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バヌアツ共和国に船で行った話 中編

離島でハンティング

ある日、離島にハンティングに行くから一緒に行くか?と現場の皆が誘ってくれた。

木彫りのカヌーで暗いうちから離島に向かう。確か1時間ぐらいは暗闇の中を漕いだと思う。

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離島についてからは暫くジャングルの中を歩き、焚き火をおこし、ベースキャンプを作った。

日本育ちの僕には過酷すぎて普通に疲れちゃったので、皆んながハンティングしてる間は僕はベースキャンプの焚火の番をする事にした。

暫くすると仲間が続々獲物を捕まえて戻ってきた。1番の獲物は木の枝に縛られて運ばれてきたイノシシ。一番年長の仲間が、トニーは何も仕事してないからイノシシの皮を剥げと言う。

仕方ないからナイフで皮を剥ぐ。もちろん皮の剥ぎ方は全然解らないので仲間が教えてくれた。

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ちゃんと獲物をみんなで食べて、ハンティングは終了となった。

ちゃんと皮は剥いで、さばくの手伝いました。銃は撃って無いけど記念にパチリ。

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作業の休みの日にはおっちゃんとサント島の色々な場所に出掛けた。当時の写真が残っている場所を少し紹介してみたいと思う。

サント島のブルーホール

なんでこんなに青いのかは当時聞いてなかったので、知らない。気になる人は是非Googleでしらべて頂きたい。とにかく水が凄く青い池でとても綺麗なのである。水は結構冷たかった気がする。

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サント島のシャンパンビーチ

南太平洋で最も美しいビーチの一つと言われる(インターネット調べ)サント島のシャンパンビーチ。海が穏やかで非常に気持ち良いのである。

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米軍の置き土産

サント島は第2次世界大戦の際に米軍の拠点となったため、撤退した米軍のモノっぽい色んなモノが置きっぱなしになってるのである。

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ピグミー族

写真は無いが、サント島の山間部にはピグミー(大人でも背の凄く低い人たち)の人たちが住んでいるらしい。ルーガンビルで1度だけ、民族衣装でナンバス(ちんこケース。コテカみたいなやつ)をつけた小さいおじさんが華僑の店でタバコを買っているのを見た。多分本当なんだと思う。

おっちゃんとの決別

出港前の船の整備から始まり、そしてサント島では1ヶ月以上コンクリを混ぜたり、タイルを貼ったり、ペンキを塗ったり、おっちゃんのリノベや倉庫の建設を手伝っていた。

現場の仲間たちの当時の時給は70-100円ぐらいだったと思う。      国の経済、産業、情報の格差によって個人の格差が生まれてる。     これは良い事なのか、悪い事なのか、凄く考えさせられた。

僕たちは地球の村人じゃ無いのか?本当に深く色々考えた。そして僕は気がついた。


そういえば俺、この数ヶ月1円ももらってなくね?


と言う事で僕はおっちゃんの元を離れ(角が立たないようにサーフィンをしに行くと説明し。。。)、サーフボードを持って、別の島に移動する事にしたのである。

続き: https://note.com/tonyfry/n/ndc6aa45925c6


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