成功の定義とは幸せの定義と同じなのかもしれない
昨日、久しぶりに電話した友人から「Eriちゃんって成功者だよね〜!」と言われた。
現在のわたしは、福岡に住みたいと思い去年引っ越してきて、仕事をせずにのんびりと暮らしている。
うーん、こう書いてみると確かに成功者っぽいな。でも違うんだよ、これわたしの稼ぎで生活してるわけじゃなくて、夫の稼ぎなんだよ。
本当に私自身は働きたいときに働き、好きなことをしたり学んだりし、自由に過ごさせてもらってるんだよ。
それは夫という支えであり最大のわたしの投資家がいるからなんだよ。
子どももいないし、家事だって3割くらいしかしないから専業主婦でもなんでもない。
だから、「成功者だよね〜!」の言葉に違和感を持った。
でも、理由を聞いて少し納得。
「だって、好きなことして、好きな場所に住んで、自分の理想や願いを必ず叶えてるでしょ?今働いてるとか働いてないとかは関係ないよ」と言われた。
わたしはこの言葉を聞いて、「成功者=お金をたくさん稼いでいる人」と思い込んでいたことに気づいた。定義はいろいろあるし、人によって違うのだと。
それは当たり前のことかもしれないけれど、わたしが成功者の定義をそう思い込んでいたことにはじめて気づいた。
お金をたくさん稼いでる人=人の役に立つことをたくさんしてる人だと思っているので、わたしは成功者だと思っている。
でも、友人からすると「自分の理想や願いを叶える人」らしい。
たしかに、そう言われてみればそうなのかもしれない。
今の環境でいれるのは夫のおかげではあるけれど、これは運だけではない。
夫がどこでも働けるようにフリーランスを勧めて、当時自分の住みたかった大阪に行くために仕事だって探してプレゼンした。
住みたい場所や住みたい家、そして理想のパートナーだって全部言語化し、そのために必要な努力をした。
それは別に「稼ぐ」ということではなく気持ちの切り替えだったり、考え方を変えたり、今できる理想のわたしに向かう行動だったり、いろいろ。
行きたい場所だって、いろんな人を巻き込んで絶対行けるように計画する。
もちろん夫婦での旅行も基本はわたしが行きたいと思ったところを提案して、日にちを決める。
毎年わたしが「願いごと」というものを持ち合わせていないのは、願わないからだ。
「やりたい」を「やる」に変えるから。
引き寄せを布教するわけではないけれど、基本的には思考は現実化しているマインドなわたしだけれど、友人の言葉でわたしは成功者の定義を勝手につけて「成功していない」とか「働いていないとダメだ」とか、そういう思い込みを持っていたことに気づいた。
頭の片方では、今わたしが働きたくないから働かないけど、夫が同じ状況になったら働こうと考えてた。
けど、それもなんか、もっと深く考えると思い込みな気がする。
「楽しく仕事をしたい」と思っていたのに「働かなければならない」が前提にある。
そこに関してはいろいろな意見はあるかもしれないけれど、わたしはそうは思いたくない。
現実を見れてないとかではなくて、現状、我が家はわたしが働かなくても生活はできるし、働かないといけない状況がもしきたときに「働かなければ」という義務感で仕事をしなければならないなんてわからない。
いろんな願望を叶えてきたからこそわかるのだけど、今のわたしの状況は全部わたしがつくっている。
これは運ではない。運は味方をしてくれてるけど、ほとんどわたしの行動で私がつくってる。
そして、義務感ではなく楽しんで働いている人がこの世に何人もいるということは、そこも私は考え方と行動次第でなれると思う。
最初に考えていたわたしの成功者の定義、それはきっとわたしが目指しているものなのかもしれないけれど、もう少し考える余地があるのかもしれない。
なんならわたしはもう成功者なのかもしれない。
本を出版しなくても、有名ではなくても、友人の定義で考えれば間違いなく成功者といえる。
いつしか幸せの定義は自分で決めれば今だって幸せという言葉を考えたことがある。
だからわたしは常に幸せものだと思っている。
やりたいことができて、住みたい場所に住んで、好きな人と一緒に過ごせて、健康的に過ごせて、美味しいものが食べられる。
これが私の幸せの定義で、友人のいう成功者の定義。
なにをもって「成功」というかは人の考え方次第だけど、そう思うと「幸せ」の定義と「成功者」の定義は同じなのかもしれない。
「成功者=たくさん稼いでいる人」という、かつて思い込んでいた定義で考えると、幸せかどうかはわからない。
仮にその成功者になっても、住みたくない場所に住んで、好きでもない人といて、ご飯も食べる暇もなくて、不健康であるのなら、わたしはそんな成功はいらない。
思い込んでいた内容はなかなか変えるのは難しいところだけど、「幸せである成功者は私だ」と思うところからはじめようと思う。
わたしが思う幸せの定義からはずれそうになったら、どうしたら幸せと感じるかをちゃんと考えて、行動しよう。
それなら誰でも行動と考え方次第で「成功者」にもなれるし「幸せ」にもなれる。