誕生日に記録をしつづけて、振り返りたい
毎年くる誕生日をワクワク過ごせるのは、祝ってくれる人がいるからということを、23歳の誕生日のときに知った。
新卒で入った会社では、本当に多忙で、覚えることも多いし仕事も多いし、本当に、いつの間にか、誕生日がきた。
ドラマやマンガで「誕生日忘れてた」ってことがよくあるけれど、本当に起こるのか…と。社会人ってこうなるんだ…と実感した。
友人や親族からのメッセージで、自分の誕生日ということを知ったのだった。
ちょうど、23歳の私がとてつもなく待ち望んでいた休日の日に。
もちろんその日も仕事の電話はかかってきてたけれど、誰も電話で直接祝ってくれはしない。
その日どんな1日を過ごしたかはもう忘れてしまったけれど、誕生日っていってもただの8月6日だなって思った。
それから5年が経った。
0時を超えて8月6日になってから28歳の誕生日を迎え、隣で寝ていた夫に「おめでとう」と言ってもらった。
この一言を直接もらえるだけでも嬉しいもんだなあと思う。
いつの間にか私は自分の誕生日が来ることを今日までに認識できるようになっていた。
夫と使う共通スケジュールアプリに私の誕生日と書かれているからだろう。
今日のサムネイル画像は、そのアプリを開いた瞬間に出てきた画像。
この日を毎年迎えるたびに思うのは、メッセージを送ってくれる人が決まってくること。
送らなくなる人もいるけれど、新しく送ってくれる人もいる。
人とのつながりが試されるような気もする。
大学の頃まではたくさんいて、たくさんの人に言われることが嬉しかったけれど、年を重ねると、去年と同じ人が祝ってくれるのがとても嬉しい。数じゃない。覚えてくれることが本当に嬉しいのだ。
もちろん、増えるのも嬉しい。新しいつながりが増えたなあと思う。
今日を迎えて改めて思ったのは、去年の誕生日をどう過ごしていたのか忘れてしまったこと。
楽しくなかった、何もなかった23歳の誕生日は覚えているのに、楽しかった記憶は薄れてしまう。
夫からもらったプレゼントはネックレス。
今でも大事に着けている。
写真フォルダを見返すと、お昼に美味しいステーキのお店に連れて行ってくれていて、夜ご飯も私の大好きなごはんを作ってくれていた。
去年までnoteも日記も書いていなかったから、写真では思い出せるけれど、そのときの気持ちは詳細までは思い出せない。楽しかった、嬉しかったという記憶のみ。
今記録をしていからこそ、去年やっていなかった自分を悔やむ。
だから、この文章も、今日書く日記の文章も、来年の私へのプレゼントになるんだろうな。
私から私へのプレゼント。
そう思ったら、ちゃんと残ることを書きたいと思った。
誕生日のときって、新年の抱負のように、28歳はこんな自分になると決意しがち。
でも、今までそれを文章に残していなかったから、去年なりたかった自分になれているのかわからない。
28歳の私は、全力で挑戦できる自分になりたい。
今までも全力でやってきたことはたくさんあったけれど、今ではエンジンがなくなったかのような無気力症候群。
noteの最初の方ではいろいろ決意していたのね。
でもこんな自分も私は好きだ。
こんな自分を経て、全力で挑戦できる28歳の私になる。
なんでもいいとは思うけれど、今思い浮ぶのは英語の勉強に全力を出せるようになりたいと思う。
やりたいやりたいと思い続けて、やれていない一番の難関。
ただ、ひとつ言えるのは、去年までやりたいやりたいと思って、今の私ができていることもあるということ。
それは読書。読書をしたいと思い続けて、今できるようになってきている。
少しずつだけれど。
noteだって毎日書いてるし、できることは増えている。少しずつが自信になってる。
だから28歳の私は、次は少しずつ進めるのではなく、全力で駆け抜けるように挑戦をしたい。
昔のやる気を思い出すかのように、また新たな挑戦をしたい。
もしかしたら、28歳は子どもを産む決意をするかもしれない。
自分が考えることがいつも衝動的なこともあり、何を目指し出すかはわからないけれど、「全力で挑戦できる自分になる」という目標だけはやり切ろう。
私の書いた日記は10年日記というアプリ。
だから来年の私がこの目標を見る。
スケジュール帳には今書いたけれど、いつか忘れるかもしれない。
それでも、来年の自分が「目標達成できてる!」と思えるといいな。
今年の誕生日は自分で豪華な料理を作った。
夫が祝ってくれるのは土曜日。
楽しみだなあ。
今日は自分の好きなものを用意した。マカロニサラダ、アボカドとトマトのサラダ、イチボとらんぷのステーキ(イオンで安く買えた!!)、キャロットとパプリカの冷製スープ、桃。
自分のために贅沢するって楽しい。
自分で自分を大事にする、最高の誕生日を。