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遠山真学塾の授業風景①~学びに大変さのある子どもたちとの学びあい~
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希望を育み輝かせる~賢くなる学びの意味とは~
「ねえ、なんで勉強なんかしなくちゃいけないの?」と子どもが聞いてきたら、どう答えますか。「立身出世のため」「社会に役立つ人になるため」などさまざまな答え方がありそうですが、教育基本法の第1条によると、教育の目的は「人格の完成を目指すため」とされています。数学者の遠山啓先生はそれを「賢くて丈夫な人間になるため」と簡潔に表しました。
とりわけ「賢さ」の育成は教育の大切な役割ですが、そもそもそれはどういう意味なのでしょう。私なりに考えてみると、「賢い」を意味する英語「ブライト」にヒントがありそうです。この単語には「希望に輝く」という意味があることから、学びから希望を育み、そして輝かせることが「賢く」なること、と言えるかもしれません。
先日、ダウン症の中学生Iくんとの授業で、その瞬間を目の当たりにしました。彼の学びはとてもゆっくり。今は3桁の数の読み方を、10ずつ数を増やしていきながら練習しています。特に難しいのは繰り上がり。490の次は「ゴヒャク」ですが、どうしても彼は「ゴジュウ」と言ってしまいます。
Ⅰくんは、間違えるたびに「ああー」と落胆しながらも、持ち前の負けん気の強さで「次がんばる!」と、壁を乗り越えようとしていました。そして努力のかいあってついに「ゴ…ゴヒャク!」と言えました。その瞬間、2人でハイタッチ。Ⅰくんの目は「どうだ先生、言えたぞ!」と自信に満ちあふれたものになっていました。そしてすかさず、「次の問題早く出して!」。さらに先の学びを知りたいという知的な欲求が出てきました。
何かのきっかけで、子どもが「学ぶことは楽しい」と思えれば、発達の可能性が広がり、希望が芽生え「賢く」なっていきます。このように教師も共に学びながら響き合う「響育」こそ、希望を育む原点です。
著者 小笠直人
イラスト 千田悦代
ともに遠山真学塾
(時事通信社連載 「響育」の現場から1回目
2018年10月14日配信)