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自己紹介①〜幼児期〜

1988年11月29日午後8時38分熊本県熊本市に生まれた。
私の妻が現在臨月でお腹の赤ちゃんは2600g程度。
今産むのがちょうどいいと言っているので、3586gで生まれた私は、現代の感覚からしたら結構デカめかもしれない。

はっきりとした記憶があるのは3歳。父方の祖母の葬式。本山と呼ばれる田舎の地区にある家で行われた。昔ながらの一軒家で、床の間には町議や校長を歴任した曾祖父さんの書いた掛け軸が飾られており、北海道土産の熊の
木彫りも置いてあった。

2階につながる階段はとても急で、子どもが登るにはかなり大変だったが、父が若かりし頃に使っていた部屋がそのままで、趣味の電子工作の部品があちこちに置いてあった。
子どもながらにワクワクしていたことを思い出す。

32年前の葬式、ましてや田舎となれば自宅で行うのが普通だったようで、親族からご近所さんまで、多くの喪服姿の大人たちが出入りしていた。

襖を外して二つの部屋を繋げた、広い宴会場のような居間は、二つの円形の蛍光灯が寂しく照らした。外から差し込む曇天の冷たい光は蛍光灯の光と入り混じり、縁側を青白く染めていた。

一番最初の記憶が葬式なのは、人が亡くなる悲しみを、小さい心のどこかでしっかりと受け止めていたからかもしれない。

ただ、これを思い出す時にいつも気になることがある。

自分の家族が1人も登場しないのだ。

私は一人、土間の下駄箱の上に置かれた黒電話と電話帳の山を背にし、扉向こうの棺桶を囲む、青白い大人たちの姿を見ている。

なんというか現実から自分だけ切り離されて、まるで別の世界から眼前の状況を見ているような感覚だ。

怖いという感情ではなく、孤独に近い感覚だ。

そのほかに、亡くなった祖母の顔を覗き込んだ覚えもあるのだが、棺桶に向かってべろべろばぁを連発していた8歳ほど歳の離れた、従兄弟の隆義くんの表情の方が記憶に残っており、祖母は写真の人で、脳内には残っていない。

このように振り返っていると
私の記憶は孤独と強く結びついているような気がする。

これは5歳の時である。

本山の地区に祖父は山を持っており。
筍の季節になると親戚一同で筍堀りに行くのが恒例だった。

ある程度舗装された道もあったが、筍が生えている場所は藪の中だったので、子どもたちは大人の背中を必死に追った。
どれくらい進んだだろう。

辺りを見渡すと、誰もいなくなっていた。
さっきまで喋っていた、修太君も優美ちゃんも史和くんも健くんも麗ちゃんも大人たちも、みんないなくなっていた。

でも私は泣かなかった。
みんなの名前を呼びながら、歩けば誰かに会えると楽観的に考えていた。

目の前の道を進もうと一歩踏み出したその時、薮の左手の土手に人影が見えた。

上下ベージュのスーツに白のワイシャツ、赤いネクタイを締めた男性が、立膝を立てて私をじっと見ていた。

逆光で顔がよく見えない。

だが不思議と怖さは感じなかった。


この人見たことある。

直感でそう思った。


すぐに本山の家に飾られてる遺影の人。
白龍という雅号で、床の間の掛け軸を書いた曾祖父さんだとわかった。
遺影の写真が怖かったので逆に覚えていたのだ。

曾祖父さんは遺影の写真と全く同じ格好でそこにいた。
遺影は白黒だったが、色は脳内補完されていたのだろう。
私に何を言うでもなくただ私をまっすぐ見つめて、すっと立ち上がり、次の瞬間に消えた。

その後私はゾッとした。
進もうとしていた道がなくなって、山の斜面になっていたのだ。
今でも覚えている。進んでいたら山を転げ落ちて4歳の自分は生きてなかっただろう。

曾祖父さんは私の身に起こる危険を教えてくれた。
その後、振り返り逆の道を進むと、みんなはすぐそこにいた。

なんだったのだろう。

この時も一瞬私だけが、別の世界に行ったような感覚で、とても孤独を感じた。

そういえばもうお盆が近い。
この時に助けてくれた曾祖父さんに今まで一度もお礼してないな。
子どもが生まれたら、お墓参りに帰ろう。

不思議な体験をしながらも、福岡に住む親戚の20歳のお姉さんにドキドキした5歳を過ごしたり、カトリック系の幼稚園に通い、クリスマス発表会でサンタ役をやって、サンタの格好のまま舞台上で鼻くそ食べたり、高目くんという友達からグループAのカルソニックスカイラインのカッコよさを教えてもらって車にハマったり、ヤクザの車に石投げて賠償金を親に払わせたり、幼稚園の扉に腕が挟まり抜けなくなり、大事件になったり、よくある感じの6歳を送った。

そう言えば、兄が4歳の時に幼稚園に通い出したため、1歳ちがいの私は年少から幼稚園に通った。その年の運動会で踊ったカッパダンスがとてつもなく上手だったことを褒められ、人前でパフォーマンスして褒められることに快感を感じ、この頃から、人前に出て何かをすると言うことに積極的であったし、ダンスの魅力に取り憑かれていたと思う。

卒園までに好きな子ができたり、好きな子と小学校が離れることに悲しんだり、書いているとたくさんの思い出が溢れてくる。
あ、おでこにイボがあって千昌夫とも呼ばれていたな。

父親に大学病院でイボをとってもらって、千昌夫でいじられなくなることを少し寂しく思ったりもしたな。

次は小学生編。

・嘘ついて百叩きの刑
・生徒会会長になった
・太りすぎてバスケのユニフォームが入らなくてバスケ部を辞めた
・兄と同じ、野球とドッジボールのチームに入った
・クリスムーンさんに会った
・飼っていた文鳥が逃げた
・文鳥をモチーフにした紙粘土の工作が市の小学生美術展に選ばれた
・書道やってた
・算数出来なさすぎて小六で公文始めた
・毎年家族でキャンプ行ってた
・嫌がらせを受けていた

なんか振り返るとあまりパンチ効いてないな。
取り合えずこの内容に触れつつ、小学生編を書いていこう。

そもそも自己紹介じゃなくて、自分が自分の過去を振り返ってる内容だ。

まぁいいか。

それではまた次の記事で。








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