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ケーキな女たち 〜Peice.2 ナッツな君には才能がある

Piece.2 ナッツな君には才能がある / 浜名くるみ 28才

くるみはチョコレートケーキが好きだ。それもチョコがビターではなく、ホイップクリームみたいになっているやつで、チョコレートがたっぷり練りこまれたスポンジの中にごろごろナッツが入っているのがたまらなく好きだ。中でも好きなナッツは、くるみ。自分の名前と同じだから、まるで自分大好き人間みたいでちょっと笑える。

・・・・・


「君、才能あるね」

樽香つよめのウイスキーの氷を人差し指で転がしながら、仲田は浜名くるみにこのセリフをもう5回は言っている。くるみはまるで夢の中にいるような気分だった。ほんの数年前までメディアでしか見たことがなかった有名プロデューサーが、今こうして自分の隣で酒を飲んでいるのだから。しかも自分に「才能がある」という。くるみは天にも昇るような気持ちで季節のフルーツカクテルをすする。キウイの粒が口の中でプチプチとはじける。

くるみは映画監督を目指す美大出身の若手ディレクターで、小さなプロダクションに入って6年目になる。テレビCMの予算も削減されているこのご時世、ネタもないのに「バズる」ムービーを依頼されたり、まだ世に知られていないアーティストのMVを驚くような低予算でつくったり。働き方改革などまだまだ浸透していないこの業界で、深夜まで編集作業に追われることも多い日々だが、それでも映像制作に関われるのは幸せだった。同じ大学出身の同級生には、「食べていけないから」という理由でまったく別の業界で働いている人も多い。親を安心させるにはそういう安全な道もあったかもしれない。けれどくるみはまだ見ぬ何かを見てみたい好奇心と若さで、精神的にも肉体的にもハードな日々をなんとか乗り切っていた。

目まぐるしい毎日の中で、チャンスは急に降ってきた。ふだんは同じ会社の制作プロデューサーが仕事を割り振ってくれるのだが、たまにディレクター競合という案件がある。つまり、同じお題に対して複数のディレクターが演出コンテを提出し、いちばん気に入られたものが採用(=仕事獲得)となる仕組みだ。とある美容系商材の競合にくるみは呼ばれ、そこで提出した企画を仲田が目にしたことがきっかけで、くるみはたびたび仲田に呼ばれるようになっていた。

業界でも大御所である仲田は、誰もが一度は見たことがあるヒット映画の仕掛け人であり、いろんな噂が絶えない男でもあった。企画を100案持っていっても面白くなければその場で破り捨てられるだとか、仕切りが悪かった現場でパイプ椅子を蹴飛ばしてそれを見たアイドルが泣いただとか、大口スポンサーを接待するために高級ホテルを1棟貸し切ったとか、数々の女優との浮いた話だとか。全部ホントな気もするし、全部ウソな気もする。有名になると噂には尾ひれがつくものだ。ぶっちゃけ他人だったころはくるみも仲間といっしょになってディスっていたが、いざ目の前にするとただただ緊張してしまい、箸の持ち方すら忘れそうになる。

「アタルさん」それが仲田の名前だ。ついこの前まで、「仲田アタル」と呼び捨てにして噂していたこの有名プロデューサーを、今「アタルさん」と呼んでいる。呼び捨てにしてたはずの芸能人とほんの一瞬仕事でかすっただけで、急に「さん」づけし始めてあたかも親しいアピールするイキった同期ディレクターが頭をよぎった。くるみは自分が今いるこのシチュエーションを客観視してしまい、ふっと鼻で笑った。そのときだった。やけに左頬が熱い。明らかに左から仲田の視線を感じる。仲田はバーカウンターにひじをつき、くるみの横顔を見ている。その視線は熱波のようにじわじわとくるみの頬を照りつける。


「うまい鮨を食ったことがないと、うまい鮨は握れないじゃない。だから俺が教える」

仲田の人差し指が、惑星のようにきれいな球体に削られた氷をねっとりとなでまわす。からんという湿った音とともに、吐息まじりの吉田のセリフが宙に浮く。くるみは一瞬、この宇宙の時が止められたかのように固まった。そしてまばたきも忘れて考える。まさか、なんかのメタファーじゃないよね。季節のフルーツカクテルが喉の変なところに突っかかってむせ返りそうになる。くるみの動揺をよそに、仲田はアンバーで重厚な雰囲気を保っている。くるみは喉の奥からこみあげそうになる咳を必死で飲みこんだ。


「そうだ、今度鮨いこうよ」

「へい」

咳と動揺が混ざって思わず寿司屋の大将みたいな返事をしてしまう。仲田に笑われながら、いったん自分の脳みその奥の方にしまっていた数々の仲田の浮名エピソードが溢れ出てくる。目の前のガラス皿にのせられた殻付きアーモンドの殻をバキバキ割りながら仲田への疑念を打ち消そうとするが、自分の顔がどんどん色を失っていくのがわかる。

「君の企画には、匂いがある」

「匂い・・・」

どんな匂いですか?なんて聞いてしまったら、さらにねっとりした返答がきそうで聞けない。でもちょっと聞いてみたい。ここで生来の好奇心が湧き出てしまう。ものすごいキラーワードが飛び出しそうだ。もしも、仲田にあの手この手で鮨の握り方をご指南いただいたら、ビッグなチャンスでも舞いこんでくるのだろうか。このようにして数々の無名女優は花を咲かせたのだろうか。そんな思いを巡らせながら、だんだん腹が立ってきた。こうして仲田と飲みに行ってしまった時点で、もしかしたら自分も「浮名」のひとつに入れられてしまうかもしれないからだ。これが女として出世することの難しさなのか。

意図せずしていつの間に被害者側に立たされてしまうこの構造。仮に男の同期が仲田に飲みに誘われたとて、「媚び売ってる」とか「お調子者」とか言われる可能性はあるとしても、「枕営業してる」だとか「色目使ってる」なんていう最低な悪評は立たないだろう。腹が立つ。煮えくり返りそうだ。しかし腹は減る。

こんな状況に置かれているにも関わらず、冷静な自分もいる。鮨は、食べたい。もちろん仲田に喰われたいわけではない。その可能性はゼロだ。くるみはミーハーではあるが、好きなのは若い男なのだ。年齢がふたまわり近く上の男に、性の対象として見られているかもしれない。そう考えるだけで自分が汚れた存在に思えてくる。今度は悔しさがこみあげてくる。

くるみは、高名な先輩ディレクターに好かれてしまったばかりにキャリアを絶たれた先輩女性を思い出した。その高名ディレクターは30代後半で既婚子持ちだった。それにも関わらずその女性を口説き続けた。厄介なのは、高名ディレクターにとってその好意が浮気でなく本気だったことと、思い余ってその女性を同じ仕事のチームに引き入れたことだ。女性は逃げ場を失った。その高名ディレクターは社内きっての売れっ子だったから、ある意味、いっしょに仕事をすることはチャンスにもなるはずで、責任感も強かった先輩女性は仕事を投げ出すことはできなかった。しかし、昼夜仕事でいっしょに過ごすことになり、先輩女性はねっとりと関係を迫られ続けてしまう。うまくかわすにも限界があり、心労が積み上がっていく。いずれ女性は心身のバランスを崩して仕事に来なくなってしまった。好意を身勝手に押しつけ続けることが暴力になることくらい、高名なディレクターなのであればわかっていてほしかった。くるみはそう思った。

もしも仲田がくるみを仕事のパートナーとしてではなく、性の対象として見ているのであれば、それはくるみにとって危機である。下手すると大事なものが全部ブチ壊れる。くるみが大事にしている思い。なんのために映像制作をしたいと思ったか。今を生きる女の子たちに伝えたいことがたくさんあったはずだ。伝える側がぶっ壊れてしまったら、伝わらなくなってしまう。鮨食べてる場合じゃない。

「君、才能あるよ、やっぱり」

仲田は言う。もう10回目だ。くるみはついに開き直った。

「ですよね、私もそう思います」

おっと?という顔で仲田はくるみを見つめる。

「だから、鮨、自分で食いますわ。自己流で、自分が好きな鮨を握りますわ」

クルミは奥歯につまったキウイの粒を舌でかき出して噛み砕き、店を出た。

・・・・・

それ以来、仲田からは連絡が来なくなった。仲田の「君、才能あるよ」がただのメタファーだったことが証明された。チャンスを失ったか?いや、逆にスカッとした気分だ。くるみはチョコレートケーキに入ったくるみを咀嚼する音を聞きながら、スマホで行ってみたい高級鮨屋を検索して、Google Mapにピンを立てていた。いつか自分で行くためのリストだ。チョコレートクリームを口いっぱいに入れながら、鮨のことを考えるちぐはぐさ。私、やっぱり天才かもな。くるみは笑った。自画自賛、上等だ。




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