見出し画像

2.1989年 「レガシィ」登場が歴史を変えた。


1984年に入社した私は2年間本社勤務ののち恒例のディーラーへのセールス出向を経験することになります。1986年から1989年で東京のディーラーでセールスマンをやりました。

当時はざっくり30%が登録車(軽以外)で70%が軽自動車でした。東京でも。東京でも多いのはサンバー、サンバートラック、サンバーバンでした。軽自動車もちょうど主力のREX(レックス)が新発売となるタイミングでした。最近のSUBARUしか知らない方には驚きかもしれません。いまではショールームに軽自動車はほぼありません。(ダイハツさんのOEMでいまでも売っていますが)

いずれにせよ売れるのは軽ばかりで、営業活動も商店街のお店などが主でクリーニング屋さんとか、お弁当屋さんとか軽トラック、バンをメインに営業していました。REXも良い商品でしたが、SUZUKIアルトやDAIHASTUミラなど競合が多く苦戦の連続です。

そんななかで、30%のレオーネが売れたのはやはり「ツーリングワゴン」でした。当時はまだ乗用タイプの4WDが少なく、スキーヤーには既に絶大な支持があり、毎年出る「スキーヤーズスペシャル」という装備満載の特別仕様車は特によく売れました。1986年くらいのことですが、既にそういう指向のニーズが沸々していた気がします。(他社はまだ気づいていなかったかも)

そんななか、私がセールス出向から復帰する1989年に「レガシィ」という車が発表されました。初めてみて乗った時は驚愕しました。いままで売っていたレオーネの数倍もレベルが上がっていました。こんなの作れるんだ!というのが現場の意見でした。

しかも220PSのRSというすごい車まで出てきました。 なにがあったんだ!こりゃいいぞ!ということで販売の現場はいままでにない盛り上がりでした。

それはもちろんそれまでSUBARUを支えていただいたレオーネのお客様も同じで、1月に発売し3月に復帰するまでに私1人でも13台の新型レガシィを販売した記憶があります。

そして何よりも驚いたのはCMのメイン訴求車種がセダンであったにも関わらずほとんどの方が「ツーリングワゴン」をお買いになったのです。時代はまだバブルの気配が濃くセダンは相変わらず大勢でしたが。

この「レガシィツーリングワゴン」の販売が本格的に火が付くのは1990年のバブル崩壊、RVブームになってからでしたが、89年にその兆しはありました。

「もっとクルマになる」という広告コピーで欧州の街を走るレガシィ。驚きました。カッコよかった。やっとこういう車がでたのか。関係者全員が思ったものです。そして「いままでのはクルマじゃなかったのか」と揶揄する声もありました(笑)

画像2

その後は別途書きますが、すべては1989年にレガシィが登場したことがSUBARUの運命を決めました。あのままレオーネ的な車を作っていたら平成のなかで消えていったかもしれません。(レガシィ登場は平成元年です)

ただし、その後10年くらい レガシィの認知率がスバルと言う社名認知を上回る時代がつづきました(笑) レガシィカッコいいよね! でもスバルは知らない。という。そして 会社もSUBARUを隠しレガシィのグリルのバッジは六連星ではなく<L>だったりしました。

マーケティング的にはNGですが、当時 SUBARU=軽自動車というイメージだったので、「レガシィ=カッコいい」「 軽自動車メーカー=カッコ悪い」にしたがっての結果です。(今どきは賢い軽はカッコいいです)

そして、いまでこそ誇らしく六連星をグリルにつけていることが光栄です。

さて。

その後だいぶ経ち、私が2007年に宣伝課に配属され最初にうるさい先輩M氏に見せられたのが下記の図です。

画像2

「マーケティングの基本」です。じつに基本です。当たり前のことです。

時代と商品とターゲット。このど真ん中に来ることばかり考えろ。そういわれましたえてしてこのど真ん中に来ないこともあるのですが、そういう商品は売れません。その場合は商品を変えるか、ターゲットの気持ちを揺らすかして真ん中に持ってこないとだめです。時代は変えようがないのですが、PRで時代を動かすことは可能です。

最近 売れてる商品を思い浮かべてください。真ん中にいないでしょうか?
例えば「電気自動車」は時代に応えた商品なのですが、ターゲットの気持ちがまだ「航続距離」とか「充電インフラ」などで真ん中に合致していないように。そしてそのころ

レガシィがヒットしたのはバブル後の「自然回帰」や「家庭回帰」「本質回帰」など「時代」の空気。家族や仲間と自然やアウトドアに行きたい「気分」そしてその気分に合致するのは、セダンではなくRV(レクレーショナルビークル」だったのです。筆頭がパジェロです。町中がどんどんパジェロになっていきます。

当時各社商用「バン」を持っていました。それを乗用ライクにしてスバルと同じツーリングワゴン的なものでRVブームに参戦しましたが、レガシィはあえてバンをやめました。乗用ライクでなく乗用車としたかったから。町で自分のワゴンと同じバンを見ることはないのです。そこ重要でした。

「自然回帰」や「家庭回帰」などの「時代」の空気感のなか、アウトドアに家族で荷物を満載するツーリングワゴンは「豊かな気持ち」の象徴であり「バン」ではいけないのです。

レガシィのTVコマーシャルも発売後すぐにセダンメインからワゴンに変わっていきます。このCMに使われたのがロッドスチュアートのSAILINGですが、このころは後にロッド本人がレガシィのCMに出るとは誰も思っていませんでした。

ここで書き始めるとレガシィの話はきりがないのでやめますが、89年のレガシィが無ければいまのSUBARUはなかったかもしれません。

そして、なぜレガシィが生まれたかと言うと、問題意識を持った志の高い人々が「会社を変えなくてはいけない」と真剣に取り組んだ結果と聞いています。この時の先輩諸氏には感謝しかありません。この「改革」にはいろいろな物語があるのですが、ここではしばらく秘密にさせてください。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?