セーヌ川の水面の下に(乃木坂46 中西アルノ激推)
ストレンジャー・シングスに続いてアルル激推のNETFLIX映画の感想です。
フランス映画だからかタイトルは「セーヌ川の水面の下に」とかなんとか優雅でオサレめにつけられていますが、これがハリウッド映画ならば「襲撃!サメサメ大パニック!!赤く染まった血まみれのセーヌ川!!!」などハデハデになってた気もします。(英語の原題は"Under Paris"でふつうなんよね)
セーヌ川といえば「巴里の空の下セーヌは流れる」という映画のタイトルが思い出さされ、その挿入曲であり映画は知らなくても(ワシもこの映画を見た事ない)誰もがどこかで聴いたことがある「これぞパリ」といっていい程の有名なこの曲にも代表されるような、そしてかの堀口大學が翻訳した「ミラボー橋の下セーヌが流れ 我らの恋がながれる」というアポリネールの詩のようなパリ的オサレさ満載なタイトルですが、映画の中身はオサレさの代わりにチミドロさが満載です。
チミドロゲロゲロな場面が沢山出てくる映画ですが、パリ・オリンピックの開会式で見たことあるような景色が沢山見られるし(映画に出てくるトライアスロン大会は、オリンピックに向けての景気づけ的な大会だとかなんとか市長が話してたし)、そこはちょっと良い感じでしたね。とはいえオリンピック開会式でも自分の生首を抱えた幽霊が登場したりするけどな。フランス人は市民が国王を処刑したりと我が国と比較して血の気が多いんかね。しらんけど。
さてアルルが紹介動画で話してたようにジョーズ以降のサメ映画といえばサメ自体をクソデカにしてみたり頭をいっぱい生やしてみたり、砂浜移動を可能としてみたり空飛んだりと様々なデーハーなアイディアの見本市のような状況の一大ジャンルとなっているようですが、この映画はそんな見た目の派手さは少なく環境問題とそれに絡めた種の突然変異を全面に(強引に)押し出した「もちろん環境保護は大切だけど、その活動を先鋭化するとかえって自滅するぜ」っていう問題提起型映画で(しらんけど)、そこがただのアホアホB級映画とは違う点だと思います。NETFLIXで公開され非常に多く再生され高く評価されたのもわかる気がする。
で、ここからちょっとネタバレありです。
終盤、暴走する環境活動家リーダや自分の業績のことしか頭にない市長(とイヤなフランス人を具現化したような、いかにもな雰囲気満載の市長の側近とか)などが次々にサメに喰われるのは痛快だけれども、一方のエラモン側の主人公チームのメンバーも次々にサメに食われてしまうのがちょっと悲しい。しかしそんな悲劇が続いても最後には(ジョーズのそれっぽく)笑顔が待ってるぜっていうのかと思えば、これが絶望的なエンディングだったのには驚きました。ハリウッド映画ならばラストの不発弾による西部警察並みのセーヌ川大爆破(前半、川底から不発弾大量発見というエピソードが効いてて唐突なヤッつけ感は少なく説得力10%アップ)により大量発生したサメたちが全滅しめでたしめでたしとなるんだろうけど(でもエンドロールあとに、繁殖地だった地下墓地に黒い影がぁ!っていうUSゴジラっぽい終わり方になったりして)、そうしなかったのはやはりフランス映画だからでしょうか。
サメのギミックにとらわれすぎず、「もし大都市にサメが出現したら(それも大量に)」というシチュエーション一本でこれだけおもろい映画を作ったスタッフに拍手を送りましょう。
ただ一点、いかに不発弾が大量に存在していたとしてもその爆発だけで、パリ中一面水浸しになった結果そこら中でサメがうじゃうじゃ泳ぎ回るようになって人類が絶望する状況って発生することあんですかね?ってのが引っかかった部分です。
ということでcopilotくんにセーヌ川の氾濫でパリが浸水する事は考えられるかって聞いてみたら、1910年に大洪水が発生しパリ市内は水浸しになったことがあるらしいと答えてくれた。で、それはどの範囲かって調べるとセーヌ川周辺のみで、小高い場所はもちろん水没することはなく、映画のラストみたいな絶望的な状況にはちょっとなりづらいんじゃないかってのが個人的な感想です。
でも、まあおもろかったからそんな細かいことは無視することとしてやるぜとか思ってたら、エンドクレジットでは川から海へ、大洋を超えて他の大陸へとサメたちの生息域が徐々に広がり、世界の沿岸部や都市部の地下水路(下水や暗渠か?)に蔓延っていく様が描かれてて、直接的表現はないけれどセーヌ川での騒動が全世界で繰り広げられたんだろうなって思われ、最後の最後にゾッとさせられました。
ってことで、NETFLIX会員のヒトは見るといいよ。
ではまた次回。