見出し画像

なぜ民主主義は「数百万人」が最適な規模なのか

2020年12月31日になぜこんな記事を書きたくなったのか。
改めて考えると今年は、各国で新型コロナウイルスが蔓延し、上手く対応できている国とできていない国の「緊急事態時の政治レベル」の差が如実に現れた一年でした。権威主義的な国家が上手く強権的な管理を行いウイルスの封じ込めに成功した一方で、台湾やニュージーランド等の民主主義国家も同様に透明性の高い管理・規制によって被害を最小限に抑えています。(各国で異なる政策が取られた背景事情などは、別稿で論考を掲載しておりますので、ご興味ある方はそちらをご高覧ください。原文は英語ですが有志の方が日本語版も公開してくださっています。)

また、米国大統領選挙で国家の分断がいかに共同体を破壊しうるかを文字通り体感した一年でもありました。

おそらく多くの方が感じていらっしゃると思います。「さすがに1億人で民主主義をするのには無理があるのではないか」と。渡米した際に聞いた声も同じでした。数億人がどちらかの候補を選ばされる世界では、4年に1度分断するのはむしろ当然だと。

この記事では、それらの疑念に対して、大胆ではあるものの根拠のある仮説として、民主主義は数百万人(どこまで拡大しても1000万人)規模が最適であり、それ以上の規模では機能しないというテーゼを示します。

民主主義指数ランキング上位国の規模

まず、現代において民主主義レベルの高い国家とその規模について、整理しておきましょう。The Economit Intelligence Unitが2019年に発表したDemocracy Indexによると、Top5の国家と人口、直近の国政選挙における投票率は以下のとおりです(比較のために日本も記載しておきます)。

最も人口の少ないアイスランドが約35万人、最大のスウェーデンでも1000万人ほどの人口となっています。なお、投票率については、投票率が高いから民主主義のレベルが高いというロジックが成り立つとは考えておらず、むしろ、民主主義指数の高い国は、その国政選挙の投票率が一定程度高い結果を示すという論理関係にあると考えます。

賢人が考えた民主主義の「最適な規模」

次に、過去の賢人らが民主主義の「最適な規模」としてどのような言及を行っていたかを振り返っておきます。

プラトンは、ポリスが機能するための最適な規模として、市民がすべてお互いに知り合っており、またお互いにできるだけ親しくあることのできる小規模のものであるべきと主張し、その適切な数を5040人と述べました。(この細かな数字は、国土の分割方法などを含めてプラトンが色々と計算した結果なのですが、ここでは重要ではないので説明は捨象します。)重要なのは、市民がお互いを知り、親しくいられる小規模なものであるべきと考えた点です。

次に、ルソーも、小規模共同体においてのみ人は政治的自由を十分に享受することができると主張しました。彼が直接民主主義を達成するために挙げた4つの条件は以下のとおりです。

①構成員同士が容易に互いに対面することができるような小規模な共同体社会
②社会構成員間の経済的平等性と独立性
③公的な問題に関わろうとする人民の意欲を阻害しない程度に簡素な争点
④公的な事柄に対する積極的関与を促進せしめる市民的徳性の保持

ここでも色々と突っ込んで議論したい点はありますが、重要なのは「小規模な共同体社会」に言及している点です。

最後に、モンテスキューは、『法の精神』において、以下のような条件が体制の維持には必要であると考えました(これが実現するのは「共和政」であると主張するための論考です)。

①市民の関心が公共善に向かうような、小規模な国家の枠で、
②財産所有が平等かつ厳格に制約され、
③奢侈は禁じられ、
④外国人が排除され、
⑤戸口総監による徹底的な監視の下、習俗の維持が図れること

プラトンやルソーと同じく、やはり小規模な国家であることを第一の条件に掲げています。

これらを踏まえ、ここからが私の仮説になります。

六次の隔たり〜世界は6ホップで繋がる

六次の隔たり(Six Degrees of Separation)という仮説があります。
これは、全ての人や物事は6ステップ以内で繋がっていて、友達の友達…を介して世界中の人々と間接的な知り合いになることができる、という仮説です。最も有名なのはイェール大学の心理学者スタンレー・ミルグラム教授によって1967年に行われたスモールワールド実験ですね(詳細はWikipedia等をご参照ください)。
端的に述べれば、世界中の人々は6次(6ホップ)で繋がることができるというものであり、実際に様々な実験によってある程度実証されています。

3ホップ先の情報まで人は満足する

もう一つ、面白い実験があります。この実験に関するページがリンク切れでご紹介できないのですが、内容をご紹介します。

実験の内容は、人は、自分から何ホップ先の人々が興味関心を持つニュースまでであれば、満足度を下げずに読む・触れることができるかを研究するものでした。結果は、3ホップ先(自分の友人の友人の友人)の人々が興味関心を持つニュースまでは満足度を下げずに楽しむことができるということがわかりました。

つまり、人々は3ホップ先までの人の興味関心には寄り添え、あるいは彼らに想像力や共感を持つことができるということです。

結論

ここから、以下のような仮説が生まれます。

世界70億人が6ホップで繋がっていく場合、5ホップでは数億単位、4ホップでは数千万単位のネットワークが成立します。3ホップ先では数十万~数百万です。逆に、FacebookやTwitterなどで100人〜1000人程度のコミュニティを3つホップしていくと数十万〜数百万になるのも実感値に近いのではないかと思います。

そして、この規模こそ、人々が共感性や想像力を働かせ、寄り添いながら共同体を形成できる最大のコミュニティなのではないか。換言すると、現代において人々が身体性を持つ「公共」の最大値がここに見いだされるのではないかと考えられるのです。したがって、民主主義指数の高い共同体(北欧諸国やニュージーランド、台湾等)では成熟した民主主義が可能なのだという仮説が成り立ちます。

なお、プラトンの時代やルソー、モンテスキューの時代は、情報技術のレベルとして、3ホップ先は数千人~数万人程度であり、これが「共感性や想像力を働かせ、寄り添いながら共同体を形成できるコミュニティ身体性を持つ公共」であったと思われます。したがって、プラトンが「市民がすべてお互いに知り合っており、またお互いにできるだけ親しくあることのできる小規模のもの」として5040人という数字を出していることも納得がいきます。

じゃ、それ以上の大きな国家・共同体においては民主主義を諦めろというわけではなく、重要なのは人々が共感性や想像力を働かせ、寄り添いながら共同体を形成できるコミュニティをどのように構築していくかが重要です。地方自治・地方分権は確実にこれに資する重要な民主主義であると思います。同時に、私自身はそういった「共感性や想像力を働かせ、寄り添いながら共同体を形成できるコミュニティ」を情報技術の革新によって拡げていけるのではないかと思い、スマートニュースという会社で働き、またJAPAN CHOICEという選挙向けWebサービスを作っています。

本年も大変お世話になりました。皆様良いお年をお迎えください。そして来年もどうぞよろしくお願いいたします。

図書館が無料であるように、自分の記事は無料で全ての方に開放したいと考えています(一部クラウドファンディングのリターン等を除きます)。しかし、価値のある記事だと感じてくださった方が任意でサポートをしてくださることがあり、そのような言論空間があることに頭が上がりません。