでもありません。ただ充実感があるのです。
人によっては、フローに入る瞬間はさまざまですが、他人のフロー状態を知るときに自分というものが浮き彫りになることもあります。
飲んだら捨てられる運命なのに、このこだわり
当たり前すぎて目に止まりませんでしたが、建築を専攻するアメリカの留学生が、ぱしゃぱしゃ角度を変えて、缶のフォルムを写真に納めていました。
そのとき、あらためて日本の缶ジュースやビールのデザイン性について見直しました。ごくごく飲んで、ポイっと捨てるものに、これだけこだわるって、なんて日本人は繊細なんだ、美意識が高いのだと思わざるをえません。
わたしは、20代のころにアジアを旅したことがありますが、チャイを土でできた器で飲んで、飲み終わったらぽいっとその場で捨てて土に返す場面に出会いました。
形も一つ一つ違っているような斜めになった簡単な茶わんを、飲んだら、ポイ捨てで割り、そのまま循環させるなんて、エコだなぁと関心したものです。
でも一度飲むだけで捨てるなんてもったいないなとも思いました。
けれどもっと、もったいないのが、日本の缶製品です。デザインから形から凝っています。飲み口の感覚やタブの開けやすさまで徹底してこだわっています。一度飲んだら終わりなのに。
これは、人生にも似ています。
どうせ死ぬのに、生きるのか。
大袈裟にも聞こえるこの命題が、そこかしこに散らばっているのです。
どうせすぐ捨てるのに、作るのか。
どうせ脱ぐのだから、そのままでいいか。どうせ、後で開けるのだからそのままにしておこう。
このどうせどうせが、連なって、どうしようもないつまらない日常に繋がっていたのです。
そうであれば、その逆をいきます。
「今この瞬間をこだわりぬき、勝利を味わう」それは、わたしの人生の醍醐味として、これからの命題となっていくのでしょう。
こだわりのものを見て、使い、味わい、感じる、この瞬間に存在するものに向き合うという行為をしていきたいので、今の仕事を選びました。
ここからできたわたしの価値観
今ココを生きたいようとしている人や、その人のビジネスに関わりたいと思っています。
そしてフローの状態や、マインドフルネスに生きる人が増えるといいなと思っています。
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