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おかん留学②ダブリン留学を終えて

2ヶ月のダブリン留学を終えて、ついに日本に帰国する日がやってきました。私はマルタで10ヶ月、ダブリンで2ヶ月、トータルで1年間の語学留学をしました。

アラフィフで経験した大きな挑戦

ひとりぼっちの海外、一人暮らし、数十年ぶりの学校・勉強。しかも苦手な英語などなど。私は本当にやれるのだろうか?おかんには無理でしょう!と言うレベルだったと思います。

でも結論から言うと、想像をはるかに超えて楽しむことができました。英語力は上がったかな?最初に比べるとかなり上がっているけど、元々のスタートレベルが低すぎるだけに今のレベルもかなり低いです。正直1年では全然ペラペラにはなれませんでした。ルー大柴に毛が生えた程度です。残念ながらそこだけは予想通りでした。

でも留学前に掲げていた私の目標は意外にもクリアできました。自分でできることも増えたし、なんとかなる!を実感できました。バイトをするという目標は叶わなかったけど、でも十分です。

留学して良かったこと

痩せた

そして良かったことの一つは、痩せたことです。体重計がないから何キロ痩せたかは不明ですが、日本から持ってきた服はほとんどブカブカです。これは車も自転車も使わない生活を1年間したからじゃないかな?と言う気がします。とにかく歩きました。観光はもちろん通学や買い物など自分の足でひたすら歩いたおかげで毎日ビールを飲んでいるのにもかかわらず無理せずに痩せました。いえーい👍

世界中に友達ができた

何より留学して得たものもは友達です。イタリア、フランス、スイス、チェコ、スロバキア、ハンガリー、スペイン、ドイツ、オーストリア、イギリス、ウクライナ、エジプト、トルコ、コロンビア、ブラジル、ペルー、チリ、アルゼンチン、ベネズエラ、中国、韓国などなど。世界各国の友達ができて、その友達のおかげでヨーロッパ中を旅行することもできたし、本当に私の世界はめちゃくちゃ広がりました。

今まで私の知っていたことは本当に少しだけで、知らないことばかりだったんだと言うことも知りました。知識だけでなく、考え方、表現の仕方など本当に学ぶことばかり。ポジティブな考え方、人生の楽しみ方は彼らからたくさん学びました。

考え方が変わった

そして年齢は関係ないと言うことも学びました。LGBTの友達もたくさんできました。バツ2のゲイだという友達もできたし、ゲイカップルの家に4泊したこともあります。日本にいると日本人ばかりだけど、海外にくるといろんな国の人、そしていろんな国がミックスして生まれた人たちと出逢います。だからいろんな考え方や文化を持っています。他の国の血がほぼ入っていない日本人といろんな国のハーフで生まれる海外の人たち。世界は日本より全然考え方が多様にあって、本当に刺激的でした。

いかに今までの自分が狭い世界で、凝り固まった考え方をしていたんだろうと気付かされることがたくさんありました。今まで使っていない脳ミソ、筋肉を使った1年間だったような気がします。

1年ぶりの日本をどう感じるんだろう?

日本に帰国して、久しぶりの日本をみてどう思うのか。やっぱり日本はいいなと思うのか?それとも嫌気がさすのか?ホッとするのか?さっぱりわかりません。ここ数ヶ月はマスクをしない生活をしていたので、マスクをしている日本に驚くかもしれません。

今はまだダブリンにいるので日本にいる自分がいまいち想像できていません。強いて言えば、湯船に浸かりたい。蟹ミソが食べたい。ソフトボールがしたい。そんなことを思っています。

次の目標

私は今、近いうちにまたダブリンに戻ってもう一度留学をしたいと思っています。

それはバイトのトライアルで撃沈したのもありますが、それ以外でももっと英語の勉強をしなければいけないと何度も思う場面があったからです。そして何より海外暮らしに飽きてない。ヨーロッパは楽しい。まだまだ50歳をすぎても海外で暮らしたいと強く思っています。どうやったら移住できるのかを調べまくってますが、今のところいい方法が見つかっていません。何かいい方法があったら教えてください。

私は「余生の楽しむため」と「終の住処探し」をしているのかもしれません。ババアになっても悔いなく生きたい。これが私の信念です。

一年前、50近い私が英語力ゼロで語学留学しました。我ながら果敢な挑戦で大冒険したなと思っています。でもこの一年の思い出は死ぬときに絶対に走馬灯のように思い出し「48歳・49歳の時は本当に楽しかったな」って、思い出しながら死ねると思っています。そのくらい人生の中で濃く充実した年になりました。

1人の人間として見てもらえた1年間

私はこの1年間、自分の年齢も、母であることも、主婦であることも忘れ、苗字も使わず、Okanという名前の1人の人間でいました。○○ちゃんのママでもなく、○○さんちの奥さんでも、○○会社のOkanさんでもない、ただのOkanです。肩書きが全てなくなり、「お母さんなんだからこうしていなきゃいけない」とか「妻なんだから」「いい歳なんだから」というのが一切なかったような気がします。

例えば母なんだからご飯を作らなくちゃいけないっていうのがありませんでした。海外の男性は本当に料理が上手です。「いつも奥さん(お母さん)が料理を作るの?なんで?」って感じです。「50年くらい前にそういう時代もあったみたいだけど、今は全く違うよ」といい、手際よく料理をする男性にたくさん会いました。そして手慣れた様子で料理を振る舞ってくれ、ささっと片付けもします。パーティーもたくさんの男性が動き、女性をもてなしてくれます。「Okanはソファーでリラックスしててね」と言って手伝わせてくれないこともあるし、一緒にキッチンに立ってみんなで楽しく作ることもありました。ビールも私が注ぐと「ああ、俺がやるのに何でOkanが注ぐんだよ〜」と言われたこともあります。おしゃくは男性がするものっぽいです。これはペルー人男性に言われました。ペルーの文化ってことです。

日本の男性が料理をしないのが悪いとかではなく、女性がするものというのが日本の文化で、ヨーロッパや南米は違うよってだけです。

私は女性だから料理はしなくてはいけないと思っていました。逆に男性は料理ができないものだと思っていました。でも私よりはるかに料理の上手な男性にたくさん会いました。別に料理が趣味な人ではありません。「え?おなかが空くから作ってるだけだよ」って感じです。

こういった女性だから料理できなきゃいけない、男性だから女性より稼がなくちゃいけないとか、そういう境界線が全くない1年間でした。

そんなことより私個人の性格をみてもらえたような気がします。おかんが何歳だろうと、どこの国の人間だろうと、どんな仕事をしていようとそんなのはどーでも良いことで、ただおもろいやつだから声をかけてくれるって感じです。

私が勝手に年齢とかを気にしていただけのような気がします。そうか、なんでもいいのか!たとえ年をとっていても、英語が下手くそでも、平凡な主婦でも、ゲイでも、どこの国の人でも、宗教があってもなくても、なんでもいいんだ!というのを学びました。

留学はほんとに楽しい。発見だらけの毎日でした。いろんな考え方があるなーを学べた1年でした。そしていくつになっても夢は諦めなくてよかったと思えた1年でした。

とはいえ、私の冒険はまだまだ続きます。1年後の自分がどこで何をしているのか、今はさっぱり予測できません。でもそんな人生もオモロイやんけーと思えるようになりました。めでたし、めでたし。

ダブリン最終日はブラジリアン寿司を食べました。真ん中にある細巻きは「ほっそ巻き」という名前。細巻きよりよりほっそい「Hossomaki」
これはHot sushi。熱々のサクサク。寿司を天ぷらにした寿司です。
Gunkanという名前でした。海苔でなくサーモンで巻いてある。
いちごとチョコとバナナの寿司。騙されたと思って食べてと言われ食べたら本当に美味しかった。
酢飯にバナナと海苔が巻かれてヌテラといちごとゴマをトッピング。ブラジル人のセンスは素晴らしい。日本人では思いつかない発想を持っています。
寿司とピザのコラボした「sushi pizza」発想がすごすぎるブラジル人。イタリア人も日本人もビックリ


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