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麻布と坂と図書館と 本に囲まれるvol.3~バビロン再訪#25

理想的な一日というものがあるとするならば、麻布の坂と図書館をめぐる一日は、僕のなかでは、かなりそれに近い一日といえる。

 麻布とは旧15区の麻布区だったエリア。現住居表示でいうと、麻布とついている住所、六本木とついている住所、南青山6丁目、7丁目そして南青山4丁目の一部を指す。

 大使館とホテルと私立中高と高級マンション、そして六本木。麻布といえばそんなイメージだろうか。今ではいくつかの大規模開発が有名かもしれない。

 麻布の丘の上は、江戸時代には大半が大名屋敷で占められていた。大名屋敷はその多くが、明治維新を経て一旦、無人の空地として放置され、その後、明治近代が求める諸用途、例えば、軍用地、皇室用地、官用地、教育機関、公園、ホテル、大使館、邸宅などが立地する際の受け皿となっていった。

 現在の港区にあたる、麻布区・赤坂区・芝区の面積に占める大名屋敷跡地の割合は4割を超えていた。

 麻布のイメージをかたちづくっているものとして先に挙げた、大使館やホテルや私立中高や高級マンションのほとんどは、大名屋敷跡地に建っており、大規模開発の中核の種地もそうだ。

 江戸の中心だった場所(今の千代田区や中央区あたり)からみると郊外のような場所、維新後は、人気のない、荒れ果てた、巨大な空き地が取り残された場所に突如として、いままで見たこともないようなモダンな用途が集積していった。このアンバランスさが、麻布の独特な興趣を生んでいる。

 江戸の町の構造の上に明治以来の近代の諸機能が重なった、日本でも西洋でもない、元祖無国籍的アーリーモダンの面影、とでも言おうか。

 「空いちめん、白い雲におおわれた、どんよりしたむしあつい、春の日曜日の夕方のことでした。十二、三歳のかわいらしい小学生が、麻布の六本木に近い、さびしい屋敷町を、たたひとり、口笛を吹きながら歩いていました」

 江戸川乱歩の『妖怪博士』(1938年少年倶楽部連載)はこんなふうに幕を開ける。

 僕にとって麻布のイメージは、乱歩の少年探偵団シリーズに夢中になっていた1960年代から50年たったいまでも、アークヒルズでも、六本木ヒルズでも、ミッドタウンでも、新国立美術館でもなく、アーリーモダン麻布の「さびしい屋敷町」のままだ。

 乱歩は主人公の私立探偵・明智小五郎の事務所を麻布の竜土町(現六本木7丁目)に設定している。

 乱歩が麻布に住んでいたのは、一時のようで、自身は今の文京区、新宿区、台東区などの旧15区の北半分のエリア(江戸時代から人が多く住んできたエリアだ)で、最後は、豊島区の立教の裏手に落ち着いている。今の「大衆文化研究センター(旧江戸川乱歩邸)」だ。

 明智小五郎と文代さん、少年探偵団のリーダー小林少年、そして、奇怪でグロテスクで破天荒でこの世の者とは思えないぞくぞくするような魅力を放った数々の仇役たちが、闊歩したのが、この明治のアーリーモダンの面影を色濃く残す戦前の麻布だった。

 僕にとって麻布とは、人通りの少ない寂しい奥まった道路に古めかしい洋館がひっそりと建っている、怪しくも心惹かれる人物がときおり現れそうな、そんな場所だった。

 それはいつの間にか、永井荷風の偏奇館の場所とイメージに重なり、乱歩の麻布とは、てっきりかつて偏奇館があったあたりの、旧住所でいうと、麻布市兵衛町あたりだと勝手に思い込んでしまった。実際に、乱歩が明智小五郎や怪人たちを歩かせたのは、笄町や高樹町の裏手あたり(現在、西麻布と名のつく住所)であり、見当違いも甚だしいのだが。 

泉ガーデンタワーの敷地の一画ある偏奇館跡の碑

麻布は坂の多い場所だ。いや、多いなんてもんじゃあない、坂だらけだ。

麻布は、古代に古川(渋谷川)によって武蔵野台地が侵食されてできた淀橋台の先端に位置し、谷は深く、枝分かれし、かつ密だ。高台に川筋の低地や窪地が複雑に入り組んでいる様子は「鹿の角」と形容される。

 坂の多いところを散歩するのは疲れる。疲れるが楽しい。

 麻布の坂を知るのには、先の荷風の偏奇館があった麻布市兵衛町あたりを歩いてみるのがよい。

 麻布市兵衛町は、スペイン大使館がある通りを尾根として、北は霊南坂、東は仙石山を経て虎ノ門方面に下り、南は我善坊の谷に下る稲荷坂、西は谷町方面に下る道源寺坂など、四方を坂に囲まれた高台になっている。麻布市兵衛町は複雑な形状をしており、谷町と一の橋を結ぶ都道415号(首都高速都心環状線)を超えた現六本木三丁目あたりも、麻布市兵衛町であり、こちらも六本木通りに向かって、なだれ坂、丹波谷坂、寄席坂など、坂がまちの境界を画しており、六本木墓苑あたりが谷底だ。

 なかでも、坂の中腹に大ケヤキが鎮座する、アークヒルズに飲み込まれそうになりながらも奇跡的に昔の姿を留めている道源寺坂、狭く急できつくカーブしながら我善坊の谷底に引き寄せられいくように下降する、荷風も通ったかもしれない稲荷坂など、心惹かれる坂だ。

道源寺坂

 ほかにも、我善坊の谷の近くの階段状の雁木坂、外苑東通りから古川へと下る狸穴坂と鼠坂という風情の異なる大小2つの坂、谷町を底として道源寺坂と相対する位置にある忠臣蔵で有名な南部坂、がま池のあるマンションあたりから、宮村児童公園の脇を経て、麻布学園のグランド裏手の木造平屋が建ち並ぶひっそりとした場所まで下る坂、麻布十番からの暗闇坂と大黒坂、がま池水源の川筋跡からくる狸坂(まみさか)の3つの坂が合流して、仙台坂へと向かう一本松坂となる坂道群など、麻布には坂道マニアを唸らせる数々の坂が存在する。 

稲荷坂(★1)

 坂だらけの麻布を象徴するように、南を南部坂、西を木下坂という風に、両側を坂に挟まれた有栖川記念公園にあるのが、東京都立中央図書館だ。 

東京都中央図書館入り口付近

 東京都立中央図書館の蔵書数は200万冊。4,000万冊の国立国会図書館、5,000万冊を超えるニューヨーク公共図書館などにはおよばないものの、都内随一かつ国内最大級の蔵書数を誇る。 

蔵書数もさながら、都立中央図書館で特筆すべきは、高度なレファレンス・サービスだ。勉強や趣味はもちろん、仕事の企画や調査ための初動での資料集めの際など役に立つ。 

誰でも気軽に入館可能で、図書の閲覧、レファレンス・サービス、電源、wifi、インターネットPC、カフェテラスでの休憩などが、すべて無料で利用可能で、閲覧席数は約1,000席ある。 

200万冊の本のあいだを、あてのない散歩のように逍遥し、我を忘れるひと時は、スケジュール帳のしもべのような日常を忘れるうってつけ機会だ。 

東京都の図書館ならではの個性をあげるとすれば、東京関連の歴史・地図・地誌・地名・図版などが充実している点だ。例えば住宅地図などは1950年代にまでさかのぼってみることができる。1Fには「都市・東京情報コーナー」が設けられている。 

東京都中央図書館1階中央ホール

5階の「有栖川食堂」での月替わりの「世界各国の料理」と「日本のご当地料理」というメニューの企画が楽しい。窓からは麻布の今の風景が眺められる。5階の高さからでも麻布が見渡せるのは、ここがかつて坂上の大名屋敷跡地の一画であるであることを物語っている。実際の風景はといえば、高層ビルばっかり、しかも森ビルばっかり、というのがやや興ざめだが。

 最後に、麻布の坂道散歩のお供にふさわしい一冊、冨田均『東京徘徊』(少年社、1979年)をご紹介しょう。もちろん東京都立中央図書館にも所蔵している。

本書は、著者自らが「27歳当時の気ちがひじみた歩行」と記しているように、溺愛と執念の東京散歩を記録した書だ。そして同時に本書は、その副題にあるように、東京散歩の書の原点にして不朽の名作である永井荷風の『日和下駄』(1915年・大正4年)に対する、その後日譚を記したオマージュの書もある。

 著者が歩くのは、荷風散人が歩いた東京から数十年後の昭和48年、昭和49年(1973年,1974年)の東京。失われゆく江戸・明治への哀惜とともに荷風が記録した風景が、さらに、ことごとく消え去った、震災・戦災・高度成長を経た東京。

 「富士を失ひ、樹木を失ひ、閑地を失ひ、杖を手に下駄を鳴らす楽しみをも封じられた色うすい今日である」

 「私は眺めは命よりも大事だと思ふ」、「歩かぬと議論が始まる」と、そうした失われた東京のなかに、それでも残る東京を徹底的に訪ね歩き、詳細に記録したのが本書だ。本書はその後の東京論、まち歩きの本の嚆矢となった。 

 鼠坂

本書からさらに40有余年。

「山の手の地形の典型を遊びながらに知るには、赤坂霊南坂上の市兵衛町から我善坊谷にいったん下り、そこから飯倉台に上って狸穴界隈の鼠坂、植木坂など詩趣深い静から小道を歩けばいい」と本書にも記された麻布の坂のいくつかもすでに消え去ろうとしている。

 「歩かなくてはならぬ」との著者の言葉は、今日、ますます重い。

  

 

(★)トップ画像は、東京都立中央図書館の5階にある「有栖川食堂」の窓からの北東方面の眺め

 (★1)旧麻布市兵衛町と我善坊の谷を結んでいた稲荷坂は、麻布台ヒルズ(2023年)の開発により姿を消した。アークヒルズから始まり、六本木ヒルズ、泉ガーデン、麻布台ヒルズと年を追うごとに、都心の大規模開発が、まちの歴史や成り立ちを偲ばせ、それぞれの土地柄や個性を生み出してきた古からの地勢や土地利用などを根こそぎ蹂躙する度合いはますます激しくなるばかり。崖が崩され、道がなくなり、坂が埋められ、ひとびとの記憶のよすがを奪うようにまちは消される。

*初出:東京カンテイサイト(2019年)

 

 

 

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