透明で清澄な一角
私たちを、どこか遠くにいざなってくれる作家がいる。
そこは、あるいはアストラル界の上層にある透明な領域か。
氷砂糖かクリスタルでできた都市
そこに青白い光線が乱舞する
さながらリキッドライトで構築されたプレアデスの記憶、面影をなぞってでもいるような・・・。
そこにメッセージ性などという俗っぽいものはない。
あるのは、遠い思い出のような懐かしさと、ひたすら純粋な心象風景。
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で、(そのほとんどが、ン十年前の中学・高校時代の出会いですが💦)私が個人的に「この人物がそれだ!」と思う方を挙げてみます。
なにせ、思い出して書いておりますので、抜けている人物もたくさんあろうかと思いますが、どうぞお付き合いください。
(※お願い:表題の絵の作者名を失念。どなたかお分かりの方がおりましたらお教えください)
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宮沢賢治
言うまでもない人物。広く世に知られているにもかかわらず、いまだに(少なくとも私の中では)謎の人物。難解な「詩」よりも、むしろ「童話」のほうがポエティックな感じですね。
透明性では、やはり「銀河鉄道の夜」を思い出しますが、ジョバンニとカンパネルラとの会話は、透明すぎて涙を誘います。
すべての作品が好きですが、個人的には「かしわばやしの夜」の、自然との交感を感じさせる、どことなくプリミティブな雰囲気に惹かれます。
余談ですが、「イーハトーブ」はもとより、「イギリス海岸」など彼のネーミングのセンスは秀逸で、お洒落ですよね。
この人は、どこからか舞い降りてこられた感があります。
稲垣足穂
高校時代、友人に勧められて読んだ「一千一秒物語」で、すっかり足穂ファンになった経緯があります。彼をして「中身がない」「際物」などと評価する評論家もいるようですが、それは詩に散文を求めているようなもの。
その世界は、宮沢賢治の神戸バージョンとでもいうべきか? 硬質で透明な世界は、物理学、天文学のポエジーを醸し出します。しかも仏教的な深さもあり、たしか「私はこの地球にネクタイを変えるために立ち寄っただけだ」みたいなダンディーなセリフを嘯いていたような。
例えば、こんなあんばい。
私がとりわけ好きなのは、「天文台」という小編。
たしか、東京天文台を彼が訪れた際の記憶に基づくもの。
天文台という、およそこの世で最も「生活」から乖離した場所で、そこで統計を取ったり研究に従事するT氏。主人公は、そのT氏にアルコールランプで温めたチョコレートと、ハムとパンを供される。
それが、私には、なにかしら理科室での食事のように物質感のない景色に映り、
「ああ食べてみたいなあ」
と、思わしめたものです。
ちなみに、本編もその書き出しからして洒落ています。
余談ですが、本の中央に五円玉の穴のようなのが貫通した「人間人形時代」という奇怪な本を所持していましたが、度重なる引っ越しで紛失。稀覯本らしいので残念。
まりのるうにい
「この方なくして足穂はなく、足穂なくしてこの方はない」
とは言いすぎでしょうか?
とにかく飛び切り素敵な絵を描かれる女流画家です。
むしろ、まりのるうにいが何者であるか? などの詮索を一切無用にしてしまうほどの独自の世界観を持った絵画です。
いま私の手元に、「稲垣足穂作品集<多留保集>」(潮出版社・1975初版本)がありますが、この全集の装丁を手掛けたのも同氏。いま見てもお洒落です。
アンドレイ・タルコフスキー
学生時代、友人と有楽町かどこかで「惑星ソラリス」を観てから、ぞっこん惚れてしまったロシアの映画監督。
どうやら、わが国でもとりわけその映像美で人気がある人ですね。
ソラリスの海は、潜在意識内のものを具現化してしまう。
果たしてそれがいいのか悪いのか?
亡くなったはずの主人公の妻は、そのため再三目の前に現れ出て、主人公を悩ませる。
宇宙船内の同僚の部屋にはなにやら正体不明の生物が棲んでおり、それを必死に隠そうとする。
なんといっても圧巻だったのは、最後のシーンで、父親と主人公が再会しているシーン。カメラはゆっくり上空からその場面を俯瞰し始め、人物は小さくなり、しまいには、その周り一帯がソラリスの海に覆われているところで終わる(しびれました笑)。
昔、友人たちにこの映画を見てもらったのですが、途中で眠くなり、結局最後まで見ることができたものはいなかったと記憶しています。なにせ、川の中の藻がただたゆたうシーンが数分も続いたりするのですから・・・。
私は、ソラリスもそうですが、タルコフスキーの作品では、(というよりももしかしたらすべての映画の中で)「ストーカー」(といっても、犯罪のアレではないですよ)こそ最高傑作だと思います。
ここではストーリーのご紹介がテーマではないので端折りますが、全編が「これぞ、ザ・ソ連!」というほど暗く、時折画面がカラーになったりモノクロになったりします。印象的なのが、「水」というモチーフが随所に登場するところです。洞窟の中なのに、天井から急に雨が降ってきたり、水がひたひた押し寄せる川辺で人物が横になったりします。(昔、川で友人らとBBQをした際に、「ストーカーごっこ」と称してよく真似をしたものです)
タルコフスキーは、映像面をよく云々しますが、それ以上に詩にまで昇華された哲学や、バッハの音楽なども大事な要素でしょうね。
ブライアン・イーノ
その筋ではよく知られた人。
なんだか、彼を語るとき、「通」ぶっている雰囲気が付いて回りますが、それはそういう”意識高い系”の方々でやってもらうこととして、私も「ロキシーミュージック」を脱退後からのファンとして少しは語る資格もあるかな? と思います(デイビッド・ボウイの「Low」のプロデュース以来)。
といって、語らないんですが(笑)、一つだけあるインタビューで、「自分は、(オーディエンスを)どこかに連れて行ってしまうような創作を目指している」風なことを述べていました。なるほど、退屈な? 一連のアンビエントシリーズも、ロック音楽へのアンチテーゼとしての”革新”なのかな? とも思います。
よって、アバンギャルドな楽曲も結構(全部か?)あるんですが、根は透明感のある世界がこの人の持ち味かなあとにらんでいます。私の偏愛する楽曲「GOLDEN HOURS」や「By This River」などの収録されている「ANOTHER GREEN WORLD」と「Before and After Science」は聞きやすいですし、必聴かなと。
ジョルジョ・デ・キリコ
シュルレアリストというよりも「形而上絵画」といわれる分野の草分け的存在。
下の有名な絵画は、第一次世界大戦が勃発した直後のものというから、驚きです。
時間は昼下がりのようで、しかも永遠に止まってしまっているかのような静謐さが漂っています。
イタリアっぽいですね。トリノっぽいですね。
澁澤龍彦
マルキ・ド・サドの「悪徳の栄え」の翻訳で、いい意味でもそうでない意味でも有名な作家・仏文学者。
膨大な著作を前に、大先生にうだうだ言うよりも、その遺作となった「高丘親王航海記」の一冊を挙げておきます。
貴顕の浮世離れしたエキゾチシズムと浪漫と死と冒険と・・・いまとなってはすべてが病にたおれた同氏に重なる。
切々として、それでいて妙に柔和で透明な文体。
悲しい、あまりに悲しすぎる。
東洋哲学に触れて40余年。すべては同じという価値観で、関心の対象が多岐にわたるため「なんだかよくわからない」人。だから「どこにものアナグラムMonikodo」です。現在、いかなる団体にも所属しない「独立個人」の爺さんです。ユーモアとアイロニーは現実とあの世の虹の架け橋。よろしく。