東大を舐めている全ての人達へ
2021年追記
本当に信じられない数の方が読んでくださったので、有料記事にしました。このような怨嗟の記事を40万人以上の方が読んでくださったということが本当にすごいことだなあ、と思います。
はじめに
どうも、こんにちは。あるいはこんばんは、おはようございます。コジ東です。東大の中ではど底辺の成績でやらせてもらっています。
最近、舐められていますね、東大が。
「東大卒は使えない」「東大は誰でも入れる」「東大に価値なんてない」別に良いんですよ、コレ言われても。東大の人が言ってたら「まあ、そう」ってなるし、東大以外の人が言ってたら「ウケる笑」ってなるので。
ただ、知ってほしいのです。
お前らが思っているよりも東大に入ることは簡単じゃないぞ、と。才能はいらないかもしれないが、そこに必要な努力は想像してるような努力とはもはや性質を異にする執念のようなものだ、と。
そして、その執念を持っていても、破れていく者が多く存在しているのが東大受験だぞ、と。
そうは言っても東大生の中には「いや、マジでそんなに勉強しなかったよ。」とか、「なんか普通にできたよ。」みたいなやつもいます。クラスに一人くらい。いや、もうちょい少ないかもな。
まあ大体50人に1人とかですね。東大で。年に60人くらいとか。そんな人はそもそも入るべくして入ってるというか、このノートなんか読みもしないと思います。本当の天才みたいなやつです。
で、こういう人が東大舐めるのはわかるんですよ。マジで頭いいから、こういう人たち。勉強とか当然できるし。
ただこれが年60人、他の大学にもまあいたとして年100人くらいいるんですかね。(もっといたらごめんなさい。)
ただまあ、みんなこの100人に入ってるかって言うと、入っていないんですよね。
僕が書いていくのは、この100人ではない、いわゆる普通の人達の話。そして東大生の中でも、入学のために費やした努力が平均くらいだろう人の話です。
受験の話になった時、大した成果も出していない人が何か語っていると思います。
「こいつは東大に行ってすらいないのに、受験について何を語ることがあるんだろうか???」
と。
結構いるんですよね、そういう人。浪人生が勉強法を語ったり、全然聞いたこと無い大学のやつが浪人生バカにしたり。
学歴で人を判断するつもりはそんなに無いし、もちろん東大出身意外にも立派な人はめちゃくちゃたくさんいます。ていうか東大出身の人間なんかめちゃくちゃ少ないんだから普通に考えたらそうですよね。東大を出ていてもロクでもない人間なんかいくらだっている。
「大学なんか関係ない。大学出た後の人生の方が大切。」そんなん当たり前ですよ。大学までの人生よりも大学入った後の方が人生長いんだから。
ただ受験の話になったらそれはお前、まずは東大に入ってから言えよ、と。どこだよその大学。大学って名前ついてるだけで児童館みてえなもんだろ、と。思ってしまったりするわけです。
最近多いんですよね。
「東大を受けよう!!」
みたいな企画。
いいんですよ。それ自体は。
ホリエモンがやるのも良いんです。あの人、ちゃんと受かってるし。
でもね、全然関係のない人。名前も聞いたことないような大学を卒業した人や、そもそも大学に行ったこともないような人。
そんな人達が
「東大は簡単」「東大受けてみます!どこまでできるかな!」とか言ってるのを見ると、思うわけですよ。
なんかうるせえコバエが飛んでるわ笑
と。
お前ら東大について云々言う前に自分の人生についてもうちょいマシな方向にすることを考えられなかったのかよ笑
と。
おめえら人生チュッパチャップスかよ。ペロペロ舐めやがって。まあご自分の人生をチュッパチャップスにしてもらうのは構わないんですが、その流れで東大まで一緒にチュッパチャップスにされているわけです。
「挑戦する姿勢が良いんだ!可能性を感じる!夢を与えてくれる!」みたいな意見もありますが、だったらせめて可能性上げるくらいのことしろや、とも思うし「東大受けます!」だけで挑戦になるんだったら僕が「世界征服します!」って言えばそれが挑戦になっちゃいますよね。まあそう言う次元の話をしているな、って感じなんですよ。
「東大は誰でも入れる。」間違いない。でもそれには大切な前提が抜けている。「必要な努力をしていれば」という前提が。
そう言うと「その努力をすればいいんだろ」という回答が返ってくるんですが、ちょっとその努力についての認識が甘いんだろうなあ、と思います。
だから、書いていこうと思います。自分の体験ベースで。
「東大に入るための努力」とは何か。それは誰の努力か。どんな努力か。
東大の中で常に成績最底辺、毎年留年の危機にさらされている、そんな状態の僕が書くのもおかしな話かもしれません。まあ最底辺でも東大は東大ということで目を瞑ってください。
知ってもらいたいのです。どれだけの人間が東大合格のために努力をし、どれだけの金額をかけ、そしてどれだけの人間が破れてきたのか。その執念を、恨みを、無念を、達成したときの開放感を。
前置きが長くなりましたが、浪人してまで東大に行った僕が東大を舐めている全ての人に伝えようと思います。
東大に入っただけの学歴コンプの戯言と捉えられることも多いと思います。僕も自分で書きながら、「これ学歴コンプの発言だよな」と思っていますからね。
ただ、お前はその、数多の人間の感情、見栄、欲望、執念の重みを知った上で「東大とか誰でも入れるっしょ」とか言ってるのか。「東大受けます!自分でもどれだけやれるのか試してみたいです!」と言っているのか。
改めて問いかけていこうと思います。
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