【2】忘れられない記憶が生まれた日
この仕事を続けさせてもらっているおかげで、色々なことを経験させてもらっていて、様々なことが記憶として残っているけど、特にこの年っていうのがあって、今日はそんな話。
講師を始めて2年目のこと。
初めて中学3年生の受験を控えた学年を受けもたせてもらった。受けもたせてもらったといっても、僕の勤務する学習塾は個別だから正確には担当させてもらうという表現が適しているのかもしれない。
「ついこないだまで学生でしたんで、右も左もよくわからない」なんてアホみたいな言い訳は通用しないから、とにかく必死に日々の仕事をこなしていた。
当時は絶対的な経験値をもつ先輩講師は皆無に近い状態だったから(今はその役目を負っているのが私だ)、とにかく自分のやるべきことをこなすことでいっぱいいっぱいだった。
やっていることが結果に反映されているうちはいいのだけれど、うまくいかなくなったときにアレコレとやり方を変えたりして、どことなく迷走していたこともあった。それを考えると本当に申し訳ない。
まぁ、そんなことを繰り返しながら初めて迎えることになった高校受験。そして、合格発表の日。
喜びと悲しみの交錯する日に、どうしても忘れることのできない記憶が生まれた。
15の春に経験する人生で最初といってもいい大きなチャレンジは、長い人生を考えたら、そこでその後の人生が決まるほどのものではない。でも、それを言えるのは、そこを越えてきたからであって、その先にあることを知っているから。
経験したことがない15歳にそんなことわかるはずがない。
希望する道へ進むことが叶わなくなった瞬間の気持ちを推し量ることなどできっこない。そこでわかったのは、予想や期待が100%叶うなんてことが常にあるとは限らないということ。
奇跡に期待するなんて馬鹿げている。
そのときから僕は、希望する道へ進むことが出来ることを一緒に喜ぶことはもちろんだけれども、ダメだった方の気持ちを思いやるようになった。それまでは自分のことしか考えていなかったくせに。
「まぁ、これくらいでいいや」と手を緩めそうなときに自分をもう一度奮い立たせているのは、「あのときのことを繰り返したくないから」という思いと記憶なのかもしれない。
だから今も、奇跡を奇跡じゃない必然とするためにこの仕事を続けているのかもしれない。
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