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「お前がタバコ嫌いだから」
小学校低学年の頃だったろうか。
学校で「タバコの害について」みたいな講演があった。
詳細は覚えていないが、健康な肺と喫煙者の肺の写真をスライドで見せられたのは衝撃だった。つやつやのピンクの肺に対して、不気味に黄色っぽくまだらに黒ずんだ肺。私はすぐに父のことを思った。
父は喫煙者だ。家でも車でも子供の前でも所構わず吸っていた(時代的な倫理観なのでそこを強く非難するつもりはない)。私は車にこもる煙の匂いが嫌いだった。元々酔いやすい体質のため、匂いがこもると気分が悪くなる。父が車でタバコを吸い始めると、私はいつも窓を開けろと騒いだ。
その日父が仕事から帰ると、私は急いで父に講演会で見聞きした事を伝えた。父の内側で肺がまだらに黒くなるのが恐ろしかった。講師の話によれば、病気になって死んでしまうかも知れなかった。私は父にタバコを辞めるよう懇願した。すると父は面倒臭そうに言った。
「お前がタバコ嫌いだからそんな事を言うんだろう」
びっくりした。
要するに私がタバコ嫌いだから、講演会の内容にかこつけて辞めさせようとしているというのである。確かに私はタバコが嫌いだが、父にタバコを辞めて欲しいと伝えた時、自分の事は考えていなかった。私の頭はあのまだらに黒い肺が父の中に出来るかも知れないという恐怖と父への心配で満たされていた。
少し粘ってみたが、何故か「父の体のために」というのを頑なに「お前が嫌いなだけだろ」と返され続けた。私は子供なりに、真心を拒絶され、私欲としてあしらわれたことに絶望した。
で、思った。
じゃあ勝手にすればいいと。
拗ねたわけだ。
小学生らしい感情だ。
でもアラフォーになってまだ覚えていることからお察しの通り、このやりとりは結構根深く私の中に残った。こちらがどんなに体の心配をしようが、父は私の言動を「私の望み、私の我儘」として受け取るのだから、酒でもタバコでも好きなように依存物質を摂取して、好きなように体を壊せばいい。
インナーチャイルドなのかな。
あの時の私がずっと拗ねたままだ。
そんな父も七十代に入り、酒もタバコも続けつつ何とか元気にやっている。年齢なりに衰えも感じる。もはや私の中の拗ねなど置いておいても、思う通りに生きたら良いというステージに来ている。
結婚して家を出てから私も気が楽になった。好きにしたらいいと思いつつ、同居家族としてやはり健康に気を使うべきなのではないかという義務感はあった。離れたおかげで、父の人生だから好きにしたら良いと、ようやく手放しに言える。