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研究発表会の在り方

おはようございます。
ショッピングセンターに買い物に行っても、息子がトイザらスのおもちゃスペースから動かなくて、最新のおもちゃにばかり詳しくなっているtonkeです。

さて。
今日は市内の学校で行われた研究発表会に久々に参加させてもらったのでその感想をお話ししたいと思います。


5年国語「たずねびと」

僕は5年生の国語「たずねびと」の授業を見させてもらいました。
「たずねびと」は楠木綾という1人の女の子が、原爆供養塔納骨名簿(被曝されて亡くなられた方で遺族がまだ見つからない人の名前が載っている名簿)に自分と同じ名前の「楠木アヤ」を見つけ、それをきっかけに戦争について考えていく物語です。
今回の授業では.単元の終わりに自分へ向けての平和についての手紙を書くという言語活動にむけて子どもたちは学んでいました。
本時は「1番心に残ったことを伝え合おう」というめあてでグループやクラスでの話し合いがメインとなる授業でした。

参観させていただいて1番強く心に残ったことは、担任の先生がクラスづくりに真剣に向き合われてきたことです。
教室の廊下側の壁面にクラスで大切にしていきたいことが書かれている掲示物がびっしりと貼られていました。
その掲示物の4月当初に書かれていることを見ると、その大変さが想像できました。
しかし、授業では、とても豊かにグループでの話し合いを行えている子どもたちがそこにいました。
全体での発表の時にもいいリアクションをしていて、とても和やかな授業風景でした。
その様子を見て、ここまでのプロセスを想像すると、とても感動してしまいました。


分科会での協議


協議会では、授業をした先生に学級経営が素晴らしかったことを伝えたい一心で喋らせてもらいました。
一方で単元の構成や話し合いのデザインについては、改善できる点もあると思ったので、それも話しました。
ただ、1時間の授業を見て外から来た人があれこれという協議会スタイルに難しさを感じています。
この発表までには、子どもたちとの積み重ねもそうですが、授業検討の時間も相当かけてきたはずです。
そんな準備をしてきた当人たちからすれば、発表会だけ見にきてる人は「知らんやつ」です。
「知らんやつ」からとやかく言われる協議会で学び合える空間を作り出すことってものすごく難易度が高いと改めて感じさせられました。


今回、久しぶりに他の学校の研究発表会に参加させてもらいました。
他の人のクラスの様子をじっくりと見ることが出来たことは、とても良い機会となりました。
一方で、研究発表会の大きな課題も感じました。
それは、2年や3年の積み重ねを3時間やそこらでシェアしようとすることに無理があるということです。
研究発表会=自分たちがやってきたことを来たお客さんに伝える
という考え方が一般的だと思います。
この在り方自体が現代にマッチしていないのではないかと思います。
恐らく、この研究発表会という形が始まった頃には、中々情報を受け取る機会がなく、研究発表会という機会が貴重なインプットの機会だったのかもしれません。
しかし、現代においてはさまざまな情報源が溢れています。
そんな現代において、今のままの研究発表会でいいのか?という問いはもたなくてはならないと感じました。

全てをいきなり変えることは難しいかもしれませんが、一つできることとすれば、「研究校の研究をトークテーマにして、来た人が学びあう空間をつくること」
なのではないかとぼんやり考えています。
これは、僕が夏に行った調査研の発表の時にも感じたことです。
研究発表会=実施側も参加側も学び合える空間づくり
という「在り方」を探っていけないかと思っています。


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