50歳の留学生
48歳でスタートした私の留学生活はマルタに10か月、アイルランドに1年2か月のトータルで約2年間でした。
留学初日は何もわからず、呪文のように聞こえていた英語が、今はまぁなんとなくわかるようになりました。
と言っても30%くらいしか理解できてないのかもしれないけど、自分の都合のいい風に翻訳しているかもしれないけど、最初は0%のスタートだったんだから、大きな成長です。
一番の収穫は、友達
私は世界中に友達が数えきれないくらいできました。
アイルランド、イギリス、イタリア、フランス、スペイン、ドイツ、スイス、ハンガリー、チェコ、スロバキア、ギリシャ、トルコ、ウクライナ、ロシア、南アフリカ、イラン、エジプト、コロンビア、ペルー、ブラジル、アルゼンチン、チリ、パラグアイ、ボリビア、モンゴル、韓国、中国etc...
正直、ここまで友達ができるとは思っていませんでした。
そして留学中に各国を訪れ、
イタリア、フランス、ハンガリー、スイス、チェコ、スペイン、イギリス、ドイツ、コロンビア、ペルーの友達の家に遊びに行くことができました。
本当に本当にありがたいことです。
これができたのは、私のコミュニケーション能力の高さ(←自慢?)と年齢関係なく温かく受け入れてくれた世界中の友達のおかげです。
私が帰国するときに大粒の涙を流してワンワンと泣いてくれた友達、花束をくれたクラスメート、仕事の合間にダブリン空港まで駆けつけてくれた友達、そしてギフトを持って、わざわざ会いに来てくれたキーツのお姉さんや隣の家のパトリシアなど、私は素敵な友達に恵まれ、本当に幸せな留学ができたなと思います。
語学を磨く以外にもこんな体験ができるなんて思ってもみませんでした。
もしも留学をしていなかったら絶対に出会えなかった遠い国の人、世代の違う人、人種の違う人、会ったこともない職種の人など、私の想像をはるかに超えた出会いがこの留学にはありました。
2年前の自分と今の自分
2021年5月の日本はまだコロナの真っ最中。
コロナが収まるのを待っていたら、いつになるかわらないと、ワクチン接種もしていない状態で無謀にもマルタに向かいました。
息子が無事に大学生になり、子育てが一段落するのをずっと待っていた私は4月の入学式を見終えた翌月に速攻でマルタに旅立ちました。
その頃の私は「やることはちゃんとやり終えた!文句は言わせない!(←子育ての事)」という気持ちでいっぱいでした。
でも今考えれば英語力ゼロで、コロナの真っ最中というかなり強行突破な計画だったなと思います。親が心配をするのは無理もありません。
語学学校の初日は、英語がわからなすぎて、完全フリーズして、授業が終わった瞬間に速攻で学校の受付に「レベルが高すぎて何をいってるからわからないからクラスをさげてくれ」と駆け込んだら「あなたのクラスが一番下のレベルのクラスだからこれ以上下げることができない」と断られたこの私が、どうしてここまでコミュニケーションがとれるようになったのか不思議でたまりません。
おそらく失敗を恐れていないから?そして間違った文法でも恥ずかしがらなかったからじゃないかな?と思います。
恥ずかしがったってわからないものはわからないし、間違っているかあっているかもわからないし、しゃべらないと生きていけないから。ただそれだけでした。
結果的に思うのは、へたくそ英語でも世界中に友達ができるし、海外暮らしを楽しむこともできるということです。
それがわかった濃い2年間だったと思っています。
こんなに楽しめるとは全く思っていなかったのでWell done!(よくやった!)と自分に最優秀賞をあげたいくらいです。
留学を振り返って思うこと
たった1回の留学では何もわからないということです。
私は2年間の留学で4つの学校、引っ越しも4回しました。
通う学校で出会う友達のタイプが全く違います。
授業料の高い学校に通っているときはヨーロピアンのクラスメートが多かったです。
経済的に恵まれていて、語学留学と共に旅行を楽しんだり、授業後にレストランやパブで楽しんだり。
授業料の安い学校に帰ると、クラスメートの国籍がガラッと変わります。
南米、アフリカ、モンゴル、ウクライナ、ベラルーシ、中国などなど。
授業のあとはみんな一目散に仕事に行ってしまいます。
土日も仕事だし、平日に一緒にパブに飲みに行ったりすることもなかなかできません。
でもそういう違うタイプの人の世界を知ることもできるのです。
そしてマルタとダブリンは同じヨーロッパでも全然違います。
マルタはリゾート感覚でくる人が多く、ダブリンは生活のために留学にきている人がたくさんいました。いわゆる出稼ぎで海外で働いている人ということです。
留学の最後の方はアイルランド人といることが多かったので、ネイティブの英語を聞いていますが、最初の頃は語学学校の友達といることが多かったです。
だからネイティブスピーカーではない人ですが、訛りのある英語を聞き取ることもすごく重要だと思っています。
だって母国語じゃない人も英語をしゃべっているのですから。
スペイン語訛りの英語、フランス語訛りの英語、イタリア語訛りの英語、中国語訛りの英語、そして日本語訛りの英語、どれも会話をするにあたっては必要なものです。
それに私はいろいろな国の人と出会え、全く違う文化や自分には全くない考え方を知ることができました。
発音がよかろうが悪かろうが、私にとってそんなものはどうでもよくて、それよりもネイティブじゃない者同士が英語を使っても言葉が通じたり、友達になれたことが本当に楽しかったです。
留学の終盤はアイルランド人と一緒にいることが多かったです。
アイルランド人がよく使うのか、英語でよく使う言葉なのかよくわかりませんが、「Are you happy?happy? happy?」はよく会話の中で出てきた気がします。
「あなたが幸せなことが私の幸せ」と言う言葉も!
だから私もその言葉が口癖のようになってきました。
みんな人の幸せを望んでいて、それが自分の幸せになる。
夢の叶った2年間でした。
英語の勉強も、やりたいことも、エネルギーチャージもすべてできました。
さぁ日本に帰国をしたら就活だ!
日本に戻ったら英語を使える仕事ができたらいいなと思っています。
予測不能の日本での新しい人生が再スタートします!
それにワクワクドキドキしています。
さいごに
平凡な主婦が果敢に挑戦した留学生活はこれでおしまいとなります。
今まで読んでくださった皆様、ありがとうございます。
おかんは3年前のおかんから見事な進化を遂げ、別人のようにフルモデルチェンジされました。
それは予想をはるかに超えていました。
ここまで自分がいろいろ経験できるとは思わなかったし、想像以上に海外になじむことができました。
若くなくても、頭がよくなくても、英語が全然しゃべれなくても留学は楽しいし、楽しめるものです。
何歳になっても遅いことはありません。
でも一日でも早く行ったほうがいいということもわかりました。
だから次にまた新しい何かチャレンジしたいことが見つかったら、また無謀にも挑戦しちゃおうかなと思っています。
おそらくまたすぐに別の冒険が始まると思います。
きっと死ぬまで続きます。
また日本での生活も気が向いたらぼちぼち更新できればいいなと思っています。
せっかく覚えた英語を忘れないようにこれからも使い続けたいです。死ぬまで!
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