【3】子を想う親の気持ちに勝るものはない
毎年のように何かが起こり、それがその年を印象深くさせるのだけれど、特にココっていう年がいくつかあります。
今日はそんな話のひとつ。
塾の講師として、ようやく右と左くらいはわかるようになって、自分の足でしっかりと歩けるようになってきた3年目。
その年に忘れられない経験をした。
今の自分を語るうえで、その話の主役となった人物は間違いなく大きな影響を及ぼしたうちの一人で、そこから急速に塾講師としての僕自身のスタイルを確立させることになっていった。
とても教育熱心な家で、僕の勤務している塾に大きな期待をしてくれていたからだと思うのだけれど、多くの時間を指導に使えるようにしてくれた。今では当たり前のようになったことが、当時ではとてもビックリするようなことだった。
その全ての時間を僕に任せてくれるとのことだったので、まだ怖いもの知らずの3年目はイケイケ状態でたくさんの時間をその主役と過ごすことになったのだけれど、どうにもこうにも結果が出ない。
今ならば、その理由はすぐにわかるのだけれど、当時はようやく一人で歩き出したばかりだったので、どうしてなのか迷うことばっかりだった。もう、受験までの時間も多くは残されていない。
そんな中、保護者さんが来訪されることになった。
現状報告と今後の方針を話す場を設けるためで、本来はボスと2人での話し合いの場になるものだ。
しかし、「君も一緒に出よう」との一言が…。
最悪だよ。
明らかに自分たちのふがいない結果に対して怒られるのがわかっているから、たぶんそのボスは自分一人だけが怒られるのが嫌だったに違いなくて僕を一緒に座らせたのだと今でも思っている。
「上司って、部下を守るためにいるんじゃ…」
本当に理不尽なことを色々と言われてきたけど、今は少しだけ理解することができる部分もある。でも、そのときのことだけはどれだけの年が経っても、全く理解できない。
案の定、当日はお怒りを頂戴しっぱなしだ。
僕の勤める塾は個別ということもあり、いろんな話をされる。学校・家・友人関係・親との関係など、本当にプライベートを垣間見ることができるので、ついつい話す本人寄りになり、味方をしようとしていた。
そのときも自分が一番の理解者だと信じ込んで、何とかその子にとってプラスな方向に持っていけるようにアレコレ準備をしたのだった(ボスからの指示もあったけれど)。
そんな自分の独りよがりな想いは、あるひと言によって完膚なきまでに崩されてしまった。
そのときの話し合いの中で、保護者さんがふと「心配です」と言ったのだ。それはそうだ。どんなにあーだこーだと、自分の子のよくないところや改善しないといけないところを僕たちにむけていても、やっぱり心配するのは当たり前のことなんだ。
どうしてそのことに気づかなかったのだろう。
子を思う親の気持ちに、僕の想いなんて勝てるはずがない。何を思いあがっていたのか。そのときの自分をぶっ飛ばしてやりたくなるよ。
僕は人の親ではないけれど、そのときの経験で親の気持ちも少しは察することができるようになったと思う。今となっては親と子の両方のことを考えて、慎重に言葉を選んで話すことにしている。
両方にとって良い方向へ進むことができるように。
そのことを考えると、あのときのボスの意味不明な無茶振りで一番大きなことを得たのは僕だったのかもしれない。
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