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義務教育で自己肯定感高める授業しろよ
こんばんは
とんとんです。
最近、結婚報告をよく耳にします。コロナ禍なので、ラインやInstagramなどで報告を受けます。コロナで結婚する人増えたのか?と思うほど、この1、2年での結婚報告がありました。26歳というのは、結婚ラッシュの年齢ど真ん中なのでしょうか。10数件報告を受けた私はその度に、「おめでとう」という気持ち以外のふつふつと湧いてくる気持ちを無視できなくなりました。
「いいなぁ…」
「おめでとう」と「いいなぁ」の比率がどんどん逆転していきそうなのを感じて、自分が嫌になりそうでした。素直に祝福しなきゃ!とは思うのですが、「いいなぁ」という羨ましく思う気持ちはどうしてもでてきました。
「結婚してください」って言われたんだ いいなぁ って。
私は「結婚してください」=「あなたのことめっっっちゃすきです!!」だと思っています。そんな風に思われるなんて、みんな本当に素敵な人なんだなぁと、尊敬する気持ちが湧いてくるのです。
周りの結婚していった友人は、確かに私が男だったら手放したくないような素敵な女の子達です。底抜けに明るい子、ふわりと包み込むような優しさをもっている子、一生懸命で素直な子、なんだかいつも楽しそうな子、芯の強い子…みんな魅力的です。
一方その頃、私は…と考えてしまいます。どちらかといえば明るい(表面的には)、優しい言葉を言うことはできる(内心素直に言えない時もある)、一生懸命で素直である(要領が悪くすぐパンクする)、楽しく振る舞うのは得意(本当に楽しんでるかは自分でも謎)、芯とは…?
私はどうしても、自分自身を批判してしまう自分がいるようです。他人からいくら褒めてもらおうと、なかなかその言葉を素直に受け取らず、「お世辞うまいな〜」と受け流し、他人からのちょっとした中傷や悪い冗談を真に受ける。むしろ、「この人の今の表情、絶対私に不満あるよな〜もう〜なんだろ〜」と、自分への批判を自ら見つけに行こうとする始末だ。本当に損な性格をしていると自分でも思う。
こんな性格を変えようと努力する日々である。
どうにかしようともがく度にいきつくのは「自己肯定感」である。
そんなに大事なものならなんで義務教育期間に教えてくれなかったんだ。空気読みすぎて、自分が空気みたいななんにもない薄っぺらな存在になっちゃったよ。どうすんのこれ。と、他人のせいにしたくなるのが私の悪い癖である。
思えば私は、大切な選択をほとんど他人に委ねてきた。
小学生の時、時間が過ぎるのを忘れてしまうほど楽しく通っていたダンス教室は、「〇〇ちゃんが辞める時に一緒に辞めようと言ったから私も」辞めた。
中学校の時、視力がどんどん下がり、コンタクトにしてテニス部の練習に出たかったのだが「お母さんが目に良くないって言った」から度のあってないメガネをかけ続けていた。
高校の時、ホームステイ先の大好きなホストマザーとのスカイプでの連絡を「お母さんが受験に集中しなさいって言った」から連絡を辞めた。
大学の時、興味のなかった部活に「なんか昨日しゃべった友達に絶対入れって肩組んで言われたから」入った。
就活の時、「彼氏がいいと思うって言った」からA社を蹴ってB社にした。
なんかもう書いてて恥ずかしくなるほど他人に判断してもらっていた。
客観的にみても本当に芯がない。軸がない。
そして他人に選択してもらった方角を進んでいくと後悔する時がくる。その時に私は「〇〇がこうしろって言ったからこっちを選択したのに…」と他人のせいにする。私は悪くない。だって勧めたのは○○だもん。被害妄想も甚だしい。誰も必ずそうしてくれなんて頼んでいない。軽い気持ちで言ったことを私が勝手に「言質とりました!!!」とも言わんばかりに他人に責任をなすりつけていたのだ。
幼少期からの癖はなかなかこびりついていて、それすぐにとはいかないが、最近は「えいやっ」と自分で勝手に判断するように心掛けている。自分のことなので勝手もなにもないのだが。最近はあえて相談することを控えている。相談すると優しい聞き手はアドバイスをくれようとするからだ。私はそのアドバイスにしがみついてしまうのだ。だから相談しない。もう誰のせいにもしたくない。私は自信をもって友人に「おめでとう」が言いたいのだ。