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ゴミの城~003~要因

 これまでのお話

 ほんの少し前、手を伸ばせば届きそうな距離に過去がある。目をつぶればすぐに戻れそうなのに戻れない。戻ってやり直せればどんなに良いことだろう。

 父が嫌がっても病院に入院させれば良かった。頻繁に母親に会いに行けば良かった。そうしていれば、二人は今も元気で暮らしていたのではないか? 両親を色んな所に連れて行ってあげれば良かった。日本には素敵な所がたくさんある。もっとお金を貯めておけば良かった。もっと勉強しておけば良かった。

 それでも過去には誰も戻れない。

 母親は子供のように振舞い、嫌な物から目を背けている感じがする。僕は母の様子がおかしくなり、ちょくちょく実家に顔を出すようになってから気が付いたことがある。母は父と話をすることはなかった。一階が父の部屋で母親の部屋は二階、それでも母が一階に降りてくることは何度もあるのだが母は父の様子を、いや存在をと言った方が良いだろう、父の存在自体を気に掛けている様子は見られなかった。父が死んでしまった時も、その後も。

 父は「わがまま」だった。言い方がキツイ時もあるし、ゴミ屋敷の主人だし、何かを捨てると怒るし、他人の忠告も聞かないし。好き嫌いもたくさんあった。

 二年ほど前、両親を連れて三人で出かけたことがある。二人を車に乗せて川越まで行ってきた。父は腰が曲がっているので杖をつきながら川越の観光地をめぐり、母も珍しそうにお土産屋さんをのぞいていた。洒落た天ぷら屋さんでランチを食べ、子供の頃と同じように普通に一日が終わった。

「今度、お兄ちゃんと弟とみんな揃って行こうよ」と帰りの車で二人に声をかけた。二年なんてあっという間に過ぎていく。それは叶うことはなかった。

 子供に戻ってしまった母は父のことが怖かったのだろうか? 兄は「お母さんは、お父さんを怖がっている」と言っていた。

 その兄は中学の頃に、外の世界を拒んでしまった。……いじめを受けたからだ。僕は「いじめ」という言葉が好きではない。あれは「傷害、暴行」だと思う。傷害を行った奴らは、もう四十年以上前の加害者の名前すら覚えてはいないだろう。それでも被害者は一生それを背負って生きていく。

 僕が小学校四年生の時に両親が隣の町に家を買って僕らは転校した。それがいまの実家だ。環境が変わった。兄はそこで馴染めなかったのだろうか? 

 数年前、母親と出かけて話していた時に、ふと兄の話になったことがある。

「……あのとき、引っ越さなければ良かった」

 母は小さな声でそう言うと、涙をこぼした。母はすぐに話を変えたが、その時に僕は思い知った。思い知らされた。

「母さんは、ずっと自分を責めて生きてきたんだ……。これからも、ずっとそれを背負っていくんだ……」と

 あのとき引っ越さなければ、兄は学校で暴行を受けなかったかもしれない。そう思って、それを悔やんで生きてきたのだ。

 兄は中学から家にこもるようになり高校へは行かなかった。それでも大検を受け、学がない僕でも知っているような大学に合格をし卒業もしたのだが、そのあと就職をすることはなくまた家に戻ってしまった。きっとそれもショックだったことだろう。そのときに、どんなに兄に期待をしたことだろうか。兄の受けた傷がそれよりも大きかったのだろう。

 自分がしっかりしないと。あそこでは、そうならざるを得ない。母の背負っていたものは、とても大きかった。それを全て投げ捨ててしまったんだと思う。それを誰が責められようか。

 いまはその結果だ。わがままな父親は、わがままに生きて死んでしまった。「病院も行かない」「野菜も、肉も食べたくない」それを気にかける者が居なくなった結果だ。兄は母の食事の世話、排泄のケア、入浴のサポート。僕と弟は家の片づけ、そして兄と母のサポート。実家で二人が暮らせるようにしないと。後悔が残る。こうなる前に、なにか出来ることは、なかったのだろうか? 

 父さんが死ぬ前に「ありがとう」と伝えとけば良かった。「父さんのことが好きだ」と言っておけば良かった。母さんが子供に戻る前に、一緒に背負っている物を受け止めれば良かった……。

 それでも過去に手は届かない。死んだ父にも決して想いは届かない。いま手が届く物は、なるべく後悔しないように掴まないといけない。それしか出来ることは無いのだから。

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続き 〜004〜 故人の名誉


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