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強制的休活〜理由なく定期的に落ち込む話〜

昔から急にスイッチが切れたかのように、気分が落ち込んで何もできなくなる時が定期的に訪れる。

高校生の時が1番顕著だった。特に2年生になってからは、週1でそれが訪れていたように思う。

ー目覚まし時計の音でいつもの時間に目が覚める。
普通に起き上がれば何も問題なく学校へ行けるというのに、心が拒んでいるのが分かる。「動いておくれ〜」と脳から体にメッセージを送っても、体も言うことを聞いてくれようとしない。何か行きたくない明確な理由があるわけではない。学校はそこそこ楽しんでいたし、人並みに授業や課題への気怠さを持ち合わせながら、こなせたりこなせなかったりする学校生活を送っていた。私の学校は「0限」と言って、全員強制のしっかり出欠がとられる朝の課外授業から始まる仕組みだった。その開始時刻は「7時20分」。学校へは、6時50分に家を出られれば間に合う。
時計の針は、「5時45分」を指している。うーん、無理そうだ。。
睡眠への誘いを傍に感じながら、時計の秒針を眺める。それだけなのに、朝というのは1分1秒が光の速さで去りゆく。

6時45分

階段を上る母の足音が聞こえる。
ベッドに横たわる私を見下ろす母。

「どうしたの?学校は?」

お、怒られる…びくびくしながら答える。

「・・・体調悪い。」

「学校に連絡入れとくから、今日は休みなさい。」

あっさり受け入れられる。それだけじゃなく、学校への連絡までしてくれるなんて!

私が毎度緊張しながら体調不良を訴えるところも含めて、いつしかそれはお決まりのやりとりになっていた。

そして私は深い眠りにつくー。

昼頃目を覚まし、母の作り置きしてくれたご飯を温める。
母があまりにも淡々と対応するものだから、だんだんと罪悪感が湧き上がる。

本当に体調不良なのか?頭もお腹も痛いわけではない。ただ、起き上がりたくない。何もしたくない。それだけだった。

頑張れば、行けたのでは?

予習間に合ってないから登校したくなかった?

昼食を取りながら、始まる自問自答。
この時間が1番苦痛だった。時折、訳もなく涙が出そうになることもあった。

午後、パジャマから着替え、机に向かう。
明日の小テストの勉強、授業の予習etc..
びっくりするくらい捗る。追い込まれていない勉強ほど楽しいものはない♪

夕方になると、携帯電話が光り始める。

「体調大丈夫?」
「おい、サボりだろ?笑」
「プリント今から家持ってくね〜」

級友たちからの連絡は、なぜだかそこに居て良いのだと私を安堵させてくれる。

そんなことを繰り返しながら、高校生活は過ぎていった。

定期的に「サボる(認めよう)」けれど、2日以上サボることはなかった。

高校の途中で父が亡くなり、1番家族が大変な時期だったこともあって、母への罪悪感が私を2日以上停止させることはなかった。

今思えば、あれは必要不可欠なエネルギーチャージの時間だったように思う。ガス欠のサインとでも言おうか。

大学生になってからもソレは定期的に訪れた。そして大人になるにつれ、その間隔は長くなっていった。
というより、そのモードになっている自分を無視して体を動かすという新しいスキルが自然に身に付いていったという表現が正しい。

30歳を過ぎた今、久しぶりにソレがやってきた。

「行きたくない、何もしたくない、誰とも会いたくない」

そんな気持ちが私を離してくれなかった。

早朝から仕事へ向かうパートナーを見送る。「ゆっくり休んで」と声をかけられる。頑張っている人を見ると、少しの罪悪感を感じる。

昔からそうだ。誰が責めるわけでもない。自分自身が自分を責めている。

大人になった私は、自分で欠勤連絡をする。
社内チャットにポチポチポチ、送信。

ツールは便利になれども、私の気持ちは連絡メッセージほど軽くはない。かと言ってこの後ろめたさ、申し訳なさの宛先もない。

連絡を終えた私は、再び眠りにつき昼過ぎに起きる。

家族が作ってくれたご飯を温めながら、気怠さと重苦しい心持ちと向き合う。「明日には元気になってくれるといいな、私」と願いながら。

昔から繰り返すこれは私にとって必要な感情、必要な時間なのだと思う。

きっと明日の私は出社する。そして今日という日を取り戻すかのようにバリバリ働くのだろう。


最後までお読みいただき、ありがとうございました!





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