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労働Gメンは突然に season2:第4話「休憩時間は誰のもの」〈中編〉

登場人物

時野 龍牙 ときの りゅうが 23歳
新人の労働基準監督官。K労働局・角宇乃かくうの労働基準監督署・第一方面所属。監督官試験をトップの成績で合格。老若男女、誰とでも話すのが得意。

加平 蒼佑 かひら そうすけ 30歳
6年目の労働基準監督官。第一方面所属。時野の直属の先輩。あだ名は「冷徹王子」。同期の麗花にプロポーズするも返事を保留されている(season1・第6話)。

紙地 嵩史 かみじ たかふみ 43歳
20年目の労働基準監督官。第一方面主任。時野と加平の直属の上司。加平の過激な言動に心労が絶えない管理職。

伍堂 快人 ごどう かいと 25歳
新人の労働基準監督官。S労働局所属。時野の同期。「初めて会った気がしない!」という口説き文句が口癖で惚れっぽい性格。

上城 乃愛 かみしろ のあ 22歳
新人の労働基準監督官。I労働局所属。時野の同期。ミステリアスな雰囲気の美人で、同期のマドンナ。

山口 貴則 やまぐち たかのり 41歳
18年目の労働基準監督官。労働大学校の准教授。時野たち新人労働基準監督官の指導にあたる教官。

中村 大晴 なかむら たいせい 25歳
ラーメン一期堂いちごどう角宇乃店の店長。休憩時間の改ざんという"悪事"に手を染めていたが、労働基準監督署に調査に入られ万事休すに。

安西 葉月 あんざい はづき 17歳
高校2年生。ラーメン一期堂角宇乃店のアルバイト。バイト仲間の脇本翼と共に、賃金の支払いが少ないことに気がつくが……。

労働基準監督官のお仕事小説。労働ジーメンは突然に。season1を読む
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*ひとつの話は前編・中編・後編で構成されています。

本編:第4話「休憩時間は誰のもの」〈中編〉

§1

 時は少し遡り――。

「いやあー、夏って感じで、いいねぇー!」

 上機嫌でビールのジョッキを傾けるのは、伍堂だ。

「伍堂くん、それ何回も言ってない?」

 くすくすと、乃愛が笑う。

「だって、乃愛ちゃんとビアガーデンデートできるなんて、こんな最高の夏ってないよなって」

 伍堂が手を伸ばし、乃愛の手に触れようとしたのだが――伸びてきた伍堂の手をがしっとつかんだのは時野だ。

「おい! なにすんだよ、時野」

「デートじゃなくて、同期会だろ!」

「あ、そーだった」

(そーだったじゃないよ! 夏沢さんのことも口説いてたくせに、全く節操がない!)

 時野たちは、都内のデパートにある屋上ビアガーデンに来ていた。

 伍堂の呼びかけで関東近県の同期が集まり、同期会をしているのだ。

「時野は夏休みいつとる?」

 国家公務員の夏季休暇は3日。7月から9月の間に取得することになっており、年次有給休暇を2日取って平日5日間を休むことが推奨されている。

「休みを合わせてさ、一緒に旅行でも行こうぜ!」

「断る」

「即答かよ! 俺と時野の仲なのに、なんでそんなに冷たいんだよぉー」

 伍堂がのしっと時野の肩にもたれかかる。

(だからどういう仲だよ、この酔っ払い!)

「忙しいから、いつとれるかマジでわからんし」

「時野くん、ダメだよ。休暇はちゃんととらないと」

 ビールのジョッキを手に近づいてきたのは、山口准教授だ。

 休日だが、教え子たちのお誘いに喜んで応じてくれたらしい。

「労働基準監督官がきちんと休みを取らないなんて、問題アリですよ。『忙しい』は言い訳になりませんからね。一人前になればもっと忙しくなるんですから、忙しくても調整して休む能力をつけるのも、仕事のうち!」

 確かに、新監の時野よりも、先輩の加平や紙地一主任の方が断然忙しい。

「なるほど。わかりました! ちゃんと休みを取ります」

「お! じゃあ、俺と旅行に……」

「だからそれは、い・か・な・い!」

 二人の掛け合いをみて、乃愛が大笑いしている。

「あ、そーだ!」

「?」

 何かを思い出したらしい伍堂が、時野の耳元に顔を寄せた。

「このデパートの隣のホテルの屋上にさ、ナイトプールがあるらしいんだ」

「ナイトプール?」

「ここからなら、見えるかもな。ちょっと見に行ってみようぜ」

「は?」

 有無を言わせず、伍堂が時野を屋上の端に引っ張っていった。

「伍堂お前、高所恐怖症なのに……」

「だーいじょうぶだよ、しっかりした柵があるから! イイ感じのナイトプールだったら、今度乃愛ちゃんを誘いたいんだ」

 確かに伍堂の言ったとおり、大人の身長よりも高い柵が屋上の周囲を取り囲んでいたが……。

「お前の不純な動機に僕を巻き込むなよ!」

 時野は伍堂を振り払おうとしたのだが、体格が一回り大きい伍堂がつかんでくる腕は力強く、結局柵のそばまで連れていかれてしまった。

「うーん、よく見えねーなー」

「当たり前だろ!」

 隣の建物の屋上から丸見えのナイトプールなど、流行るわけがない。

 ライトアップの光が見えるものの、プールや人は見えないように壁や観葉植物で覆われていた。

「ほら。やっぱり、なんも見えない。もういいだろ伍堂、席に戻ろう」

 時野が伍堂の方を見ると、伍堂はナイトプールではなく目の前にある柵を見て固まっていた。

「伍堂?」

「俺……思い出した」

「え?」

 伍堂は時野の方に向くと、両肩をつかんできた。時野の方を向いているのに、焦点は時野の眼にあっていない。

「そうだ……犯人が俺を抱えて……どこかの屋上の柵を乗り越えて……」

 急に、ガクンと伍堂の膝が折れると、そのまま伍堂は床に座り込んだ。

「下に……落ちそうに……」

(もしかして、子供の頃の誘拐事件のことか?)

 手で顔を半分覆った伍堂の顔が、青白い。

「伍堂くん?」

「!」

 声をかけてきたのは、乃愛だ。後ろに、山口准教授の姿も見える。

「ラストオーダーだって。こんなところに座り込んで、どうしたの?」

 時野につかまりながら起き上がると、伍堂は正気を取り戻したようだ。

「いや、なんでもない。ラストオーダーか、じゃあもう一杯ビール頼もうぜ、時野!」

 席に戻っていく伍堂の背中を見ながら、時野は以前調べた高所恐怖症の資料のことを思い出していた。

『高所恐怖症の発症原因は、遺伝的要因、心理的要因、環境的要因があると言われている。遺伝的要因とは、家族内での高所恐怖症の集積性により遺伝子レベルで受け継がれること……。心理的要因とは、高所に対する過度の不安感によるもの……。そして、環境的要因とは……』

(高所で経験した恐怖体験による、トラウマ……)

§2

  • 事業場名:ラーメン一期堂角宇乃店(株式会社一期堂)

  • 所在地:角宇乃市南区〇〇町〇〇-〇

  • 業種:飲食業

  • 労働者数:25名

(あ、一期堂だ。この前災調の後で高光課長たちと食べたラーメン、おいしかったな)

 時野は相談者が目の前で書いている相談票を覗き込みながら、ラーメンの味を思い出していた。

(にしても、制服の相談者って珍しい)

 カウンターを挟んで時野と向かい合って座る相談者は、制服を着た男子高校生の2人組だ。

 学校帰りに寄ったらしく、学校名の入ったお揃いのスクエアリュックを背負っている。

 時野は、2人が記入中の相談票の氏名欄を見た。

 脇本翼(わきもとつばさ)17歳
 安西葉月(あんざいはづき)17歳

(高校生のアルバイトか)

「大体書き終わりました」

「じゃあ相談票はこちらにもらいますね。それで、今日はどのようなご相談ですか」

 労働相談はほとんどの場合相談員が対応することになるが、相談の結果申告受理となる場合や、相談員では対応しきれない内容の場合には、在庁当番として署内に待機している労働基準監督官が対応する。

 まだ研修中の身である新人の時野が在庁当番を受け持つことはないが、労働大学校での前期研修を終えたので、労働相談の対応で窓口に出ることも多くなってきた。

「バイト代が、ちょっと少ないんです」

「少ないというと?」

「働いた時間数かける時給で自分で計算した金額より、毎月数千円少ないんです。店長に聞いても理由がはっきりしなくて」

「労働時間の記録とか、給与明細はありますか?」

「給与明細は、印刷してもってきました。時間の方は、自分でスマホにつけたメモしかないんすけど」

 脇本が示した給与明細と、スマホのメモを見ながら、時野は手元の電卓で不足額を計算した。

「うーん、メモの労働時間数より、5時間分足りないみたいですね」

「あー、そんな感じっす。こっちの安西の方も同じで」

 脇本が指さすと、安西が軽く頷いた。

「で、俺たち考えてみたんすけど、もしかして休憩取れなかった分が入ってないんじゃないかなって」

「休憩取れなかった分?」

「俺ら学校があるから、平日のシフトは4、5時間なんですけど、学校が休みの日は8時間とか長めのシフトに入るんです」

 脇本が、スマホの画面を指さす。確かに、土日は8時間・9時間といった、アルバイトにしては長めの時間数でメモされている。

「去年は6時間を超える時は間に1時間休憩があって、社割でラーメン食ったりして。けど今年に入って中村店長になってからかなー、同じ時間に入るバイトの人数が減らされて、土日なんかすっげー忙しくて。休憩取れなくなったんすよ」

「つまり……例えば休憩なく8時間働いた日の給料が、8時間分じゃなくて、1時間休憩をとった場合と同じく7時間分の支払いになってるってこと?」

「そーそー、そういうことっす。なあ?」

 同意を求めるように脇本が安西の方を見たが、安西は小さく頷いただけだ。

「じゃあ、まずは今僕がやったみたいに、毎月の不足金額を計算して、事業場に請求してみてくれますか?」

 不足している賃金の支払いを正式に事業場に請求し、支払いを拒否されるか、期日までの支払いがない場合、『申告』として受理し、労働基準監督官が調査を行う。

「わかりました! 請求してみます」

 脇本はやることが決まってすっきりした様子だが、安西の表情は曇ったままだ。

(安西くんの方はあんまり気が進まないみたいだけど……どうしてだろう?)

「じゃあ、また結果が出たら相談に来ます!」

 事務室の出口に向かう脇本と安西を見送っていると、二人の会話が耳に入った。

「エイト、この後どうする? 腹減ったしなんか食い行く?」

(エイト?)

「ごめん、俺ちょっと寄るとこあるわ」

「わかった、じゃあまた明日学校でな!」

 正面玄関でお互い手を上げて二人は別れた様子だったのだが……。

(あれ?)

 脇本が帰って行く様子を見届けた安西が、再び事務室に入ってきた。

「安西くん、どうしたの?」

「あの……もうちょっと、相談いいですか」

「もちろんいいけど」

 驚く時野を、安西はまっすぐに見つめると――。

「俺……知ってるんです」

「え?」

「中村店長が、休憩時間の改ざん・・・をしていること――」

(改ざん?!)

§3

「休憩がらみの違反の特定は、難しいんだよなー」

 紙地一主任が腕を組みながら加平を見やると、加平も頷いた。

 脇本と安西から受けた一期堂の労働相談について、時野は2人に報告した。

『勤怠管理用タブレットにログインすると、自分の当月分の労働時間の記録を見ることができます。月が変わったら見れなくなるんですけど。これ、見てください』

 安西は、スマートフォンで撮影した勤怠管理用タブレットの画面を時野に見せた。

 安西によれば、7月30日土曜日の勤務終了後に自分の勤怠管理用タブレットの画面を撮影した時にはなかったのに、翌日にログインした時には7月30日の記録に休憩時間が入力されていたのだと言う。

『消去法で、犯人は店長だと思います。本社の人も編集できると思うけど、本社は土日休みだから。土曜の夜に編集をかけられるのは中村店長しかいません。8月に入ってから編集すれば、俺に見つかることもなかったけど、給料が月末締めだから……。平日はバイトが少なくて店長は逆に忙しいから、土日のうちに改ざんを終えようとしたんじゃないかと思います』

 脇本と2人で相談カウンターに座っていた時にはほとんどしゃべらなかった安西だが、ここまで自分で証拠を固めていたとはと時野は驚いた。

 休憩に関する調査をする上で、実際に休憩をとったかどうかを客観的・・・に判断するのは難しい。

 仮に店内に防犯カメラがあったとしても、休憩室にまでカメラを設置していることはまずないし、映っていない場所で休憩している可能性もある。

 本人が休憩を取っていないと主張しただけで、客観的な証拠もなく法律違反と断定するわけにもいかない。

 だが今回の場合――安西が撮影した勤怠管理用タブレットの写真は、一定の証拠として事業場側につきつけることができるだろうという意見で、一方面は一致した。

(ただ……)

『この写真、脇本くんには見せてないんだよね? どうして?』

 時野が質問すると、安西は目を伏せた。

『だって、店長は……』

「店長の中村さん。あなたですね? 労働時間の記録を改ざんしたのは」

 加平がそう言い、4人の視線が突き刺さるように自分に集中した。

「……中村さん? 聞いてますか?」

「は……い……」

 老人のように声がかすれて、自分の声じゃないみたいだった。

(もうこうなったら、潔く白状するしか……)

「申し訳……ありません。自分……が……改ざんしました」

 大晴は声を絞り出すように言った。

「中村くん……」

(どうして、こんなことになっちゃったんだろう。俺はただ、一期堂のラーメンが好きで、一期堂で働きたいって思っただけだったのに……)

 大晴は、自分の目から涙が流れているのに気がついた。

『一期堂のラーメンが好きで、高校の時からバイトで入ってそのまま就職して、今じゃ店長だもんなー。すげーよ、大晴は』

 ふいに、青池が言ってくれた言葉が頭に浮かんだ。

(そのままでいたかった。『一期堂のラーメンが好き』って、その気持ちだけでいたかったのに、俺は……)

 それ以上言葉が出てこない大晴を、4人は黙って見つめていたが――。

「そうですか」

 加平が感情の起伏のない声で言った。

「じゃあ、次はこれを聞いてもらいます」

 そう言って、加平が時野に目配せした。

 時野は頷くと、ノートパソコンを操作した。

 ザザザ……と、ノイズのような音に続いて聞こえたのは、男の声だ。

『……店長としてカド番なんだぞ。わかってんのか?』

ー第4話〈後編〉に続くー


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元労働基準監督官・とにー
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