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趣味を見出してほしい…楽しみを増やして生きてほしい。
私は漫画というのは身近で手に入り、比較的導入が簡単にできる趣味だと思っています。私は趣味が全くない人生期間が長い人間でした。なので現代を生きる人には、なんでも良いので趣味を見出してほしなと思います。
趣味が全くない人生期間
私は24年間趣味と呼べるものは何一つなく、寂しさ、孤独、不安で楽しみがなかった24年間を過ごしてきてしまいました。今だからこそ、それは趣味が何一つなかったからと言い切れます。
楽しみがないということは、未来への生きる意味がわからなくなることに等しいです。鬱々と日々を過ごしていました。
そんな私には周囲が楽しそうに見えました。ディズニーが好きな友人は年パスを持っていてディズニーに行く予定を頻繁に入れていて私は友人が楽しそうにディズニーの話をしてくれるのをただひたすら聞いていました。ある友達は同じ漫画好き同士で漫画の貸し借りをしていたり、新刊が出たから買いに行こうと楽しそうにしていたのを覚えてます。当時、漫画に一切興味が無かった私には「なぜ漫画に時間を使うのだろう」「時間の無駄なんじゃないか」など漫画に対して否定的な意見を持っていました。なので周りだけが楽しそうにしているのを見てなぜ私は楽しみがないのか、幸せじゃないのかと考える日々でした。でもそんな背景には家庭環境が大きく影響していました。
家庭環境
私の家庭環境は多分最悪、親ガチャ失敗ってところです。今だから”親ガチャ”というワードがありますが当時はありませんでした。
母親は私が小さい頃に父親と家庭裁判所で離婚をし、親権は母親が持ちました。幼い私には親権など選ぶ権利はありませんでした。子供はどうしても母親と過ごす時間が長いせいか、父親がいない時には父親の悪口などを子供に言い、幼い私は「父親は悪い人」と自然に洗脳されていました。また離婚が成立するまで私は母親と父親の喧嘩、それも警察沙汰になるほどの喧嘩を目の当たりにしてきました。あまり思い出せないのですが、私は目の前で繰り広げられる想像を絶する光景を見てただ泣いていました。
離婚成立後、母子家庭になり住む場所が無かったからなのか父親の家なのに父親が出ていき一人暮らしをしていました。私と弟は時々週末に母親なしで父親と会うことができていました。でもこの頃だったと思います。母親がパチンコ屋に頻繁に行くようになっていました。もしかすると、離婚前からだったのかもしれませんが物心をつくまで、パチンコ屋がどういう場所なのか、何をする場所なのかわかっていませんでした。次第に「父親と連絡するな」と言いお金を置いて出かけることが増えていきました。そして小学生の私と弟は近くのスーパーに行きお惣菜などなるべく安く済ませようと値段を気にして買い物をしたことをいまだに鮮明に覚えています。今思うと育ち盛りの弟にもっと食べさせてあげればよかったと後悔しています。
また、この時期に母親は家を長く空けることが増えました。また、何日間か帰ってこない日もあり、お金は尽き家にあるものを探して食べることもありました。そしてついに家中の食糧がつき私は連絡するなと言われた父親に連絡をして、ご飯を買ってきてもらったことを鮮明に覚えています。ちなみにその時父親が買ってきてくれたものは、オムライスでした。父親は母親に対して呆れていた様子でした。また、帰ってこない母親からの連絡は「出てるよ」に嬉しそうな絵文字付きのメールでした。ただ当時の私は漢字が読めず、幼いなりに理解しようとしてましたが、母親は帰ってこないのかもと心配と不安でいても立ってもいられなくなり、友達の家のおばあちゃんに「これなんて読みますか?」と聞きに行き、呆れた様子と心配してくれ、「出ている」の意味を教えてくれた気がします。
また帰ってきたらきたで、機嫌の良い日と機嫌が悪い日がありました。期限の良い日はお小遣いをくれたり、外食に連れて言ってくれたり、欲しいものは買ってくれました。ただ機嫌の悪い日は怒鳴り散らかし、怒られる最悪な日でした。
そんなある日、男の人に会ってほしい、良い子にしててねと見知らぬ男の人と会うことになります。なんだか、母親とは親しげな関係ぽく、にこやかな人という印象でした。ですがどこか怖いとも思いました。それはイラッとした時の口調や態度だったんだと思います。
そして母はこの男と再婚します。私たち家族は県を跨ぎ引っ越しました。決してその暮らしは良いものではありませんでした。私は新しい小学校でいじめに遭い、ランドセルを壊されたりしました。そして家では週末に第二の父親が帰ってくると母親との喧嘩で母親に対し暴力をふるい部屋は気づけば足の踏み場がないほど散乱していました。またここでも警察沙汰です。当時マンションだったので下の階からのクレームもありました。そんなこんなで結婚生活は続かなく、母親は第二の父親との子供を出産し逃げるように離婚届を出し、第二の父親がいない時にこっそりともといた場所に戻りました。
ことが急だったため、父親の家で居候させてもらい元の小学校に戻りました。父親から拒絶されている母親は、期間を設けられぎりぎりまでいそわり、父親の近くのボロボロのよくゴキブリのでる2階建のアパートの1階に引っ越しました。上記で書いてきたことももしかしたら異常なのかもしれませんが私個人の被害はここから大きくなっていきます。
虐待
母親のパチンコ屋に行く生活には慣れていきました。その一方で私は小学校高学年〜高校1年生まで虐待を受けることになります。実を言うと父親の元で居候していたときから既にあったと思います。父親が見過ごせず止めに入ったことをなんとなく覚えています。弟が当時野球を習っていた為、鉄バットが家にはありました。パチンコで負けて帰ってくると必ず「部屋が汚いから負けた」「お前のせいだ」と言ったような八つ当たりでパーはもちろんグーでも殴られました。その後はどんどんヒートアップしていき、掃除機や鉄バットで殴られることが日常になっていました。中学一年生の頃には青あざを顔に作って学校に行っていました。
なぜか暴力や暴言の被害は私だけでした。
ある休みの日のお昼に家にあるカップラーメンを食べていたら吐き気がおそい食べたものを全部戻してしまう現象が起きました。具合も悪くないのにどうしてなんだろうと思ったのを鮮明に覚えています。今思えば、過度なストレスだったと思います。しまいには、母親がパチンコ屋に行った夜には神頼みをしていました。馬鹿馬鹿しい話かもしれませんが中学生までは、他の家庭が心配して母親に電話をかけるくらいには心配されていたものの、虐待や暴力だとは思ったことが無かったんです。でも他の家庭と自分の家庭が違うことには気づいていました。本当に気づけたのは、高校1年生の時でした。
実はこの頃には母親は事実婚をしており、私はボロボロのアパートから一軒家に引っ越していました。私が中学1年生の半ばあたりだったと思います。
そして私は母親の彼氏にまで普通ではない言葉で怒鳴り散らかされ、最後には母親の彼氏からも暴力を受けるようになりました。私ももう我慢の限界だったのでしょう。2階から引きずり下ろされ、玄関の石段まで引きずられ背中は血まみれでした。靴は履いていない状態で外に追い出されたので裸足のまま交番に行きました。
初めての警察署
交番で事情聴取を受け、しばらくしてパトカーで警察署に行き、深夜3時ごろにようやく母親と母親の彼氏が呼ばれ「あなた方が捕まりますよ」と警察から強く注意を受けるのを近くで聞いていました。そして私には2択を警察の方から告げられました。このまま家に帰るこはできるけど同じ目に合うかもしれない、児童相談所って選択肢もあるよと。私はこの時、虐待には疲れ果てていましたが、お金にはそんなに困らない生活をしていました。また、児童相談所に行けば、学校が変わることや、裕福な暮らしができないこともなんとなくわかっていました。なので私は大学に行くまで耐えると言う選択肢を自らとり朝方に母親と母親の彼氏と家に帰りました。
その後
当たり前ですが、母親の彼氏とは同じ家の中で気まづかったです。今でも気まづいですし、会おうとも思いません。そして私は短期間で必死に勉強をして偏差値30上げて無事大学に合格することになりました。そして閉じ込められていた世界からやっと外にでて視野が広くなり、いろんなことに挑戦し、自分への投資をしたり、時間はかかりましたが趣味を見出すことができました。そして今はマーケターとしてやりがいのある自分に向いている仕事に就きました。
最後に
ここには書けない様なこともありましたし、書ききれないことばかりです。中学生の頃は学校にも行かなくなってしまったり、大学受験の勉強していたある日、3日間眠れなくなって自ら心療内科を受診したり、大学生の頃には家に帰ることが嫌になって友達の家を転々としたり、自傷行為や自殺未遂もありました。いろんなことがこの記事を書いていてもいろんなことがありすぎたなと思います。でも、2つだけ言えることがあります。”生きていればなんとかなる”と言うこと。そしてどんなに鬱々とした日々が続いていたとしても趣味が生きる楽しみになるときがくると言うことです。どんなきっかけでも良いので趣味があれば辞めてしまいたくなりそうな現実にほんの少しですが光が見えてきます。私もその一人です。全く見なかったアニメを勧められて、乗り気では無かったものの、なんとなく見ていたら先がきになって、漫画で追うようになり、漫画が趣味になりました。今では、「新刊までもう少しだ!」といった感じで生きています。
私が言うのも説得力ないかもしれませんが、楽しみを見つけることでなんとなく生きていると嬉しいこと、生きててよかったと思う瞬間が時々あります。なので、鬱々とした日々の中でもいいのでまずは漫画を読んでみてはいかがでしょうか?
最後まで読んでいただきありがとうございます。