「できている」ことを全部知っているのは自分だけ
気づいたら、1週間後にはニュージーランドに来て2ヶ月経つ。
あっという間だったなあとは思わない。
早いなあとは思う。
だからこそ、あと1ヶ月頑張れば良いという期間は、短いようには思えない。
慣れない職場で、期待値がもともと高い状態だったせいか、「できない」という言葉の刃に身体も精神もボロボロになった。
もともとポジティブ思考だし、物事深く考えないタイプで、自己肯定感が強いと思っていた自己判断は、気づいたら真逆になっていた。
アイデンティティとはなんだろう、わたしってなんだろう、何がしたいんだろう、どうしたいんだろう、なんで私ってこんなにできないんだろう、そこまで考えたときが私の底辺だった。
そこで、「いや、わたしできる人じゃん」ってそこで思えたから、平均的には自己肯定感高めなんだと思う。
それでも、わたしらしいとは思えない日々が今も真っ只中。
日本に帰りたいとも思わない、でも何もしたくないとは思ってしまう。
それでも行動できる私はすごい。
そもそも異国の地でエージェントや学校を使わずに、英語もペラペラじゃないのにここまで頑張れたことや生活していることがすごい。
貯金ないからここで稼いだお金で私は生活しているのよ。すごいことなんだよ。
英語が話せないことや、オーナーの求めるレベルの動きができないことや、職場の若い子たちに馴染めないことや、やりたいことを後回しにしてしまってることや、「できない」に目を向けるとたくさんあるのだけど、わたしの中の底辺までは落ちたので、これからは小さいことでも「できた」ことに目を向けていきたい。
昨日はようやく日本の友人にポストカードを書いて送れた、毎日作り置きを作ってご飯ちゃんと食べてる、部屋も掃除してるし共有ルームもキレイにしている。
皿洗いだって食べたらすぐやるし、洗濯だって洗ったらすぐ干してる(日本では乾燥機がやってくれた)。
少し前のわたしにとって「あたりまえ」ではなかったことを今の私はやっている。
海外で暮らすことも働くことも、夫と離れて暮らすことも夫以外と暮らすことも。
できてることを知ってるのも褒めてあげられるのも自分だけだから、自分でちゃんと認めてあげよう。
どこかで誰かが見てくれてるとはいうけれど、小さいことも大きいこともぜんぶ含めて知ってるのはわたしだけだし、それを探すことができるのもわたしだけ。
他の人はもっと時給が高いだとか、他の人よりは良い環境だとか、良いことも悪いことも他人とは比較せず、過去の私と向き合って比較しよう。
できてることはたくさんある。
できないことがあれば、ひとつひとつ向き合えばそれが未来の私の「できる」になる。
頑張らなくても良いから、ひとつひとつ逃げずに立ち止まりながらも進んでいこう。