※この項は、「治せば治らず治さなければ治る」の続きです。
「疾病」というもう一つの戦争
まだるっこい抽象論に見えるかもしれない。
病のお話しがなぜに「悪」の話になるのか?
病は治りさえすればいい。
知りたいのはその手立てで、それ以外は蛇足だ!
その通りだろう。
しかし、少し立ち止まって考えてほしい。
なぜに多くの病が治らずに”温存”されているのか?
医学が治せないからなのか?
そもそも「病」の原因、成り立ちが不明で、どうしてそれの治療が可能なんだろう?
前回も書いたが、病症を消し去ろうという対症療法で治ったのは「症状」であって、病そのものではないのではないか?
医学が長足の進化を遂げていることを認めるにしても、なぜ「病」まで進化しているのか?
いったん、医療の手にかかった「病」は、別のものに変異している。
癌がいい例だろう。
抗がん剤や放射線を投与・照射された患部が従前のものとは違うものになっていくことは素人でもわかることだ。
おまけに、仮に病症が消えたとしても、生命力まで消えたのではもはや冗談にもならないではないか?
だから自然医療でも、幾重にも現代医療の手にかかったそのような癌は治りずらい。
世界に冠たる食品添加物王国日本
あらゆる病の「原因」は、次のものの摂取にある。
いや、正確には原因ではなく、「要因」というべきかもしれない。
1、甘いもの(砂糖、果物、人工甘味料など)
2、肉(とりわけ四つ足などの獣肉、マグロなどの赤身の魚肉)
3、食品添加物・化学調味料・合成保存料などのケミカル
4、遺伝子組み換え食品
5、乳製品(牛乳・ヨーグルト・チーズなど)
6、加工油脂(トランス脂肪酸など、市販の油やマーガリンの大半)
7、アルコール類の多く
8、インスタント食品
まだまだ、たくさんある。
これらを含む市販の飲食品は、多くの疾病の要因になるものが多数ある。
え?
そんなことは知っていますって?
そう。
昨今の賢明な消費者は、なるべく身体に悪いものを遠ざけるような予防線を張っているものだ。
しかし、そこはさすが先進国・日本。
そんなか弱き抵抗をせせら笑うかのように、今や認可された食品添加物の種類たるやアメリカ合衆国の7倍、堂々の世界一位というデータもある。
つまり我が国は世界一規制に緩いという、まさに添加物王国である。
しかも、あろうことかその含有表示義務を緩め、いったい何がどれだけの量含まれているかすら雲散霧消させる始末。
欧米はじめ世界各国で販売が禁止されているモンサント社の除草剤「ラウンドアップ」が、しゃあしゃあとやかましいCMを流し、堂々と店頭に並ぶ国だからこそ可能なそれは”快挙”である。
あなたは、これでもまだそこに剝き出しの牙を認めないだろうか?
かつてアメリカのジャンクフードを笑っていた日本ほど、いまやジャンキーでクレイジーな国はない。
そんな哀れな日本の台所(スーパー)では、主婦たちは家族の健康のために少しでもと、食品のラップを裏返しては、そこに添付されたラベルをチェックしてみたりする。
しかし、その細かい原材料や添加物表示をいちいち確認している段階で、彼女たちははすっかり「鬱」になってしまうだろう。
実際、逐一その毒性などの有無をチェックする作業は、現実的に無理である。
しかも、国産の、なるべく添加物の少ないものを購入するとなると、驚くほど高値である。
これでは、「私たちが食べるものなんてないじゃない・・・」
と、途方に暮れるほかないのかって?
残念ながら、その通り。まともな人間が食うものはほぼないに等しい。
先にいったように、これが戦争による飢饉の新しい形なのだから。
それは生物学的な戦争で、大げさにではなく、私たちはまさにサバイバルの渦中にいるわけだ。
自覚症状がないままに・・・
しかし、私がそれ以上に危険視するのは、化学的な添加物や甘味料などのメンタルに及ぼす影響である。
うつ病などの自覚症状のある病は置いておいて、自覚症状がない状態のそれである。
それこそが、判断力(批判能力)の麻痺である。
よく耳にする、
「みんなが食べているから、飲んでいるから」
「TVで放送していたから」
「○○さん(芸能人)お勧めだから」
「やめられないから」
「少しくらいいいだろう」
「疲れた時に砂糖は脳にいいって」
「スタミナをつけるには肉を食わなくっちゃ」
そうした判断力の喪失、またはご都合主義的な判断が、時には「悪いと知っているがやめられない」という状態を正当化したりもする。
「魔の手」は、どこかの国同士の戦争や、凶悪事件のような有事にのみあるのではない。
むしろ、それらの出来事が、「悪」があくまでも遠くにあるもののように見せかけるといった偽旗的なケースすらある。
悪魔は、ごくごく身近にいる。
悪がだれに感染するかだって?
それは悪人にではない。
善人一択だ。
つまり、99%という大勢を占める私たち被支配者構造は、私たちの判断力が作っているわけだ。
もっと言えば、私たちは、率先して1パーセントのきわめて少数の支配層の餌食になっている。
悪は、今日も、そのような人々(個々の国民)の判断能力の弱さに巣くう。
「病」「薬」「医療」の三位一体
おかしなことだが、スーパーや外食店などで私たちが日常に見かける光景は、実は生物学的な戦争状態を象徴している。
繰り返すが、相手のやり口は無知や過失、またはやむなく、という理由からではない。知っていて積極的に仕掛けてきているのだ。
「食品産業」を踏み台に、
「病」⇒「薬」⇒「医療」とみごとな連携。
我が国の癌利権は、国防予算を遥かに上回る15兆円だとか。高血圧や糖尿病などの成人病の利権も膨大な額である。
これらはまともであれば、断じてあり得ない数字である。
ご興味おありの方は、さらに深く探っていただきたいものだ。
既に書いたように、病の材料は、マーケットにいくらでも転がっている。
飲食物も、その添加物も、保存料も、食品流通のためなどという大義名分を隠れ蓑に、実は健康を阻害するという悪意の目的のためにわざわざ汚染させているのだ。
つまり、私たちは普通に生活しているだけで病人の候補生になっているわけ。
さらにバックドアには、公的な半強制力を持つ現代医療がスクラムを組んで待っているという寸法。
そのからくり。
まさに誰もが疑問に思わないようにシステム化された、それは”公然たる陰謀”そのものではないか?
そうした危険食品を口に入れるのに何ら抵抗がないような「洗脳」は、TVなどのメディアで、さんざん喧伝され続ける。
さも平和で明るい団欒風景や、お馴染みのタレントを起用した飲食シーン、かわいらしいマスコットキャラクターや、ゆるキャラ総出演のグルメ番組・・・。
「洗脳」というと、一般になにやらヘッドギアでも被ったカルトめいたイメージを想起するが、いやいやそれは、かわいらしく、楽しく、ユーモラスな、さながら羊の皮をかぶった狼といった態で行われる。
そんな明るい背景で白昼堂々と我々の脳を蝕むものである。
日常の飲食物こそが、健康のほぼすべてを左右することは自明の事実である。
しかし、その選択は、我々個々の判断力に委ねられる。
つまり、問われるのはまともな判断力ということになる。
とんだご冗談のようなお話しだが、食品添加物の表示をぼかす意図は、「無添加食品の方が身体によいというイメージを与えがちだから」というある官僚のお偉いさんの思惑からなんだそう。なんという慈悲深くも自由・平等・博愛精神に富んだ見解であろうことか。
日本が終わるとかではなく、終わっている事実がこの一事で物語っている。
この例を挙げるまでもなく、突き詰めれば、蔓延する「判断力の喪失」というメンタル次元・思想次元にこそ病根はある。
つづく
あとがき
本編は「病」についてのシリーズ第二弾です。
あえて書き加えるまでもないことですが、ここで扱っている問題は医療や食品産業に巣くった「悪」そのものであって、そのような業界に従事しているすべての方々に向けてのものではないことを改めて記しておきます。
どの業界にも光を保つために献身的な努力をされている方は少なからずいるものです。
新たな世界では、このように腐敗した既存の構造は刷新されて、純粋に人類の明るい未来を切り開くようなものになるでしょう。
刷新するためには、どのような世界でも、何のどこがどのようにおかしいのかを知らなくてはなりません。
しかし、この地球という惑星は、あまりにもおかしなこと、理不尽なこと、不条理なことに覆われすぎていて、逆に何が真実で何が光であるかを見極めづらいことになっています。
そのこと自体”おかしな(不自然な)こと”ですが、そこで一番大切になってくるのは、日常、私たちがさも当然のように思っていることや行動していることが、果たして正しいことなのか? もしくは自然なことなのか? という批判精神(識別力)ではないでしょうか。
その真偽をはっきりとさせることが急務です。
一旦、すべてを脇に置いておいて、自分の心に素直になると不思議にいろいろ見えてきます。
「もし自分が赤ン坊や幼児だったら、この世界は一体どんなに見えるだろうか?」
そこから始めようではないですか?